信じて神の栄光を見る生き方は、イエスキリストのアンテナを立て、信仰の口を大きく開けること

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信じて神の栄光を見る生き方は、イエスキリストのアンテナを立て、信仰の口を大きく開けること

「たまたま」に見える出来事の裏側

熱意ある所長さんとの出会い

私は長い間、福祉の仕事をしていました。
そこで、何人もの本当に熱意にあふれた方々と出会いました。

ある時、ある就労支援事業所の所長さんと初めてお会いしました。
障害のある利用者さんのために、どうすれば働く場を広げられるかを、真剣にいつもひっしで考えておられる方でした。

その方と交わっていろいろな話しをしているときに、何度もこう言われるのに気が付きました。
「たまたまなんですよ。」「・・・」「・・・」。

空いていた建物を、信じられないほど安く借りられたこと。
青空市で偶然そこで出品されていた方に話しかけたことがきっかけで、三人の障碍者の方の就労先が見つかったこと。

一つや二つではなく、いくつもそのような話しが続きました。

そのかたは、自慢されていないのです。

どれも「たまたまなんですよ。」と言われるのです。

本当に偶然でしょうか

しかし私は思いました。
それは本当に偶然なのでしょうか。

その方は、いつも障害者の利用者さんのことを考え、その方々の働く場所を探していました。
頭の中で、心の中で、ずっと考え続けていました。

だからこそ、チャンスに敏感だったのではないでしょうか。
アンテナを常に伸ばしていたからこそ、「偶然」に反応できたのではないでしょうか。

そしてわかりました。

アンテナを立てている人にはチャンスが備えられています。アンテナを立てていないひとは、チャンスが訪れないのではなく、訪れてもアンテナを立てて求めていないので、見逃してしまうのではないでしょうか。
ですから、チャンスを受け取れるかどうかは、アンテナが立てていつもチャンスを願っているかどうかにかかっているのです。

イエスキリストというアンテナを立てる

神の栄光を見る人とは

イエス様はこう言われました。

もしあなたが(わたしを=神の御言葉を=神の約束を)信じるなら、神の栄光を見る。

つまり悲しいことですが、信じないなら、神の栄光を見ることが出来ないのです。

信じないなら、神様が用意された神の栄光を見逃してしまう(受け取れない)のです。

神様は今日も働いておられます。
でも、私たちが無関心でいるなら、それはただの出来事で終わってしまいます。

イエスキリストというアンテナを立てるとは、
「神様は今も生きて働いておられる」「神様がわたしを通して栄光をあらわしてくださる」「福音を神様からわたしにゆだねられている」と信じる姿勢です。

祈りはアンテナを高くする

あるクリスチャンは、寝る前も、朝起きたときも、日中も、神様に祈ります。そしてイエスキリストというアンテナを高く掲げます。
そのアンテナとは、自分のこころを神様に方向づけることです。

同じように、祈りは心の向きを神様に合わせる行為です。
祈るとき、アンテナは高くなります。

祈らないと、アンテナは倒れます。
信仰が眠っていると、チャンスは素通りします。

「主よ、あなたの栄光を見せてください。」
この祈りは、ワクワクする祈りです。

 

