◎あなたは、だれの心をのぞいてみたいですか?
駅の近くの書店の古本コーナーで古本をまたまた買ってしまいました。
しかしいつもは、本屋でパラパラと見て欲しくなって買ってしまい結局読まずに積ん読ということが多いです。
ですから、情けない話しですが、本立てをじっくり見ると同じ本が何冊かセットになっているという状態です。
今日は、1冊、300円でした。それで、ふつうだったら買わないようなものを買ってしまったのです。
それは、『質問ダイアリー』という本で、365ページにわたって365個の質問が書いてあるだけの本です。
その質問が一日に一行だけ書いてあって、それ以外は空白。その質問に対して書きながら答えていくという本なのです。
全部の質問を見たわけではないのですが、何か新しい発見があるかもという期待から買ってしまいました。
今日の一日目の質問は、
『一度だけチャンスがあるなら、誰の心をのぞいてみたいですか?』というものでした。
わたしは、だれの心をのぞいてみたいのだろうと考えてもなかなか答えがでてきませんでした。
人の心を見たら、絶対にがっかりするだろうなと思ったからです。
親しいと思っている人が実はそうではなかったというようなことがあったら悲しいからです。
そうしたら、わたしは誰の心をのぞいてみたいのだろうか。
自分自身のこころの中はいちばんのぞきたくはありません。
自分のことだから自分のことは自分が一番知っているのに、おかしいことのように思もうかもしれませんが、どうしても自分自身は、自分をひいきめに見てしまうからです。
そして、真っ黒な罪深い自分のうちの事実を認めたくなくて、目をそらすか全く認めたくないということになると思います。
そうしたら、一体誰のこころをのぞいて見たいだろうか?
色々と考えていると、変なことを考えてしまった。
神様のこころの中をのぞいてみたらどのようなものが見えるのだろうかと考えました。
神様はわたしをどのようにみて、わたしに対してどのようなことを考えておられるのだろうと思いめぐらしました。
小さい子供の頃、宿題の算数のドリルをしている時に、後ろに解答があるあることに気がついて、それをみながら答えを書いていた。
しかし、子供ながらわたしはずる賢い子供でした。全部正解だったらおかしいと思われると思い、わざと少しづつわざと間違った答えを書いていました。85点から90点くらいを狙いました。
純真な子供でなく、ずる賢い子供らしくないひねた子供だったと思います。
しかし、子供ながらに悪いことをしている、してはならないことをしているとわかっていて、少しドキドキしていました。
その時、誰かにみられているように感じたのです。
しかし、もちろん誰もいませんでした。
でも、後ろめたさを感じたのを今でも覚えています。
神様のこころの中を知ることはできません。
でも、わたしのこころの中の全てを神様は知っておられるのは事実です。
そう思うと、恐ろしく怖いことであると感じました。
しかし、もし神様がおられるなら、完全で絶対で真実であるはずです。
そして、すごいことは神様の愛も完全で真実であるはずです。
ですから、本当は神様から愛されるはずがないわたしの全てを知っておられて、わたしのこころのうちの全てを知っておられる神様が、わたしを愛してくださるならなんとすごいことだろうかというようなとりとめもないことを考えた一日でした。
確かに、人のこころをのぞくことはできません。ですから、人のこころの内を知ることはできません。
でも、人は相手の思いや感情を汲み取って相手を理解しようと努力することはできます。
そのように考えると、わたしは妻のこころの内を汲み取って、喜びと満足をあたえようとしているだろうか。そして、まわりの多くの人たちのこころを感じようとしているだろうか。
そう考えると、なんと自分は愛のない自分中心なものかとがっかりせざるをえません。