
この記事の目次
わたしが救う。わたしが贖う。わたしがあなたがたの神となる。
聖書通読 第5週2日目(火)出エジプト記5–6章/マタイ22章
今日の通読は「状況が悪化する日」です。
でも聖書は、そこで終わりません。
悪化のただ中で、神は“約束”を太くし、心を立て直し、救いへ向かう道を整えてくださいます。
だからこそ、今日の通読はワクワクします。
見える現実ではなく、見えない神の真実が前に出てくる日だからです。
出エジプト記5章|拒絶で悪化する現実と、揺さぶられる心
状況が「良くなるどころか悪くなる」
モーセとアロンがファラオに語ると、ファラオは拒絶します。
それどころか、労役は重くされ、民の苦しみは増します。
民はモーセたちに怒り、指導者は心が折れそうになります。
「神に従ったのに、なぜ悪くなったのか。」という疑問が突きつけられます。
学べること
神の導きは、いつも最短ルートに見えるとは限りません。
神は民を救う前に、圧政の現実をはっきり露わにされます。
それは、救いが“人間の交渉”ではなく“神の御手”によると分かるためです。
また、信仰は「順調な時」より「悪化した時」に本物が磨かれます。
神様が望んでおられること
ここでの問いはこれです。
私は、状況が悪化すると「神はおられない」と結論づけていないでしょうか。
主が望まれるのは、あきらめの断定ではなく、正直な訴えです。
祈りとは、きれいな言葉より「主よ、なぜですか。」と主に向くことです。
出エジプト記6章|折れた感情の上に立つ、折れない契約
「わたしが救う」と主が宣言される
主はモーセに語り、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こさせます。
そして、はっきり言われます。
「わたしが救う。わたしが贖う。わたしがあなたがたの神となる。」
人の気分や状況ではなく、主ご自身の真実で救いが進むことが示されます。
学べること
民は苦しみのために、主の言葉を聞く余裕すら失っています。
それでも主の約束は止まりません。
私たちの感情が折れても、神の契約は折れないのです。
信仰の芯は「私が強い」ではなく「主が真実」です。
神様が望んでおられること
ここでの問いはこれです。
私は、心がしんどい時、神の言葉を“聞けない自分”を責めて終わっていないでしょうか。
主が願っておられるのは、自分を責めることより、約束に寄りかかることです。
聞けない日があっても、主は「わたしが救う」と言い続けてくださいます。
マタイ22章|招きへの応答と、愛に動かされる従順
たとえと問いかけで、心の中心が暴かれる
婚礼のたとえでは、招かれても応答しない人がいます。
神の国は「知っている」だけでは入れず、「招きに応える」ことが問われます。
次に納税の問いでは、地上の責任と神への献身が整理されます。
復活論争では、神は死者の神ではなく生ける者の神だと示されます。
最後に最大の戒めとして、神を愛し、隣人を愛することが中心だと語られます。
学べること
信仰は、議論の強さではなく、応答の姿勢で測られます。
知識が増えても、愛が動かなければ心は固くなります。
主が求めておられるのは、形式ではなく、神への愛が生活に流れ出ることです。
そして、イエスご自身が救いの中心であることも示されます。
神様が望んでおられること
ここでの問いはこれです。
私は、信仰を“正しい答え探し”にしてしまい、神を愛する心が後回しになっていないでしょうか。
主は、愛から出る従順を願っておられます。
神を愛するとは、今日の小さな選択で主を第一にすることです。
隣人を愛するとは、目の前の一人を丁寧に扱うことです。
今日のまとめ|悪化の中で、約束は太くなる
出エジプト5章は「悪化して心が揺れる日」です。
出エジプト6章は「それでも主が契約を握る日」です。
マタイ22章は「招きに応え、愛に生きるよう呼ばれる日」です。
今日の通読で覚えておきたいことがあります。
状況が悪くなる日は、神が遠い日に見えます。
でも実はその日に、神の約束は一番はっきり鳴ります。
だから、祈りの言葉が短くても大丈夫です。
「主よ。あなたは真実です。私を支えてください。」
この一言で、今日の通読は十分“実”になります。

