「祈りの人」であり「御言葉に信頼した人」であるジョージ・ミュラー

祈りと御言葉に信頼した人、ジョージ・ミュラー

まず最初に「ジョージ・ミュラー」についての動画を見てください。

 

今見た動画のように、

ジョージ・ミュラーは 『 祈りの人 』 と呼ばれた人です。

しかし 『祈りの人』と共に大切なもう一つの呼び名があったのです。

それは、車の両輪(両側の車輪)のように、また鳥の両側の翼のようにどちらも欠くことができない両方があって初めて成り立つものであるもう一つの重要なものです。

それは、『祈り』と共に車の両輪をなし鳥の両側の翼をなす『 聖書の御言葉 』 であり、

御言葉に信頼する人」とも呼ばれていました。

人に頼らず神様だけに頼って設立・運営した孤児のための孤児院をいくつも作った信仰者であるジョージ・ミュラーがいつも語っていたことがあります。

それは、

 『聖書は、読みたい時にはどんどん読みなさい。 読みたくない時は、読みたくなるまで読みなさい。』という言葉でした。

また 『朝食を食べ忘れる人は少ないのに、なぜいのちの魂の糧である御言葉を食べることを忘れるのでしょう。

わたしは、いのちの魂の糧である御言葉を食べられない朝は、御言葉の糧を食べるまで朝食を食べないと決めた。』ということをいつも口癖にしていたとのことです。

すなわちジョージ・ミュラーの祈りの確信と祈り続ける力は、

神様の約束である聖書の御言葉が土台にあって初めて成り立つものだったのです。

身体にとって呼吸が大切なように魂にも霊的呼吸が大切

最近、強く思うことがあります。

それは、

 『いのちの魂の呼吸』とは、「神様の御言葉の約束を吸い込み」、「感謝と喜びの祈りの息を吐き出す」ということだということです。

この「御言葉を吸い祈りの息を吐くといういのちの魂の呼吸」が、クリスチャンとして生きるために身体の呼吸より大切な「霊的ないのちの呼吸」なのです。

 「いのちの呼吸」はしたほうがいいですというより、しなければクリスチャンとして元気に生き続けることが難しくなります。「いのちの呼吸」を日々の習慣にしたいものです。

ジョージ・ミュラーはまたこうも言っています。

「聖書を読まなければ、ますます読む気もなくなる。

祈らなければ、ますます祈る気もなくなる。」と。

『あることを習慣にするためには21日間以上継続することが必要』と言われています。 とりあえず、                                  まず21日間を目標に御言葉の糧を吸い込み、神様の感謝と喜びの祈りを吐く「霊的魂のいのちの呼吸」を続けましょう。

 

聖書も『御言葉』と『祈り』の重要性を語っています。

エペソ人への手紙6章10~20節

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。              

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。          私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大楯を取りなさい。

それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、

また御霊の与える剣である、 神のことば を受け取りなさい。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい

そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい

 

なぜ『神のことば』と『祈り』がわたしたちに必要なのでしょう?

神様の栄光を妨げる働きをするサタン(悪魔)が存在するからです。 

サタンがもっとも恐るのはどのようなクリスチャンでしょうか?

神様のための働きや奉仕をバリバリ行なっているクリスチャンでしょうか。

そうではありません。

サタンがブルブル震えて恐れるクリスチャンは、

御言葉を信頼してひざまずいて祈っているクリスチャンです。

そして、神のことば』と『祈り』がわたしたちに必要な二番目の理由は・・・

サタンと戦う必要があり、戦うための武器と防御するための武具として「神のことば」と「祈り」が与えられているからです。

もう一度大切な御言葉なので繰り返しお読みします。

エペソ人への手紙6章10~20

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。              

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。          私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大楯を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、                                         

また御霊の与える剣である、 神のことば を受け取りなさい。                     

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさいそのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい

神様のために『戦う喜び』を味わえたら

わたしたちクリスチャンにとってこれ以上の喜びはありません。

そして、神のことば』と『祈り』がわたしたちに必要な三番目の理由は・・・

神のことば」と「祈り」を用いることで、神様の栄光をますますあらわすことができるからです。

(ペテロの手紙第一 5章8節―9節)

身を慎み、目をさましていなさい。

あながたの敵である悪魔が、

ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めて、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

 

ですから、

ほえたける獅子のように食い尽くすべきものを探し求めて歩き回っているサタン

戦う武器 』と『 防御する武具 』として

神の御言葉』と『祈り』が絶対に必要なのです。

 

というわけで、結論として・・・

神様の栄光のために、また神の栄光を妨げるサタンと戦うために、

そして私たちクリスチャンがキリストに似たものへと成長するために、

『御言葉』と『祈り』の呼吸が

わたしたちに絶対に必要な大切なものなのです。

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