「エリコの城壁」は『信仰による勝利』によってが崩れ落ちました。

急激に崩れたエ リ コ の 城 壁の発掘作業

昔のエリコの町の近辺で、1927年から1936年にかけて発掘が行われ、紀元前1400年頃にくずれた城壁を示し、土器なども発見され聖書の記述が正しかったことが裏付けされました。

そして二重にわたって作られていた城壁のようなものが発見されたのです。それを再現すると

外側の城壁が厚さ2メートル高さ10メートル、5メートル間があいて、

内側の城壁は厚さ4メートル高さ10メートルの城壁が崩れ落ちた形跡が発見されたのです。

これは、エリコの城壁ではないという見解もあるのですが、当時そのような城壁が建設されていた事実には変わりがないのです。

聖書はエリコの城壁についてどのように教えているのでしょうか?                               

1:ヨシュア記6:1〜2

【 聖書 】

1“エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。

2主はヨシュアに仰せられた「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した

【 解説 】

1   👉なすすべがなかった。ただ時間が過ぎ去るだけであった。

2節 👉主はヨシュアに仰せられた時に、ヨシュアはなぜすぐに聴くことができたのでしょう。  神様の言葉を求めて、耳をすまして耳を傾けていたからです。

2節 👉 ・・・あなたの手に渡した神様の『あなたの手にわたした』という勝利の宣言です!しかし、勝利を受け取るために必要なことがただ一つだけありました。    

それは信仰だけだったのです』

2:ヨシュア記6:3〜5

【 聖書 】

3あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。

4七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。

5祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない町の城壁がくずれ落ちたなら民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」

【 解説 】

神様の命じられることを幼子のように実行する信仰

 命令1 3節 町の周りを一度六日間まわりなさい!

 命令2 4節 7日目には7度町を回り祭司は角笛を吹き鳴らしなさい!

 命令3 5節 大声でときの声をあげなければならない

 命令4 5節 町を攻め取るためにのぼって行かなければならない

3:ヨシュア記6:10 

【 聖書 】

10ヨシュアは民に命じて言った。私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まであなたがたは叫んではいけないあなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」

【 解説 】

10節 ヨシュアが命じたことは、

   その1 あなたがたは叫んではならない

 その2 あなたがたの声を聞かせてはならない

 その3 また口からことばを出してはいけない

神様の前に静まっている必要があった。

 なぜなら、私たちの口から出る言葉は・・・

    1:恐れの言葉

    2:不平不満の言葉

    3:不信仰の言葉   ばかりだからです。

➡︎ そして、神様の御言葉の前に

   『静まって(黙って)』 『聴く ということ、

   すなわち信仰によって『 待つ』 ということが大切なことなのです。

4:ヨシュア記6:11〜16

【 聖書 】

11こうして、彼は主の箱を、一度だけ町のまわりを回らせた。彼らは宿営に帰り、宿営の中で夜を過ごした。

12翌朝、ヨシュアは早く起き、祭司たちは主の箱をかついだ。

13七人の祭司たちが七つの雄羊の角笛を持って、主の箱の前を行き、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは彼らの先頭に立って行き、しんがりは主の箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら角笛を吹き鳴らした。

14彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにした。

15七日目になると、朝早く夜が明けかかるころ、彼らは同じしかたで町を七度回った。この日だけは七度町を回った。

16その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげなさい主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ

【 解説 】

1日1周、6日行ない、7日目は7回町を周り、角笛の音を聞いたら時の声をあげる・・・

神様の約束を信じ

神様の約束の権威に 謙遜になった。

 (私たちは、謙遜でなく、傲慢になりそれ以上のことをしたがる変に付け加える

従順でなく自分の考えを付け加えてしまう者です。

5:ヨシュア記6:20

【 聖書 】

20そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声で  ときの声をあげるや城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行きその町を攻め取った。”                               

                                                             ヨシュア記 6章1~20節

【 解説 】

20節

大声でときの声を上げるやいなや(すぐに)、城壁はくずれ落ちた・・・

※神様の奇跡を見たら信じるという人がいる。   しかし、信じない でしょう。 

なぜなら、モーセのときの 2つに裂かれた紅海(いつ元に戻るかわからない両側に高くそびえる水)の中を『神の奇跡を見たら信じるという人が』渡れるでしょうか?

