【ホッと一休み】聖書通読はマラソンではなく、愛する方との「なごやかな散歩」です。
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聖書通読を楽しい神様との交わりのひと時として過ごされているでしょうか。それとも少し窮屈になって義務的になって疲れておられるでしょうか。でも、聖書通読は短距離走でもマラソンでもなく、愛する方との「なごやかな散歩」です。一週間、お疲れ様でした。

わたし自身、聖書通読をお手伝いしようと気合が入りすぎて、正直『毎日が試行錯誤』の連続です。注解書的になりすぎたり、解説に力を入れ過ぎて長くなりすぎたりして、どのような形で聖書通読のお手伝いができるのか毎日答えが見つからず『思考の迷路』という沼にはまってなかなか出てこれないことが良くあります。

でも、みなさんと一緒に聖書通読できることがわたしにとっての一番の喜びであり楽しみです。

週の終わりに、張り詰めた心をそっと解きほぐし、神様の深い愛に包まれるための3つのメッセージをお届けします。


この記事の目次

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1. 荒野に刻まれた「見えない足跡」

〜あなたの歩みは、主の肩に担がれている〜

今週、イスラエルの民が荒野を移動した42の拠点をたどる民数記33章を読みました。地名の羅列に見えるその記録は、実は神様が彼らを見捨てず、40年間一歩一歩共に歩まれた「恵みの足跡」です。

ある有名な『あしあと(Footprints)』という詩があります。人生を振り返ると、砂浜に二組の足跡が続いていた。一つは自分のもの、もう一つは主のもの。しかし、最も苦しく、悲しい時期には、足跡が一組しか残っていなかった。人は主に問いかけます。「なぜ一番辛い時に、私を一人にされたのですか」と。主は優しく答えられました。「子よ、あの一組の足跡は、わたしがあなたを背負って歩いた跡なのだよ」。

聖書通読も同じです。内容が難しく感じられた日、忙しくて数行しか読めなかった日、あなたは「自分の努力が足りない」と思ったかもしれません。しかし、主はそのようなあなたをこそ、愛おしそうに肩に担いで歩まれています。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしは造ったゆえに、担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書 46章4節)

今週のあなたの歩みの中で、主があなたを背負ってくださった瞬間を一つだけ思い出してみてください。それは、ふとした瞬間の平安だったかもしれません。主の腕の中で、今はゆっくりと羽を休めてください。

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2. 「逃れの街」という名の、神様の温かな抱擁

〜失敗した自分・愚かな自分を、主の憐れみが包み込んでくださる〜

今週は、過失を犯した者が命を守るために逃げ込む「逃れの街」についても学びました。神様は、人間の弱さや不完全さをあらかじめ知っておられ、裁きではなく「救いの道」を先回りして準備してくださるお方です。

ある日、一人の信者が「今日も御言葉を十分に理解できず、つい不平を漏らしてしまった」と肩を落として祈っていました。すると、心にこんな温かな響きが届きました。「あなたは『逃れの街』を、重苦しい石の壁の牢獄だと思っているのですか? そこは、わたしがあなたを抱きしめるための、温かな部屋です」と。

私たちは「立派なクリスチャン」になろうとして疲れてしまうことがあります。しかし、神様が喜ばれるのは、立派な成果を出すことではなく、弱さを抱えたまま「主よ、助けてください」と、その憐れみの懐に飛び込んでいくことです。主は、あなたが逃げ込んでくるのを、両手を広げて待っておられます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節)

今週の失敗も、後悔も、すべて主の懐(逃れの街)に置いていきましょう。大祭司であるイエス様の愛が、あなたをすべての重荷から解放し、新しい明日の息吹を与えてくださいます。

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3. 鉄の戸を押し開く「小さな祈り」

〜あなたの『信じきれない祈り』さえ、主は喜びこころにとめてくださる〜

使徒の働き12章では、絶体絶命のペテロが天使によって牢獄から救い出されるという、驚くべき奇跡が描かれました。この時、教会の人々は必死に祈っていましたが、いざペテロが目の前に現れると、「まさか!」「幽霊じゃないか?」と信じることができませんでした。

このエピソードは、私たちに大きな「ホッと」を届けてくれます。奇跡が起きたのは、彼らの信仰が「完璧だったから」ではありません。むしろ、信じきれないほど動揺し、不完全なまま捧げられた「必死の祈り」を、神様がこころにとめてくださったからです。

あなたが今、抱えている問題や、読み進める中での疑問、あるいは家族への祈り。「本当に大丈夫だろうか」という不安混じりの祈りであっても、神様はそれを「尊い香」として受け取られます。あなたの小さな祈りは、すでに天を動かし、見えない場所で「鉄の戸」を押し開いています。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロの手紙 第一 5章7節)

週の終わりに、すべての「思い煩い」を主にパスしてしまいましょう。あなたが眠っている間も、神様はあなたの人生のために最善の働きを続けておられます。あなたはただ、愛されている子供として、安心して目を閉じるだけでいいのです。

結びとして・・・

聖書通読はマラソンではなく、愛する方との「なごやかな散歩」です。もし一週間の中で予定通りにいかなかった日があったとしても、それは神様があなたに「余白」をくださった時間かもしれません。

明日からの新しい一週間も、主の豊かな恵みが皆さまの上に注がれますように。皆さまの心と体が、主の平安によって深く癒やされることをお祈りします。

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