今朝トイレで座っていると、目の前にポインセチアがありました。
淡いピンク色できれいでした。そのとき、ブログに書こうと頭の中で構想が勝手に動き出しました。
その内容は、ポインセチアは、クリスマスの花で葉っぱが赤くなって、イエス・キリストが十字架で流された血潮をあらわすということを書きたいなあと頭をよぎりました。
ここからが、私自身の悲しい無知です。
それは、緑の葉っぱがだんだん色が変わって赤色の葉っぱになると思ってしまったのです。緑の葉っぱからピンクになって、最後はあざやかな赤になるんだ、すごいなぁと自分勝手に感動してしまいました。
でも、ピンクになって最後は赤になるのか少し不安がありました。
それでも、ピンクが赤になればすごいと思いました。それでも少し違うかなと不安だったので、トイレを出てすぐに家内に聞きました。
トイレのピンクのポインセチアは、だんだん赤色に変わっていくんやねって。
すると、家内は一言、「ピンクはピンクやで。ピンクのポインセチアやから・・・」と。
無知って怖いと思いました。こんな無知を人に知られる前にわかって良かったと思いました。
でも、このブログに書いているので、多くの人に公表してしまいましたが・・・
それでも、葉っぱが緑の時に、それがピンクになるか赤になるか、どうしてわかるのか不思議に思って家内に聞くと、「調べたら?」という冷たい返事が返ってきました。朝の忙しいときに何も手伝わずに、聞いているのですから仕方がないのですが。
無神論の国であり社会主義の国であるロシア(旧ロソ連)を旅行した人から、以前に聞いた話しですが、無神論の国であっても、カレンダーは日曜日から始まるそうです。
そして、日曜日の色は赤だそうです。
週の始まりは、月曜日ではなく、日曜日です。何故かというと、十字架で赤い血を流し、いのちを捨ててくださったイエス・キリストが墓に葬られ、三日目に死を打ち滅ぼして甦ってくださったのが日曜日だったからです。それまでは、ユダヤ教で安息日は週の終わりの土曜日が礼拝の曜日でした。
創世記のはじめに出てくる神様の創造の御業で、全てを作られて、最後の一日を休まれたとあります。それが、聖書に出てくる『安息日』です。週の最後に神様は、すべてを良しとされて休まれたのです。
ですから、ユダヤ教では、神様を礼拝するのは、週の最後の土曜日でした。しかし、ある時から、神様を礼拝するのが、週の最後ではなく、週の最初になったのです。ユダヤ教は厳格な宗教だそうです。
ですから、ユダヤ教が信じて礼拝をしていた週の終わりの土曜日から、多くの人たちが週の始めの日曜日に礼拝の曜日を変更したというこの事だけをとってみても、日曜日に礼拝が変更された大変な理由があったということは歴然です。
さて、何が起こったのでしょう。
イエス・キリストが十字架にかかったのは、金曜日でした。そして、土曜日の夕方には、イエス・キリストは完全に死にました。わき腹に槍がさされると血と水がわかれて流れ出たそうです。これは、完全に死んだからこそ起こる現象だそうです。墓に葬られ、2トン以上の重さの石で、ふたをされた墓に葬られました。そして、イエス・キリストが自分は死んで三日目に甦ると宣言されていたので、寝ずの番をする番兵が数名交代しながら盗まれないように見張りをしました。
しかし、
三日目の週の始めの日曜日の朝、寝ずの番をする番兵たちがいたにもかかわらず、
墓は空(から)になったのです。そして、多くの人たちのまえに、死を打ち滅ばして甦られたイエス・キリストは、姿をあらわされたのです。
すなわち、週の終わりの土曜日にささげられていた礼拝が、週の始めの日曜日に変わったのは、イエス・キリストが甦られたからです。イエス・キリストが死に、全てが終わったと思われたのが、イエス・キリストの甦りによって、すべてが始まったのです。
罪人の永遠の救い、罪の完全な赦し、永遠の祝福がスタートしたのです。
ですから、日曜日が週の始めであり、日曜日はイエス・キリストの十字架で流された血潮の記念の『赤』色なのです。
日曜日は、休みの日だと思っているでしょう。
でも、日曜日が休みとなったのは、始めからではなく、また、休みになったのは、それほど昔でもないのです。私の記憶では、以前は、日曜日が仕事であったのですが、イギリスの郵便局の職員たちが、イエス・キリストの甦りを記念したい、週の始めの日曜日に礼拝をしたいと強く願いあきらめずに戦って、日曜日の休みを勝ち取ったということを聞いたことがあります。
ポインセチアの赤は、十字架で流されたイエス・キリストの血潮を記念する色なのです。