そこを渡るためには、『信仰』が必要なのです!!

あなたは、エリコの城壁がまだ高くそびえている時に『ときの声(勝利の宣言)』をあげることができるでしょうか?

エリコの城壁の周りを回ってまだ城壁が高くそびえているときに

ときの声(勝利の高らかな宣言)をあげれるでしょうか?

ただ信頼して信じる『信仰』が必要なのです!!

信仰には戦いがあります。➡︎ 『常識』や『人の目』や『サタンの惑わし』があり、いつもクリスチャンには「信仰の戦い」があるのです。

しかしその信仰が神さまが一番喜ばれることなのです。

そして、神様が一番喜ばれる信仰で神様のために戦うことができればなんと素晴らしいことでしょう。

 

現在においては、エリコの城壁のような戦いはないと私たちは思い込んでいます。 しかし・・・

 

『われわれの周りにも 高くそびえるエリコの城壁があるのです。

我々の周りに高くそびえるエリコの城壁とは

1:困難の城壁

2:問題の城壁

3:苦しみの城壁

4:迫害人の目この世の常識という城壁

5:サタンの惑わしという城壁  など

それらの城壁を打ち崩すのは、『信仰だけ』です。

そして我々の周りだけではなく、私たちの心の内にも・・・

 

『われわれの心の内側にも 高く高くそびえるエリコの城壁があるのです。』

我々の心の内側にもエリコの城壁が高くそびえています。

1:プライドという城壁

2:自分中心という城壁

3:※愛の反対語は何でしょう?

憎しみでしょうか。マザーテレサは愛の反対語は、

無関心』であると言いました。

私たちの心の内に『無関心』という城壁がそびえています。

(もしも、私たちの心の内にイエスキリストに対して『無関心』や『無感動』という城壁がそびえていたらなんとか悲しいことでしょう。)

結論

🟠しかし、私たちの外側にあるエリコの城壁も、私たちの内側に高くそびえるエリコの城壁も恐れることはありません。

信仰で 大声で 高らかに ときの声(勝利の宣言)を上げるのです。

すると、ときの声を上げるやいなやすぐに 私たちの前に高くそびえるいろいろな『エリコの城壁』がくずれ落ちるのです。

そして、すでに勝利を得ている戦いに出て行くことができるのです。すなわち、

(まっすぐに町にのぼって行きその街を攻め取ることができるのです。)

 

『わたしたちクリスチャンが 神様のために 戦う喜びを味わうためには・・・』                       

私たちの敵は『サタン』しかし、私たちは『勝利者』

私たちクリスチャンが神様のために戦う喜びを味わうためには。

➡︎  いつも神様に逆らう戦いを挑む『敵』がいることを覚えておく必要があります。 そし て、サタンがその敵なのです。

しかし、イエスキリストが十字架にかかって死慣れた時、サタンは大勝利を確信しました。

しかしイエスキリストは十字架で死に、墓に葬られ3日目に復活されました。 

復活によりサタンは大敗北を喫し、イエス様は全てに勝利された勝利者となられたのです。

勝つかどうかわからない戦いではなく、勝利の戦いを戦う

私たちクリスチャンの戦いはサタンとの戦いなのですが、サタンに完全に勝利されたイエスキリストにつく私たちクリスリャンは

すでに完全な勝利者なのです。

私たちはすでに勝利した戦いを戦うことができるのです。

世に勝たれた勝利者であるイエスキリストにつく私達もすでに世に勝った勝利者だからです。

「出て行く戦い」と、「戦う人のために祈る戦い」も素晴しい。

 

どうか、勝利が約束された戦いを、神様のために戦う喜びを味わいましょう。

それは、出て行く戦いもあるでしょう。しかし、

じっくりと戦いに行く人のために祈る祈りも、戦いに行く人と同じく

素晴らしい戦いです。なぜなら、我々は祈りの力にどれだけ励まされるのでしょうか。

信仰による祈りの力も本当に素晴らしい神様の戦いの土台となります。

出て行く戦いも、とどまって祈る戦いも同じく素晴らしい神様の喜ばれることです。

 

 

 

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