私は、一度だけ信仰を捨てる決心をしてイエス様を裏切りました(№2)・・・

◉耳から聴く以下の内容(9分14秒)

長く休んで教会には行きづらかった私に・・・神様の助けで一人の訪問者が

たとえ仕事がなくても、持っているものすべてを失ったとしても、イエス様がいて下さればそれで十分であると確信しました。

そしてちょうどそう決心したのですが、

ダメなわたしは長く教会を休んだので行きづらくなっていました。

そのような時に神様の助けとしか言いようがないことが起こりました。

ある日の夜遅くに、わざわざ教会のクリスチャンがわたしの家を訪問してくださいました。

「歩いていたら偶然、珍しいあなたの名前の表札を見つけたのでひょっとしたらと思い訪問しました」と、絶対に訪問しようと決めて家を探して来てくださったに違いないと思うのですが・・・

そして、そのクリスチャンの青年にすべてを正直に話しました。

その人は、自分のことのようにじっくり聞きながらすごく喜んでくださいました。

そして、一緒に神様に感謝のお祈りをしてくださいました。

そして教会に入りづらいかと思い、教会の前で待っていてくださいました。

その配慮が嬉しかったのを覚えています。

イエス様を裏切ったわたしはイエス様から愛される価値なき者です。

それ以来、45年間、こんなに弱い愚かなわたしを神様がいつも一緒にいてくださったので、信仰を捨てようと思ったことはありません。

一度、信仰を捨て、イエス様を捨て、私のための十字架と復活の福音をなきものとし、神様の愛と恵みを台無しにしたこんな私を・・・

イエスキリストはずっとずっと愛してくださっていたということを感謝します。

そしてこれからも愛し続けてくださると確信して感謝です。

信じられない『とてつもない大きな愛』と

理解できない『素晴らしい恵み』を感謝します。

「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のためになにをしたか。」

わたしがイエス様の十字架の絵を見て深く考えさせられたように、次に紹介する讃美歌の作詞者も、イエス様の十字架の絵を見て自分自身の信仰について深く考えたようです・・・

その人は、讃美歌332番の作詞者であるフランシス・ハヴァーガルという人です。

よく歌われる讃美歌332番「主はいのちをあたえませり」の

作詞者の名前としてフランシス・R・ハヴァーガルとあります。

今からお話ししようとしている女性の作詞家なのです。

フランシス・ハヴァーガルは1836年、英国ウースター県のアストレーという町、ロンドンの西北150キロほどのところですが、そこの英国国教会の牧師の娘として生まれました。

私たちには考えられないほどの文学的、語学的な才能があったとのことです。

2~3歳で文字を覚え、4歳で聖書を読んだり聖句を書いたりし始め、7歳の時にはもう讃美歌を作ったと言われています。

20歳になるまでには、信じられない話ですが、聖書の大部分を暗唱していたと言います。

さらに、彼女は語学にも優れ、ドイツ語、フランス語、イタリヤ語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を修得していました。

フランシス・ハヴァーガルが作詞した讃美歌の中で最もよく知られているのは、

讃美歌332番「主はいのちをあたえませり」でしょう。

この讃美歌をフランシスは21歳の頃に書いたと言われています。

直訳を読むことで、作詞者の本来の気持ちを推し量ってみましょう。

今から読む直訳の方の歌詞の中の

「私」というのはイエスさまご自身のことです

1:私はあなたに私の命を与えました。

  私の尊い血を流したのは、あなたが贖われ、死から甦るためなのです。

  私はあなたのために私の命を与えましたほんとうに与えたのです。

  あなたは 私のために 何を捧げましたか

 

2:私はあなたのために、あなたが表現できないほど、苦しみました。

  あなたを地獄から救うために最もむごい苦悩を味わいました。

  それはみな、あなたのためでした

  あなたは 私のために 何を苦しみましたか

 

3:私は、天の住みかから、あなたに完全な、無償の救いをもたらしました。

  私は豊かな賜物をあなたに与えました

  あなたは何を 私に捧げましたか。 

フランシス・ハヴァーガルがこの讃美歌を作詞した直接の動機は、

彼女が16歳の時、ドイツのデュッセルドルフという町に留学し、

翌年までそこに滞在した時に、そこの美術館で見た絵にありました。

シュタンバーグという画家の「エッケ・ホモ(この人を見よ)」というタイトルの、

十字架にかかっているイエス・キリストの絵でした。

イエス様の周りにラテン語で

「私はあなたのために命を棄てた。あなたは、私のためになにをしたか。」

と書いてあったとのことです。

デュッセルドルフ滞在中にこの絵を見て、祈りの中で、この言葉を噛みしめ、主が命を捨て給うたのが、本当に自分のためであると感じました。

帰国して数年後、この讃美歌「主はいのちを与えませり」を作詞したのでした。

最初彼女は、この讃美歌が余りにも個人的、感情的であるという理由で、公表するのはとても耐えられないことと、思っていました。

そこで彼女は、この詩を書いた紙片を暖炉に投げ込みました。

ところが風に煽られて焼けずに戻ってき来、それを読んだ牧師である父が良い歌だと言ってくれたので、彼女も残しておく気になったということです。

もし、その時、風が吹かなかったら、父牧師がそれを一目見ていなかったら、この美しい讃美歌は私たちに残されていなかったでしょう。

そう考えると、不思議な神様の摂理を感じます。

ともあれ、イエス・キリストが命を捨ててまで自分を愛してくださっていることをフランシス・ハヴァーガルは痛切に感じ、信じることができて、それをこの歌で表そうとしたのでした。

さきほどの讃美歌から15年後の、1874年に発表された讃美歌339番、「主よささげます、わたしのいのち」には彼女の人間的な苦悩が秘められているということです。

日本語に訳されている部分からは、それを読みとることはできないのですが、

実はこの讃美歌の元の詩は12番まであって、

1番から12番までに「主よ~を取り上げてください」というふうに異なった捧げものが書かれています。

今、その主に差し上げようとしているものを列挙してみます。

①  私の命、

②  私の時間、

③  私の両手、

④  私の両足、

⑤  私の声、

⑥  私の唇、

⑦  私の金銀、

⑧  私の知性、

⑨  私の意志、

⑩  私の心、

⑪  私の愛、

⑫  私自身  

と作詞されていたのです。

わたし自身が神様に捧げられるものは、考えてみればいくらでもあります。

それらを喜んで神様に捧げたいものです。

1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

(ローマ人への手紙 12:1-2) 

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