『 試練をくぐった者の告白 』 (読み人知らず)というクリスチャンの詩を読みました。
私自身の求めるものと神様のみこころとは違う場合が多くあります。
しかし
『神様は全てを益としてくださる方』です。
そして『信仰には必ず報いてくださる方』です。
ルツ記は聖書のページ数で言えば 6ページくらいしかありません。
ルツは神様が 「こうして下さってこんな素晴らしい祝福を与えてくださる」 ということを知っていたから、従順にけなげに神様を信じ信頼して歩んだのではありません。
反対に、人間的には求めているものが得にくい状況にどんどん入り込んで行きます。
それでも、ルツの神様へのけなげさは素晴らしく美しく感じます。
私もルツのように神様だけを信頼して従順に従って、
私の人生の次のページをめくれば
たった6ページくらいのルツ記の次のページに隠されている神様の計画と祝福を見るように
神様の用意して下さっている神様のみこころをもっともっと味わい知ることができるのです。
例えば、のちにルツの夫となる 『 ボアズ 』を神様が備えて下さっていたことや、
のちにマタイの福音書に記されている イエスキリストの系図に ルツの名前が記されるほどの信じられない 『 神様の祝福 』を与えられたことです。
神様への信仰と従順を持って、
神様の次のページに隠されている祝福を味わいたいと、こころから願っています。
『試練をくぐった者の告白』(読み人知らず)というクリスチャンの詩をお読みします。
私が神様に求めたのは、勝ちを得るための強さでした。けれども
私は弱くされました。謙虚に従うことを学ぶために。
私が神様に求めたのは、もっと大きな事を成し得る健康でした。けれども
わたしには病弱が与えられました。もっと善いことをするようにと。
私が神様に求めたのは、幸福になるための富でした。けれども
私は貧しさを与えられたのです。智慧を得るようにと。
私が神様に求めたのは、人びとの称賛を得るための力でした。けれども
私は弱さを与えられました。神が必要であることを感じるために。
私が神様に求めたのは、人生を楽しむためのあらゆることでした。けれども
私には命が与えられたのです。すべてを享受するようにと。
私が神様に求めたものを、私はなにひとつ得られませんでしたが・・・
願ったことはすべてかなえられました。
このような私でありますのに、神は、私のことばに言い表せぬ祈りに応えられました。
私はすべての人のうちで、もっとも多くの祝福を受けている者です。
聖書の御言葉に次のように語られています。
- コリント人への手紙 第二 8章9節●
あなたがたは、私たちの主イエスキリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
- ピリピ人への手紙4章11~13節●
乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
たしかに、私たちが求めるものと、神様が与えられるものとは違うことが多くあります。
でも、それが最善なのです。
なぜなら、神様はすべてを益としてくださる方だからです。
病気であるなら、イエス様により頼むチャンスであり、
健康であるなら、もっとイエス様に従えるチャンスです。
時間があるなら、もっとイエス様を証しできるチャンスであり、
時間がないなら、イエス様に信頼できるチャンスです。
結局、どんな時でも、イエス様に信頼し従うことが、あらゆる境遇に対処する秘訣なのです。
今がどんなに苦しくて、つらくて、悲しみのどん底にいるかのように思える時でも、信仰で次のページを開けば神様の祝福で満ち溢れているのです。
どんなに多くの人が、次のページをもう1ページを信仰で開かずに終わってしまうことが多いことでしょう。
ルツ記の次のページに隠されている神様の素晴らしいご計画と祝福を発見できるように、今日も信仰で、
私の次のページに期待してワクワクした日を過ごしたいです。
今日も、主の恵みをひとつづつ数えて感謝しましょう。