聖書通読 第5週5日目  出エジプト記11–12章/マタイ25章『過ぎ越された家・裁きの中で守られる恵み』

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聖書通読 第5週5日目  出エジプト記11–12章/マタイ25章『過ぎ越された家・裁きの中で守られる恵み

「血がある家は過ぎ越される」。この不思議な守りの中に、十字架へ続く救いの型を見ます。


 1.出エジプト記11章 夜明け前の宣言。神は「終わり」をもって道を開かれる

1)内容の流れ

第十の災いが告げられます。
エジプトでは初子が打たれるという、重い宣告です。
同時に神は、イスラエルの民がエジプト人から金銀の品を受け取って出ることも備えられます。
モーセは主の言葉を携えて、もう一度ファラオの前に立ちます。

2)学びのポイント

ここで見えるのは、救いは「人の気分」では動かないということです。
ファラオが折れないから計画が止まるのではなく、神が定めた時に道が開きます。
また、災いが厳しさを増すほど、神の正しさと憐れみの区別がはっきりします。
神は悪を放置せず、しかし救いの民には守りの道を備えられます。

3)神様が私たちに望まれること(問題定義)

「神が語られたことを、状況が暗い時ほど信じられますか。」
主は、夜明け前にこそ約束を握る信仰を願っておられます。
不安が消えてから従うのではなく、御言葉によりかかって立つ心を望まれます。


2.出エジプト記12章 過越。血のしるしが「裁き」から「いのち」へ守る

1)内容の流れ

神は過越(すぎこし)の定めを与えられます。
小羊をほふり、その血を家の門柱とかもいに塗るように命じられます。
そして夜、主がエジプトを打たれる時、血のある家は過ぎ越されます。
民は急いで出発し、長い奴隷生活に区切りがつきます。
この出来事は、代々記念として守るように定められます。

2)学びのポイント

過越は、ただの歴史ではなく「救いの型」です。
守りは、家の人の立派さではなく、血のしるしによります。
これは福音に直結します。
罪の裁きから救われるのは、私たちの功績ではなく、主が備えた代価によるのです。
小羊の血がイスラエルを守ったように、キリストの十字架は私たちを守ります。

3)神様が私たちに望まれること(問題定義)

「あなたは、救いの根拠をどこに置いていますか。」
主は、自分の正しさではなく、主の備えた恵みに信頼することを願っておられます。
そして救われた民として、恵みを記憶し、礼拝を生活の中心に戻すことを望まれます。


3.マタイ25章 花婿を待つ信仰。地の上で“実”を結ぶ準備

1)内容の流れ

この章は、終わりの日に備える三つのたとえが中心です。
十人の娘のたとえでは、油の備えがない者は花婿を迎えられません。
タラントのたとえでは、主人から預かったものをどう用いたかが問われます。
最後に羊と山羊のたとえで、困っている人への愛の行いが、信仰の実として示されます。

2)学びのポイント

主は、外側の熱心さだけでなく、内側の備えを見ておられます。
油は、目立つパフォーマンスではなく、日々の祈りと御言葉、主との交わりの象徴のようです。
またタラントは、能力の大小より「忠実さ」が問われます。
さらに愛の行いは、救われる条件というより、救いを受けた者に実る自然な実です。

3)神様が私たちに望まれること(問題定義)

「あなたの信仰は、今日の生活に油として蓄えられていますか。」
主は、先延ばしではなく、今日、目を覚まして歩くことを願っておられます。
そして与えられた時間、賜物、出会いを、主の愛のために用いることを望まれます。


結び きょうの通読がくれるワクワク

出エジプト11–12章は、救いが歴史の中で現実に起こる場面です。
マタイ25章は、その救いを受けた者が、主を待ちつつ地上で実を結ぶ歩みへ招かれます。
神は「救い出す方」であるだけでなく、「救われた者を育てる方」でもあります。
きょうは、恵みによって守られ、恵みによって備え、恵みによって実を結ぶ一日です。

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