ある人から「クリスチャンになって今まで一度も信仰を捨てようと思ったことはありませんか?」と尋ねられました。
わたしは、「クリスチャンになって今まで一度も信仰を捨てようと思ったことはありません」と、
言いたいのですが、一度だけ信仰を捨てようと思ったことがありました。
いえ、思っただけでなく信仰を捨てました。そしてイエス様を裏切ってしまったのです。
この記事の目次
日曜日に教会に行けないことが苦しくて礼拝したいと心から望んだ・・・
それは、イエスキリストを信じて(イエス様が私を愛して私の罪の刑罰の身代わりに十字架にかかって死んでくださったこと、また三日目に死の力を打ち破って甦られた救い主と信じ受け入れたとき)クリスチャンになってしばらくしたときのことです。
喜びがありました。
イエス様に愛されている感謝がありました。
しかし大学を卒業して自分が望んでいた第一希望の仕事内容の大企業に就職して満足していました。
将来の仕事の展望もいろいろ描き、夢を膨らましていました。
自分で言うのも恥ずかしいのですが、休みの日でも休まずに他の店舗に見学に行き、外から見るだけでなくそこで中に入って仕事をさせてもらって、いろいろな仕事の進め方を勉強させてもらっていました。
しかし、クリスチャンになって日曜日に仕事で礼拝に行けないことがだんだん苦しくなってきました。
日曜日は、イエス様が十字架で死に墓に葬られ三日目に復活された週の初めの日です。
だのに仕事で礼拝に出席できないということが辛かったので、
日曜日に仕事を休めないのなら、それ以外の教会の集会にいっぱい出席しようと思いました。
水曜日の祈祷会、金曜日・土曜日・日曜日の夜の聖書学び会にほとんど出席しました。
こんなにいっぱい出席しているのだからそれでいいと思いました。
でも、もっともっと苦しくなってきました。
イエス様が私を愛して私の罪の刑罰の身代わりに十字架にかかって死んでくださって、週のはじめの日曜日の朝に甦ってくださったのに、自分はその日曜日に礼拝できないということがどんどんしんどくなってきました。
日曜日に礼拝をするために仕事を辞める決心をする。
それで、仕事を辞めて、日曜日休みの仕事を捜そうと決心しました。
しかしすぐに決心できずに、何日も何日も迷い悩み苦しみました。
せっかく、安定した大企業の会社に就職して、やりがいのある仕事が見つかったのに・・・
将来の夢もできたのに・・・
いろいろ悩んだ結果、クリスチャンなら日曜日の礼拝を守るために日曜日の仕事を辞めなければならないから、仕事をやめようと決心したのではないのです。
クリスチャンならこうすべきだと言うのではなく、
クリスチャンであるわたしはどうしたいのかということを第一としたのです。
それで思い切って・・・
私の母親に話しをしました。
でも、母親は、せっかく大企業に就職し、安定が約束されていて。給料も高額なのに何故辞めなければならないといって、今まで見たこともないような悲しい顔をしました。
そして、黙って下を向いていた母が、急に号泣しました。
わたしは、それまで母親を泣かせたことは一度もありませんでした。
そして、どんなことがあっても親を泣かせてはならないと思っていたので、胸が締め付けられる思いでした。
その後、何日も考えました。
その結果、わたしは、どんなことがあっても母親を泣かせるようなことは間違っていると思いました。
そんなことがあって、私は教会に行くことを辞めようと思ってしまったのです。
信仰を捨てる決心をして教会に行かないようにしました。
苦しいけど仕方がないと思いました。これしか方法がないと自分自身を思い込ませました。
それから、一週間、二週間が過ぎました。
それまで日曜礼拝には行けなかったのですが、平日の夜の集会には数多く出席していたのに・・・
全く教会に行かなくなりました。
辛かったですが、目をそらしました。いっさい聖書も棚の奥にしまって見ないようにしました。
そのうちだんだん記憶や感情も薄れていって、無理やり過去のことにしようと努力しました。
しかし、どんどん辛く苦しく悲しくて仕方がありませんでした。
それで、どんどん苦しくなってくるのをごまかすために、倒れるくらい休まずに仕事に没頭しました。
そして、自分は信仰を捨てた、イエス様を捨てた、自分は神様を裏切ったのだから、もう神様から愛されるはずがないと思いました。
もういろいろ考えることが苦しくて、休みのときは、パチンコ屋に入りびたっていました。
でも、どんどん苦しくなってどうすることもできなくなりました。
