
この記事の目次
出エジプト記29章 任職のささげ物。神は「近づく道」を整えられます。
出エジプト記29章は。アロンとその子らが祭司として任職されるための、ささげ物と手順が語られる章です。
細かく見える決まりが続きますが。ここで大切なのは。神は「だれでも適当に近づいてよい」とはされず。罪ある人が神の前に立つための道を、はっきり整えてくださったという点です。
任職のささげ物は。罪の赦しと、主への献身、そして神との交わりを表す内容になっています。つまり祭司は。自分の力や立派さで務めるのではなく。赦され、きよめられ、神にささげられた者として立つのです。
神様からの薦め。
今日。神はあなたにも「近づいてよい」と招いておられます。
ただしそれは。軽い気持ちで神を扱うことではありません。
神の前に立つとき。自分の罪や弱さを正直に認め。赦しときよめを必要としている者として近づきなさい。
そのへりくだりが。礼拝の出発点になります。
出エジプト記30章 祈りと聖さ。礼拝の中心を整えられます。
出エジプト記30章では。香壇、贖い金、洗盤、聖なる油と香が命じられます。
香壇は。香をたくことで、祈りが主に上っていくことを示します。礼拝は。行事や形だけで終わらず。祈りが中心に置かれるべきだと教えます。
贖い金は。「自分は主のものだ」という確認です。神の民として生かされているのは。自分の価値や功績ではなく。神の恵みによるのだと覚えさせます。
洗盤は。祭司が手と足を洗うためのものです。これは「完全になれ」という意味ではなく。神に仕える者が。罪と汚れを放置しないことを示します。
また聖なる油と香は。日常のものと区別され。神のために用いられます。神との交わりは。軽く扱ってよいものではないのです。
神様からの薦め。
今日。神はあなたに。祈りを礼拝の中心に戻しなさいと願っておられます。
忙しさの中で形だけになっていないでしょうか。
短くてもよいので。主の前に心を置き。悔い改めと感謝をもって近づきなさい。
そして。自分の歩みを洗い清めるように。神の前で点検しなさい。
主はあなたを責めるためではなく。きよくして用いるために招かれます。
マルコ3章 主は人を縛るためでなく。命へ招かれます。
マルコ3章では。安息日をめぐる論争が起こります。
イエスは。手のなえた人を癒やされますが。宗教指導者たちはそれを責めます。彼らは規則を守ることに熱心でも。人を生かす神の心を失っていました。
主が示されたのは。神の律法は人を縛り苦しめるためではなく。人を生かし、回復させるためにあるということです。
続いてイエスは十二弟子を選び。共にいて宣教し、悪霊に対する権威を与えられます。ここに。主の働きが個人の力ではなく。主に召された共同体として進むことが見えます。
さらに主は。「神の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、母である」と言われます。これは家族を軽んじる言葉ではなく。神の御心に生きることが。最も深い結びつきになると教える言葉です。
神様からの薦め。
今日。神はあなたに。外側の正しさだけで満足せず。神の心に近づきなさいと願っておられます。
あなたの信仰は。人を生かしていますか。
それとも。自分や他人を縛る形になっていないでしょうか。
主のもとへ行き。御心に従う者として歩みなさい。
主はあなたを。責めるためではなく。癒やし、共に歩み、用いるために招いておられます。
