初めの愛から離れたと気づいたら、チャンスです!初めの愛に戻ればいいのです。
 

◉耳から聴く以下のメッセージ(7分39秒)

 

 

初めの愛から離れたと気づいたら、チャンスです!初めの愛に戻ればいいのです。

信仰が揺らぐあなたへ――「私は信じていないのでは」と思う時

クリスチャンでも、心が冷えることがあります

クリスチャンでありながら「私は神様を悲しませてばかりです」「栄光を現すどころか泥を塗っているようです」「本当に信じているのでしょうか」と不安になることがあります。熱心さが続かない自分。祈りが形だけに思える自分。愛が冷えてしまったような自分。その姿を見ると、信仰そのものが消えてしまったのではと揺らぎます。
しかし、揺らいでいることに気づいている時点で、主があなたの良心に触れておられます。痛みは、終わりの印ではなく、戻るための合図です。

「初めの愛から離れた」は、絶望の宣告ではなく呼び戻しです(黙2:4-5)

黙示録2章4節で主は「あなたは初めの愛から離れてしまった」と語られます。そして5節で「どこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて、初めのわざを行いなさい」と招かれます。ここには、断罪よりも回復の道が示されています。主は「さよなら」と言うためではなく、「戻っておいで」と言うために語られるのです。


ペテロの失敗――「知らない」と言ってしまった夜

主は前もってご存じでした(ルカ22:31-34)

ペテロは、主を愛していると思っていました。ところが主は前もって「あなたは鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言う」と言われました(ルカ22章)。主は、ペテロの弱さも恐れも、全部ご存じでした。
これは冷たい予言ではありません。主は、倒れる瞬間まで見通しつつ、その先の回復まで見ておられます。

しかし主は、見捨てず、回復を用意しておられました

ペテロは「知らない」と言っただけではなく、積極的に否定し、恐れの中で自分を守ろうとしました。信仰者として最悪の失敗に見えます。けれども、主はペテロを見捨てませんでした。主はすでに「あなたの信仰がなくならないように祈った。だから、立ち直ったら兄弟たちを力づけなさい」と言われていました。倒れることを知りながら、祈りと使命を手放さない主がおられます。


よみがえられた主の問い――「あなたはわたしを愛しますか」

「知っていますか」ではなく「愛しますか」(ヨハネ21:15-17)

復活の主がペテロに三度尋ねられたのは「あなたはわたしを知っていますか」ではありません。「あなたはわたしを愛しますか」です(ヨハネ21章)。
主は過去を蒸し返して責めるために尋ねられたのではありません。愛の関係を回復し、ペテロをもう一度立たせるために尋ねられました。ここに福音の温度があります。

主の愛は見返りを求めない、回復させる愛です

私たちは失敗すると「もう資格がない」と感じます。しかし主は、資格よりも「わたしの愛に戻りなさい」と言われます。主の愛は見返りを求めません。あなたの出来不出来で増えたり減ったりしません。十字架と復活が示したのは、弱い者、逃げる者、否認してしまう者にさえ届く、完全で不滅の愛です。
だから「初めの愛から離れた」と気づいた時、あなたがすべきことは、自分を叩き直して愛を作り出すことではありません。主の初めの愛に戻ることです。


目を離したら沈みます。でも戻せば助けられます

波と風に目を奪われる私たち(マタイ14:28-31)

ペテロは水の上を歩き始めましたが、強い風を見て怖くなり、沈みかけました(マタイ14章)。これは私たちの姿にそっくりです。十字架と復活を見上げて歩んでいたのに、いつの間にか状況や人の目や自分の失敗に目を奪われ、心が沈んでいきます。

沈みかけた時の祈りは短くていいです「主よ、助けてください」

そのときペテロは長い祈りをしていません。「主よ、助けてください」と叫びました。すると主は「すぐに」手を伸ばしてつかまえられました。あなたの祈りも、短くていいです。言葉にならないほど弱い日でもいいです。主はすぐに手を伸ばされます。


実践――初めの愛に戻る3つの一歩

①思い出します(十字架と復活の愛)

まず、主があなたをどのように愛されたかを思い出します。あなたの良い行いの前に、主の愛がありました。十字架は、その愛の動かない証拠です。

②悔い改めます(方向転換します)

悔い改めは自己否定の連打ではありません。向きを変えることです。目を戻すことです。「主よ、私はそれました。あなたに戻ります」と言うことです。

③初めのわざに戻ります(小さくてよい忠実さ)

そして大げさでなくていいので、初めのわざに戻ります。みことばを一節読む。短く祈る。礼拝に身を置く。感謝を一つ書く。誰かを祝福する。小さな忠実さは、主の愛に根を下ろす練習になります。


結論 目を離さないでいなさい(ヘブル12:2-3)

疲れ果てないために「その方のことを考えます」

ヘブル12章2〜3節は言います。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。…罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」
疲れ果てない道は、完璧になる道ではありません。イエスを見上げ続ける道です。

主はあなたを愛し続け、立たせ続けます

あなたが何度それても、主の愛は尽きません。あなたが何度つまずいても、主は回復へ招かれます。ペテロがそうであったように、主はあなたを責め潰す方ではなく、愛によって立たせる方です。
「初めの愛から離れてしまった」と気づいたなら、戻ればいいです。十字架の愛へ、復活の主へ、もう一度目を戻せばいいです。主は今日も言われます。「あなたはわたしを愛しますか。」そしてその問いの奥には、こういう宣言が響いています。
「わたしはあなたを愛しています。わたしはあなたを愛し続けます。」

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