そんな時、本屋で驚くべきものを発見!信仰が回復へ・・・
そんな時です、小さな本屋に入って何気なく見た雑誌から目を離すことができなくなりました。その雑誌のあるページにむごたらしい、惨めな、きたならしい絵がのっていました。
それは、イエス様の十字架の絵でした。
ここに書いていいのかわかりませんが、正直に書きます。その絵は、ひょっとすると無名の画家が描いた絵で全然、評価されないようなものだったと思います。もしくはただのイラストを描く人が描いた絵だったのかも知れません。
ですから、二度と、その絵を見ることは出来ていません。
しかし、イエス様の十字架の絵でこんなにむごたらしく、惨めで、きたなく気持ちの悪い絵はないでしょう。
何故なら、イエス様の釘打たれたところから血がしたたっているだけでなく、ウジ虫がわいているのです。その絵を見てわたしは、悔しくて悲しくてつらくてそばに人がいたにもかかわらず泣いてしまいました。
そして、イエス様に「何故ここまでしなければならないのですか?」とつぶやいてしまいました。
しかし、神が人となってこの罪けがれたこの世にきてくだりわたしの罪のために死んでくださったことは、わたしがウジ虫のために死ぬよりももっとすごいことです。
私の見た絵は、全く価値のないただの恐ろしい汚いだけの絵だったのかも知れません。
そして、本当の十字架はわたしがこの時に見た絵よりも、もっともっとむごたらしく、どんなすごい画家でも、その十字架のむごたらしさ、きたなさ、惨めさ、恐ろしさを絶対に表現することはできないでしょう。
そのとき、わたしは、はっきりと
この十字架にイエスキリストをつけたのはわたしの恐ろしい罪である
ということを確信しました。
そして、イエスキリストは、わたしのすべてを知っておられるのに、わたしを愛してくださっていること、そして、永遠に変わらない真実な愛でわたしを愛し続けてくださることを確信しました。
そして、たとえ仕事がなくても、持っているものすべてを失ったとしても、イエス様がいて下さればそれで十分であると確信しました。
◉聖書 ピリピ人への手紙 3章7節〜9節
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
長く休んで教会には行きづらかった私に・・・神様の助けで一人の訪問者が
たとえ仕事がなくても、持っているものすべてを失ったとしても、イエス様がいて下さればそれで十分であると確信しました。
そしてちょうどそう決心したのですが、
ダメなわたしは長く教会を休んだので行きづらくなっていました。
そのような時に神様の助けとしか言いようがないことが起こりました。
ある日の夜遅くに、わざわざ教会のクリスチャンがわたしの家を訪問してくださいました。
「歩いていたら偶然、珍しいあなたの名前の表札を見つけたのでひょっとしたらと思い訪問しました」と、絶対に訪問しようと決めて家を探して来てくださったに違いないと思うのですが・・・
そして、そのクリスチャンの青年にすべてを正直に話しました。
その人は、自分のことのようにじっくり聞きながらすごく喜んでくださいました。
そして、一緒に神様に感謝のお祈りをしてくださいました。
そして教会に入りづらいかと思い、教会の前で待っていてくださいました。
その配慮が嬉しかったのを覚えています。
イエス様を裏切ったわたしはイエス様から愛される価値なき者です。
それ以来、45年間、こんなに弱い愚かなわたしを神様がいつも一緒にいてくださったので、信仰を捨てようと思ったことはありません。
一度、信仰を捨て、イエス様を捨て、私のための十字架と復活の福音をなきものとし、神様の愛と恵みを台無しにしたこんな私を・・・
イエスキリストはずっとずっと愛してくださっていたということを感謝します。
そしてこれからも愛し続けてくださると確信して感謝です。
信じられない『とてつもない大きな愛』と
理解できない『素晴らしい恵み』を感謝します。
「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のためになにをしたか。」
わたしがイエス様の十字架の絵を見て深く考えさせられたように、次に紹介する讃美歌の作詞者も、イエス様の十字架の絵を見て自分自身の信仰について深く考えたようです・・・
その人は、讃美歌332番の作詞者であるフランシス・ハヴァーガルという人です。
よく歌われる讃美歌332番「主はいのちをあたえませり」の
