
瞬(まばた)きの詩人と呼ばれた『水野源三さん』のことを紹介します。
その『心からあふれ出た神様への感謝と喜びの詩』を紹介したいのです。
水野源三さんは、昭和21年9歳の時、
赤痢のために高熱が原因で脳性小児麻痺になられ、
手足を自由に動かすことも話すこともできなくなられました。
見ること聞くことはできましたが、
意思表示の手段は瞬き(まばたき)をすることだけでした。
お母さんがパンの焼き方を必死で習得し、家でパン屋さんをするようになりました。
そこのお客さんに一人の牧師がいました。
その牧師は、パン屋さんの奥にいる水野源蔵さんに気がつきました。
それで、聖書をプレゼントしてくれたそうです。
いろいろの宗教が訪れたりしたそうですが、その牧師は来る日も来る日も水野源蔵を訪れて
愛なる神様の御言葉を語ってくれたそうです。
そしてついに水野源蔵が15歳の時にイエスキリストを自分の救い主と信じたそうです。
ラジオのキリスト教放送を聴かれ、また聖書通信教育も受けられて、牧師の前でイエスキリストを信じたそうです。
47歳で召天されるまで、聖書を深く学び、こころ静かに祈る時に多くの時間をさいたそうです。
またそれ以外の時間は、
心からあふれでる神様への感謝と喜びの言葉を詩や短歌、俳句などにされました。
最初はおかあさんが、あいうえおの50音表で
一つずつ 指差し、その文字にきた時に瞬きで合図するという方法で一つ一つの作品を作られました。
詩集は4冊あるのですが、
その中のいくつかを紹介したいと思います。
水野源三さんの信仰と神様への賛美はすさまじいものがあります。
水野源三さん信仰と神様への魂の賛美
この記事の目次
◉そうではない◉
歩むのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に歩みたもう
悩むのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に悩みたもう
祈るのは私ひとり
そうではない
そうではない
私の願いを知っておられる
主イエスが共に祈りたもう
◉朝静かに◉
朝静かに この一日の 御恵みを 祈りおれば
わが心に あふれくる 主イエスにある やすらぎ
朝静かに 霊の糧なる 御恵みを 学びおれば
わが心に あふれくる 主イエスにある 望み
朝静かに 新しい日を たもう御神 たたえおれば
わが心に あふれくる 主イエスにある 喜び
◉有難う◉
物が言えない私は 有難うのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも 心から ほほえむ
◉忘れないうちに◉
今 聞いたこと
見たこと
心に感じたこと
忘れないうちに 消えないうちに
主のうるわしいみわざを
賛美する詩をつくる
◉心はふしぎな所◉
心は ふしぎな所
信じるべきを うたがい
愛するべきを 憎み
のぞむべきを 落胆し
喜ぶべきを 悲しみ
心はふしぎな所
いったん主の御手にふれるならば
見たり きいたり
ふれたり しなくても
信じ 愛し のぞみ
喜ぶことができる
◉苦しまなかったら◉
もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
◉砕いて砕いて砕きたまえ◉
砕いて砕いて砕きたまえ
み神のうちに生かされているのに
自分ひとりで生きていると 思いつづける心を
砕いて砕いて砕きたまえ
み神に深く愛されているのに
ともに生きる人を真実に愛し得ない心を
砕いて砕いて砕きたまえ
み神に罪を赦されているのに
他人の小さなあやまちさえも赦し得ない心を
砕いて砕いて砕きたまえ
◉御心のままに◉
この道行きたいと願っても
御心でなければ行かれない
御心を成したもう御神よ
御心のままに行かせたまえ
試練をさけたいと願っても
御心でなければ避けられない
御心を成したもう御神よ
御心のままに助けたまえ
どんなに生きたいと願っても
御心でなければ生きられない
御心を成したもう御神よ
御心のままに生かしたまえ
私たちの口から出る言葉やこころで思うことは、いっぱいあります。
しかしそれらの言葉はどのようなものでしょうか?
それを誰かが言葉として書きしるし残してくれるとしたら
水野源蔵さんのように心から神様を褒め称える言葉でいっぱいになるでしょうか?
もっともっと、こころから神様を褒め称えたいです。
詩篇66:2
御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。
◉ 私 が い る ◉
ナザレのイエスを十字架にかけよと要求した人
許可した人
執行した人
それらの人の中に
私がいる