死海文書発見2021年!1947年発見の死海写本とは?あなたとの関係は?

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今日、死海文書が発見されたというニュースが入ってきました。
今日発見された死海文書がどのようなものかはどんどん明らかにされるでしょうが、一番最初に発見された死海写本(クムラン写本)とも言われているものとはどのようなものでしょうか。
これから明らかにされていく死海文書を深く味わうためにも
1947年にクムランの洞窟で発見された死海写本のことを知ってください。
今日わたしたちが読んでいる聖書は、どれだけ原点の内容を正確に伝えているのでしょう。
伝言ゲームという遊びがあります。
それは、数行の文章を前の人にどんどん伝えていくゲームです。
みなさんも一度はやったことがあるのではないでしょうか。
そして、伝言していく人の数が多ければ多いほど最初の文章と最後の文章ではまったく違ったものになってしまうものです。
すこしだけ違うというものではなく、もうまったく最初の文章はひとかけらもないほどです。
そのように、正確に伝言してくださいと言われても、
人から人に伝わっていくときにどんどん違うものになってしまいます。
ですから、人の噂もそのようなことから恐ろしいことになることがあるのです。

聖書の伝言ゲームの結果、死海文書はどうなった?

では、聖書はどうでしょう。
聖書は、今から3600年くらい前に書き始められました。
もちろん、最初は紙などないです。
印刷機も印刷技術もないです。
最初は、粘土の板のようなものに書かれ、どんどん引き継がれていきました。
どうして、今、わたしたちは聖書を求めようと思えば、お金をだせばすぐに購入することができます。
今、手にすることのできる聖書は、最初の書かれたオリジナルから相当年月が過ぎています。
どのようにして受け継がれてきたのでしょう。
私たちの時代も、コピー機というものがなかった時代は手書きで写したのです。
わたしが大学生のとき(50年くらい前になりますが)、授業にでていない学生は
授業のノートを写させてもらっていました。
そうです。

聖書の原典はどのように書き写され死海写本ができたのでしょ?

聖書のオリジナル(原典)は、どんどん書き写されてきたのです。
しかし、中途半端な写し方ではなかったそうです。
例えば、1ページを移すとしたら、
日本語の文字で例えると、
1ページを写すと、そのページの全文字の数を数えます。
そして、次にかなの『あ』という文字は何文字あるか数えます。
次はかたかなの『い』を、・・・『う』を、・・・『ん』を。
そして、次は漢字をそのように調べ、文字数が違っていたらまたいちからやり直したそうです。
それくらい、神様のことであるということで厳格に書き写したのです。
ですから、
伝言ゲームのようないいかげんなものではなく、正しく書き写され伝承されたのです。
なぜ、聖書は神の言葉であるとクリスチャンはじんじているのでしょうか?
いろいろな根拠があるのですが、
きょうは、聖書の預言ということから証明していきたいと思います。

聖書に書かれていることが正しかったらあなたはどうすべきですか?

このあたりで、多くの人は・・・
もういい!退屈だ!と思うかもしれませんl
なぜなら、聖書が神様の言葉であるかどうかということだったら、
たとえ聖書が神の言葉であったとしても
どうでもいいと思う人が多くいるからです。
しかし、違います!!
あたは、大変の考え違いをしています。
なぜなら、あんたは人間は死んだらどうなるのか知っていますか。
人間は、なぜ生まれてきたのか、なんの目的で存在するのかしっていますか。
あなたがもし時計なら、時計はなぜ存在するのでしょう?
人に時間を知らせるためです。なぜならその目的で作られたからです。
そうしたら、聖書が神様の言葉なら、あなたにとってどうでもいいことではないのです。
聖書には神様しかわからないことが書かれています。
人間は死んでどうなるのか?。
死んで永遠の祝福をうけるためにはどうすればいいのか?。
どうかもうちょっと忍耐をもって読んでください。

今も現存する聖書の写本はどれくらいあるの?

多くの写本は、今も現存します。
6000以上の写本があるといわれています。
しかし、しかしです・・・
残念なことにその多くは、紀元後、
それも紀元後1000年くらいのものなのです。
ということは、原典からもう相当長い年月が過ぎてしまっているのです。

聖書の預言(神様から預かった言葉)はどのように実現したか?

旧約聖書に、イスラエル人が自分たちの国を失い世界各地に散らされるという預言があります。
そしてそのように事実全世界にちらされてしまいました。
しかし、聖書の預言には
そのイスラエル人たちがもう一度パレスチナに戻ってきてイスラエルの自分たちの国を立てるということが旧約聖書に書かれていました。
多くのクリスチャンたちは、その預言がもう直ぐ成就すると信じて待ちました・・・
しかしなかなかなかなか実現しませんでした。
それはイスラエル人たちがイスラエルの地をはなれ1000年以上たって、帰ってきてもうすでにすんでいる人たちがいるとこを自分たちの国だといってそこに国を建設するなんてできるはずがないのです。
多くの聖書を批判する人たちは、その預言が成就していないことをもって
聖書は、神の言葉でなないと声をだいにして批判しました。
しかし、しかしです・・・
1952年イスラエル共和国が樹立したのです。
もちろん無理があったのでパレスチナ問題の根がふかいのです。
でも、絶対に無理だと言われたイスラエル共和国ができました。
聖書の預言通りに。
しかし、聖書を批判する人たちは、現存する写本はいっぱいあるけれど、
その数多くの写本が正確に写されてきたものであるということは否定できないけれども
現存する写本の多くは、紀元後1000年くらいのものばかり・・・
だから批判する人たちに対して、あとで書き換えられたという疑問は払拭できなかったのです。

聖書の預言は、あとで事実にそって書き換えられたという批判は

しかし、しかしです・・・
1947年司会のクムラン洞窟でツボに入れられていた多くの写本(死海写本)が発見されたのです。
しかも、その写本は、クムラン教団が写し保存していたもので、
紀元前5〜6世紀のものだということが証明され
全世界に衝撃を与えました。
なぜ、衝撃がというと
旧約聖書のイザヤ書53章の救い主に関する預言、救い主が十字架にかけられ刺し通されて
わたしたちの罪の身代わりとして死ぬことがはっきり預言されているのです。
ということは、この死海写本がイエスキリストの十字架囲碁に書かれていたら
わたしでも、的確に言い当てることができます。

死海写本のイザヤ書53章にある救い主の十字架の意味と目的の預言

しかし、しかしですよ
この死海写本のイザヤ書53章が、イエスキリストの十字架以前、イエスキリストの誕生以前に
書かれていたらどうでしょう。
    ※少し長いですが、イザヤ書53章の抜粋が前のブログに書いてあ 
    るので見てください。びっくりしますよ。驚きです。
                  https://paulokiyoshi.com/archives/1912
人間が、あらかじめこのようなことを予測することはできません。
人間が、神が私たち人間の罪を背負って身代わりに十字架で刑罰を受け死んでくださることなんか考えつくはずがありません。
そして、聖書は、イエスキリストの十字架の意味までその旧約聖書イザヤ書53章にあきらかにしているのです。
それは私たちを愛して、私たちに永遠の救いをあたえるためだと。
そして、それは神様が私たち一人一人を愛しておられるゆえです。
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