作詞者の名前としてフランシス・R・ハヴァーガルとあります。
今からお話ししようとしている女性の作詞家なのです。
フランシス・ハヴァーガルは1836年、英国ウースター県のアストレーという町、ロンドンの西北150キロほどのところですが、そこの英国国教会の牧師の娘として生まれました。
私たちには考えられないほどの文学的、語学的な才能があったとのことです。
2~3歳で文字を覚え、4歳で聖書を読んだり聖句を書いたりし始め、7歳の時にはもう讃美歌を作ったと言われています。
20歳になるまでには、信じられない話ですが、聖書の大部分を暗唱していたと言います。
さらに、彼女は語学にも優れ、ドイツ語、フランス語、イタリヤ語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を修得していました。
フランシス・ハヴァーガルが作詞した讃美歌の中で最もよく知られているのは、
讃美歌332番「主はいのちをあたえませり」でしょう。
この讃美歌をフランシスは21歳の頃に書いたと言われています。
直訳を読むことで、作詞者の本来の気持ちを推し量ってみましょう。
今から読む直訳の方の歌詞の中の
「私」というのはイエスさまご自身のことです。
1:私はあなたに私の命を与えました。
私の尊い血を流したのは、あなたが贖われ、死から甦るためなのです。
私はあなたのために私の命を与えました。ほんとうに与えたのです。
あなたは 私のために 何を捧げましたか。
2:私はあなたのために、あなたが表現できないほど、苦しみました。
あなたを地獄から救うために最もむごい苦悩を味わいました。
それはみな、あなたのためでした。
あなたは 私のために 何を苦しみましたか。
3:私は、天の住みかから、あなたに完全な、無償の救いをもたらしました。
私は豊かな賜物をあなたに与えました。
あなたは、何を 私に捧げましたか。
フランシス・ハヴァーガルがこの讃美歌を作詞した直接の動機は、
彼女が16歳の時、ドイツのデュッセルドルフという町に留学し、
翌年までそこに滞在した時に、そこの美術館で見た絵にありました。
シュタンバーグという画家の「エッケ・ホモ(この人を見よ)」というタイトルの、
十字架にかかっているイエス・キリストの絵でした。
イエス様の周りにラテン語で
「私はあなたのために命を棄てた。あなたは、私のためになにをしたか。」
と書いてあったとのことです。
デュッセルドルフ滞在中にこの絵を見て、祈りの中で、この言葉を噛みしめ、主が命を捨て給うたのが、本当に自分のためであると感じました。
帰国して数年後、この讃美歌「主はいのちを与えませり」を作詞したのでした。
最初彼女は、この讃美歌が余りにも個人的、感情的であるという理由で、公表するのはとても耐えられないことと、思っていました。
そこで彼女は、この詩を書いた紙片を暖炉に投げ込みました。
ところが風に煽られて焼けずに戻ってき来、それを読んだ牧師である父が良い歌だと言ってくれたので、彼女も残しておく気になったということです。
もし、その時、風が吹かなかったら、父牧師がそれを一目見ていなかったら、この美しい讃美歌は私たちに残されていなかったでしょう。
そう考えると、不思議な神様の摂理を感じます。
ともあれ、イエス・キリストが命を捨ててまで自分を愛してくださっていることをフランシス・ハヴァーガルは痛切に感じ、信じることができて、それをこの歌で表そうとしたのでした。
さきほどの讃美歌から15年後の、1874年に発表された讃美歌339番、「主よささげます、わたしのいのち」には彼女の人間的な苦悩が秘められているということです。
日本語に訳されている部分からは、それを読みとることはできないのですが、
実はこの讃美歌の元の詩は12節まであって、
その1節ごとに「主よ~を取り上げてください」というふうに異なったものが書かれています。
今、その主に差し上げようとしているものを列挙してみます。
① 私の命、
② 私の時間、
③ 私の両手、
④ 私の両足、
⑤ 私の声、
⑥ 私の唇、
⑦ 私の金銀、
⑧ 私の知性、
⑨ 私の意志、
⑩ 私の心、
⑪ 私の愛、
⑫ 私自身
と作詞されていたのです。
わたし自身が神様に捧げられるものは、考えてみればいくらでもあります。
それらを喜んで神様に捧げたいものです。
1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
(ローマ人への手紙 12:1-2)