第3週 1日目「(創世記27〜28章/マタイ11章)共におられる神、私のところに来て重荷を下ろし休みなさいと言われる神

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月曜日(創世記27〜28章/マタイ11章)

どんなに私たち(人間が)弱くても神様は約束を実現して下さる方です。

失敗は終わりではなく、失敗は次に未来に歩み進むことができるように、主は変えて下さるのです。

だから神様のくださる御言葉に期待して通読を楽しみましょう。

創世記27章:焦ると、心は近道を選びたくなる

ヤコブは「祝福がほしい」と願いました。
願いそのものは大切です。そして祝福が欲しいという目的は正しかったのですが、祝福を求める手段が間違っていました。
神の時を待つより先に、自分のやり方で「神からの祝福」自分のものとするために策略をたくらんでしまいました。自分の力で祝福を奪い取ろうとしてしまったのです。その背景に、彼の恐れと焦りがあったからです。

ここでの単純なたとえは、「沸かしたてのお味噌汁を、急いで飲んでやけどをしてしまう」ようなものです。
待てばよかったのに、焦って近道を選んだ結果は、後悔の思いを残してしまうのです。
聖書はこの姿を隠さず明らかにします。
だからこそ、知ることが出来るのです。
私は焦ると、待てなくなる恐れると、守ろうとして余計に壊して後悔の思いを残すことになる」と。

創世記28章:神様が、(目的を持って)一つのはしごを地に向けて立てられた

ヤコブは逃げるように旅に出ます。
一人で、先も見えず、心細い夜です。
ところがその荒野で、夢を見ます。その夢で神はヤコブに現れます。

夢で、「見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている・・・」。

普通はしごは、地から上に向けて立てられます。しかし、ヤコブの見た夢は、はしごが地から天に向けて立てられていたのではなくはしごが天から地に向けてたてられていたのです。

すなわち、ここに福音が明確に示されています。神様がヤコブに向けて働きかけられたのです。そして、神様であるイエスキリストが人間の姿をとってこの地上に来て下さった型がしめされています。

そして「わたしはあなたとともにいる」と約束されます。

ヤコブはこの夢による「地に向けて立てられているはしご」と「わたしはあなたとともにいる」という約束によって

「今にも消えそうなランプに新たな油が注がれ、明るく輝きだしたように」真っ黒な荒野の夜は不安と恐怖の中から神様の光が差し込まれた夜となったのです。

創世記28章は、まさにそれです。
人が神に近づくのではありません。
神が先に近づいてくださるのです。
これが恵みです。

マタイ11章:疲れた者を招く主イエス

マタイ11章で主イエスは言われます。
「疲れた者、重荷を負う者は、わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう。」
主は、疲れて重荷を負って苦しんでいる人を責めるのではなく、
むしろ「わたしのところに来て休みなさい」と招いてくださるのです。

これを例えれば、重い荷物を持って疲れて力尽きて歩けなくなった人に、馬車で通って人が、『この馬車に乗りなさい。そして背負っている思い荷物をこの馬車におろしなさい』と言ってくれているようなものです。
イエスキリストは「身体だけでなく魂の重荷苦しみをわたしのもと来てわたしのもとにおろしなさい」と言って下さり、わたしの罪の刑罰を十字架ですべてを背負ってくださったのです。

旧約と新約の橋:同じ神の愛なる心が一本の線になる

創世記28章神は「ともにいる」と言われました。
マタイ11章主イエスは「来なさい」と言われました。
言い方は違っても、神様の想いは同じです。
弱い人を見捨てず、近づき、支え、歩みを保たれるのです。

通読を続けると、この「同じ神の心」が点ではなく線になります。
失敗の章も、逃げの章も、疲れの章も、全部が一本につながって、こう教えてくれます。
「神は、つまずいた人のところへ来てくださる。」
だから今日、もしあなたが「うまくできなかった」と感じていても大丈夫です。
今日の一歩は、完璧に読むことではありません。
ただ聖書を開いて、主の「ともにいる」と「来なさい」という神様の愛と恵みにふれることです。
この出会いが、明日の力になります。

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