「受信機」と「アンテナ」の関係で、
「わたしのこころ」 と 「イエス・キリスト」 の関係を説明してみます。

 アンテナと受信機の関係

テレビやラジオを思い浮かべてください。

どんなに高性能なテレビでも、
アンテナがなければ映像は映りません。

逆に、どんなに強い電波が飛んでいても、
受信機がオフになっていれば何も受け取れません。

ここに大切な二つの要素があります。

* 電波はすでに飛んでいる
* 受信できる状態になっているかどうか

わたしのこころは「受信機」

わたしたちの**こころ**は、受信機のようなものです。

神様の導き
神様の語りかけ
神様のチャンス
神様の慰め

これらは、実はいつも「送信」されています。

でも、こころの電源が入っていなかったらどうでしょう。

雑音(不安・怒り・偏見・自己中心)でいっぱいだったらどうでしょう。

受信機が壊れているわけではありません。
ただ、**合わせていない**だけなのです。

イエス・キリストは「アンテナ」

では、アンテナとは何でしょうか。

それが **イエス・キリスト** です。

イエス様は、神様とわたしたちをつなぐ唯一のアンテナです。

神様の愛
神様の赦し
神様の力
神様の栄光

それを受け取るための“方向”を示してくださるのが、イエス様です。

アンテナは、正しい方向に向いていなければなりません。

イエス様に向いている心は、
神様の周波数に合っている心です。

周波数を合わせるとは「信じる」こと

ラジオは、周波数を合わせると音がはっきり聞こえます。

少しずれていると、ザーザーと雑音になります。

信仰とは、周波数を合わせることです。

「神様はおられる」
「イエス様はわたしのために十字架で死んでくださった」
「よみがえられた救い主である」

この信仰が、周波数をぴたりと合わせるのです。

するとどうなるでしょう。

今まで偶然と思っていた出来事の中に、
神様の導きを感じ始めます。

今までただの人間関係と思っていた出会いの中に、
神様のご計画を見始めます。

電波はいつも送られている

大事なことはこれです。

神様は、いつも送信しておられます。

愛も
恵みも
導きも
チャンスも

止まったことはありません。

問題は「電波が来ていない」ことではなく、
「アンテナを立てていない」ことなのです。

受信すると人生が変わる

受信機にアンテナがつながり、
周波数が合うと、世界が変わります。

同じ景色なのに、意味が変わります。
同じ出来事なのに、導きに見えます。
同じ困難なのに、成長の機会に見えます。

これが「神の栄光を見る」生き方です。

まとめ

* わたしのこころは受信機
* イエス・キリストはアンテナ
* 信仰は周波数を合わせること
* 神様はいつも送信しておられる

アンテナを高く立てていれば、
受信ははっきりします。

そしてイエス様は、十字架と復活によって
「あなたは愛されている」という最強の電波を、
永遠に送り続けておられます。

あとは、受信機の電源を入れるだけです。

それが、「信じる」ということなのです。

 

【付録】

信仰の口を大きく開ける

あなたの口を大きく開けよ

詩篇81篇11節にはこう書かれています。

「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」

なんと大胆な約束でしょうか。
神様は「少しだけ開けよ」とは言われません。
「大きく開けよ」と言われます。

小さな期待ではなく、大きな期待を持ちなさいと言われるのです。

ジョージ・ミュラーの信仰

ジョージ・ミュラーは、孤児院を神様に信頼して運営しました。
資金のあてもない中で、祈り続けました。

信仰の口を大きく開けたのです。
そして神様は、その器を満たされました。

神様は、信仰の器に応じて満たされます。
小さな器なら小さく。
大きな器なら大きく。

ワクワクしませんか。
神様は今も「大きく開けよ」と言っておられます。

神の栄光を見る生き方

心のはかりを広げる

人は、自分の心のはかりで量れるものしか受け取れません。
偏見や思い込みで、小さなはかりになっていないでしょうか。

「どうせ無理。」
「そんなことは起こらない。」
この言葉はアンテナを折ってしまいます。

「神様ならできる。」
この一言が、アンテナを高く掲げます。

信じて見る世界

神様は偶然を用いられます。
出会いを用いられます。
日常を用いられます。

イエスキリストのアンテナを立てている人は、
その中に神様の手を見ます。

信仰の口を大きく開けている人は、
満たされる瞬間を体験します。

信じるなら、神の栄光を見るのです。

今日から始める一歩

神様のチャンスは、今日もあります。
あなたの職場で。
あなたの家庭で。
あなたの出会いの中で。

イエスキリストというアンテナを立ててください。
そして、信仰の口を大きく開けてください。

「主よ、あなたの栄光を見せてください。」
「あなたが満たしてくださると信じます。」

そのとき、「たまたま」は「導き」に変わります。
偶然は、証しに変わります。

信じて神の栄光を見る生き方。
それは、ワクワクする冒険です。

今日もアンテナを高く掲げましょう。
そして、口を大きく開けましょう。

神様は、必ず満たしてくださいます。

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