あなたにとってクリスマスとは どのような時でしょうか?
世界で初めてのクリスマスの時がありました。
それば神様が人となってこの地上に来てくだった、あなたにとってもっとも素晴らしい喜びの知らせの時でした。
「恐れることはありません。
今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
と・・・
神様の素晴らしい救いの成就のための神様の宣言です。
時間や場所に制約されない神様であるイエスキリストが、人となって時間や場所に制約されるこの地上に来てくださったのです。
そして、その目的は・・・
私たちが受けるべき罪の刑罰の身代わりに十字架にかかって死ぬためだったのです。
『世界ではじめのクリスマス』という歌を聴いてください。
世界で初めのクリスマスは、どのようなクリスマスだったのでしょうか?
◉聖書 ルカの福音書2章8節〜11節◉
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
世界で最初のクリスマスの第一報を受け取ったのは、野にいた羊飼いたちでした。
世界で最初のクリスマスの第一報を受け取ったのは、多くの人から賞賛を受ける地位や名声のあるこの世の成功者ではなく、野にいた羊飼いでした。
この時代の羊飼いは、社会の最下層の人々として見下げられ、さげすまれる存在の代表でした。
他に同じように見下されていた人たちは、取税人、および遊女たちでした。
羊飼いは、人から見下され、誰からも相手にされないような寂しさと空しさを味わっていたかもしれません。
自分たちも神様から愛されるようなものでないと思っていたでしょう。
でも、そのようなものたちに主の御使いがきて、
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせにきたのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
と、喜びの知らせを届けたのです。
誰からも愛されない。誰からも相手にされない寂しさを覚えていた羊飼いは、びっくりしたことでしょう。
こんなわたしたちのところに救いがもたらされた。
こんなわたしたちを神様は見捨てることなく、愛してくださっていると知った羊飼いたちは、どんなに嬉しかったでしょう。
だから、すぐに喜び勇んで救い主を礼拝しようと急ぎました。
「そして、急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみごりごとを捜し当てた。」
もちろん、人は職業や生まれや立場や功績で評価されるものではありません。
神の前にすべての人はどうしようもない罪人という唯一の立場しかありません。
また、神が人となってこの地上に生まれてくださった救い主は、宮殿や由緒ある豪邸ではなく、家畜の糞や尿で汚れ不衛生な「家畜小屋」で生涯のスタートをきってくださいました。
罪汚れのない義なる正しい神様が、罪人の立場をとって、罪汚れたこの世にきてくださったということは、家畜小屋をもってしても比べることができないくらい汚れた場所に来てくださったということです。
例えば、皆さんはウジ虫を見たことがあるでしょうか。私は、もう相当以前ですが、教会の会堂を自分たちで建てる手伝いをした時に、以前のトイレであった場所を掘り返した時、大量のウジ虫を見つけました。もう気持ちが悪くなってもどしそうになったくらいでした。
しかし、その時に思いました。
神が人となってこの地上に来てくださったということは、私がこのウジ虫になってこのウジ虫の世界に入ることができても、神が人となってこの地上に生まれてくださったということには比べることができないと思いました。
なぜなら、罪なき者が罪ある者の立場を取るという苦しみは私たちには想像もできないことだからです。
また、私がウジ虫になってウジ虫の世界に入ることができたとしても、私は、そのウジ虫たちのために自分のいのちまでも捨てるようなことはもちろん絶対にできません。
しかし、イエスキリストは、ウジ虫以下の私たちのために十字架で尊きいのちを捨ててくださったのです。
そのために、この地上に人となって来てくださったのです。
ですから、わたしは、クリスマスをこころから感謝します。
ですから、わたしは、イエスキリストをこころから褒め称えたいのです。
これが、わたしのクリスマスのときに想うことです。