私自身はこの体型で幸せです。渡辺直美としての個性の尊重を望んだ。
タレント渡辺直美さん(33)の容姿を侮辱するようなオリンピックでの演出をクリエーティブディレクター佐々木宏氏(66)が企画していたことに関してのことです。
いろいろ大きな問題になっています。
最初は、冗談で・・・
ってなことでお茶お濁そうと思っていたことが大問題になり、
ついには、クリエーティブディレクター佐々木宏氏が謝罪し、辞任しました。
そのことに関して本人が、公式ホームページを通じてコメントを発表しました。
そのコメントが素晴らしいメッセージです。

渡辺直美さんのコメント

『オリンピックの件ですが、
去年、会社を通じて内々に開会式への出演依頼をいただいておりましたが、コロナの影響でオリンピックも延期となり、依頼も一度白紙になったと聞いておりました。
それ以降は何も知らされておらず、
最初に聞いていた演出とは違うこの様な報道を受けて、私自身正直驚いております。
表に出る立場の渡辺直美として、体が大きいと言われる事も事実ですし、見た目を揶揄(やゆ)されることも重々理解した上でお仕事をさせていただいております。
実際、私自身はこの体型で幸せです。
なので今まで通り、太っている事だけにこだわらず『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。
しかし、ひとりの人間として思うのは、
それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、
楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております。
私自身まだまだ未熟な部分もありますので、
周りの方にご指導いただきながら、
これからも皆様に、楽しんでいただけるエンターテイメントを作っていけるよう精進して参りたいと思います。』
この不適切な演出構成をしようとしたことに対して多くの人の批判が集中しています。
世界からも批判が多く届いているとのこと。
ここでは、そのことに対してどうのこうのとは書きません。
ただ、
それ以上に、わたしが素晴らしいと感動したことを書きたいと思います。

私自身はこの体型で幸せです。私は『渡辺直美』としての個性を表現したい

渡辺直美という人間、
個人、個性あるエンターテインメントとして・・・
上に渡辺直美のコメントの全文をそのまま載せました。
特に
実際、私自身はこの体型で幸せです。
なので今まで通り、太っている事だけにこだわらず
『渡辺直美』として表現していきたい所存でございます。
ただ太っている芸人というのではなく、
渡辺直美という芸人が太っているということ
渡辺直美という芸人が身体が大きいというだけのことなのです。
たとえば、
車椅子を使用して移動する身体障がい者の方がいた場合、
車椅子の〇〇さんではない、
身体障がい者の〇〇さんでもなく、
〇〇さんがただ移動は車椅子を利用するということだけです。
〇〇さんがただ身体に障がいを持っておられるということだけなのです。

個人情報の尊重より大事なのは、個人の尊重である。

個人情報の尊重ということが相当前から厳しく言われています。
そして、過敏になりすぎて過度に個人の情報を隠そうとします。
それは、もちろん大切なことなのですが、
個人情報の尊重が大事なのではなく、
個人がどのようにどれだけ尊重されるかが大事なのではないでしょうか。
個人を大切な一人の人格として
個人を尊重していくことが大事であると今回のことをとおして教えられました。
そういう意味でも、
渡辺直美さんが動物に例えられて傷ついたとかを主張されたのではなく、
渡辺直美という個人を個人として尊重してほしいと望まれたことは大切なことだと思います。
最後に
問題となった演出をしたのがオリンピックの企画の責任者としたら、
以下の内容をどのようにとらえるのでしょうか?
東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部
『誰もが暮らしやすい社会を目指して〜心のバリアフリーの理念を理解する〜』
という文面から抜粋します。

社会こそが「障害(障壁)」をつくっており、それを取り除くのは社会の責務

障害という表記が
『障がい』『障害』『障碍』とある。
害という感じにいい印象を持たないという考え方から『障がい』と表記れることが多い。
わたしも『障がい』と表記しています。
しかし、この障がいという表記に反対を唱える人たちがいます。
どのような人たちでしょうか。
それが、
障がい者の団体の人たちなのです。
なぜでしょう?
害という感じの印象は確かによくありません。
だから『害』ではなく『がい』がいいのではと思います。
しかし、このように考えるのは
どこか間違った視線から障がい者のかたを見ている健常者の思い上がりがあるのです。
なぜか?
なぜ障害者の団体の方々が障がいではなく障害と主張するのでしょうか。
日本でも2014年に批准された
社会モデル」は、
社会こそが「障害(障壁)」をつくっており、
それを取り除くのは社会の責務であるととらえています。

この「社会モデル」の考え方に基づいて、

あえて「害」という言葉を隠してほしくないという意見です。

 

すなわち、

障害の「害=ハンディ」は障害者自身にあるのではなく、社会の側にあるため、

敢えて「害」を隠してほしくないというものです。

 

『障害』の『害』は、私たちの思い上がりであり、

障がいの害(=ハンディ)は私たちの側にあってそれを取り除かなくてはならないのです。

 

渡辺直美さんのコメントは、世界に向かって発せられた

オリンピックの大事なメッセージであるとわたしは思います。

 

『しかし、ひとりの人間として思うのは、

それぞれの個性や考え方を尊重し、認め合える、

楽しく豊かな世界になれる事を心より願っております。』

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