聖書通読 地図|第3週 2日目 私たちの歩みが揺れても、主の恵みは揺れません。(創世記29〜30章マタイ12章)

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聖書通読 地図|第3週2日目 私たちの歩みが揺れても、主の恵みは揺れません。

今日の通読は『創世記29〜30章とマタイ12章』です。
ひと言で言えば、「ぐちゃぐちゃに見える毎日でも、神さまは止まらずに良い方向へ導いてくださる」日です。

人の考えがぶつかったり、気持ちが揺れたり、人間関係がこじれたりします。私たちはそんなとき、神様の助けはどこに行ってしまったのだろうと感じたりします。

通読が順調に進む日もあれば、止まる日もあります。気持ちが乗らない日もあれば、「今日は少しだけでも読めた」という日もあります。けれど、私たちの歩みが揺れても、主の恵みは揺れません。良いことも悪いことも入り混じる毎日の中で、主は静かに、しかし確かに、約束を前へ進めてくださいます。

創世記29章|すれ違いの中で、主は「見ておられる」

望まない形で始まる結婚と、傷つく心

ヤコブはラバンの家で働き、結婚をめぐって思いがけない出来事に巻き込まれます。望んだ形ではない、やり直したくなるような現実が出てきます。ここには、人のずるさや弱さ、誤解や悲しみがそのまま描かれています。家庭は最初から複雑になります。愛されたい、認められたい、比べられる苦しさ――人間の心の痛みがそのまま描かれます。

しかし、その混乱のただ中でも、主は働いておられます。特に、レアの涙を主が見ておられることは大きな慰めです。人に見過ごされやすい痛みを、主は見落とされません。主は、人の関心が届かないところに、神のまなざしを向けてくださる方です。主は、目立つ行動や成功よりも、声にならない嘆き耳を傾けておられます。

たとえるなら|羊飼いが弱った一匹を抱き上げるように

牧場で、群れから少し離れて弱っている一匹を見つけた羊飼いが、抱き上げて安心できる場所へ連れて行くようなものです。主は「ひとりぼっち」を放っておかれません。人が見落とす涙に、主は近づいて愛を注いでくださいます。

創世記30章|競争と焦りの中でも、神は働きを止めない

心の綱引きが続く。でも主は「前へ」導く

30章では、子どもを巡る競争や焦りが強まり、人間の思惑がぶつかり合います。祈りよりも駆け引きが先に出てしまう場面もあります。読んでいて苦しくなるほど、生々しい章です。
それでも、ここで覚えたいのは、【神の計画が人間の計画や思惑では止まらない】ということです。神は、混乱を「混乱のまま放置」せず、やがてヤコブの子供たちを増やし、次の段階へ導いていかれます。通読の中で私たちは、人の弱さよりも大きい神の導きと働きを学びます。むしろ、人の力だけでは心が消耗していく現実と、それでも主が“いのちの実り”を与えてくださる事実です。主は、焦りに駆られる私たちに、「大丈夫、わたしが進める」と語ってくださいます。主の働きは、私たちのような短距離走ではなく、恵みの長い道です。主はその歩みをやめられません。

たとえるなら|もつれた糸をほどく職人のように神様が働いてくださる

ぐちゃぐちゃにもつれた糸を、乱暴に引っ張らず、一本ずつていねいにほどいて最後に美しい糸巻きにしてしまう職人のようです。主は混乱を「ほどけた形」へ導くことができます。今日のあなたの生活が問題だらけで修復が難しく見えても、主は“ほどけた良い状態”へ向かって安心と平安へ導いてくださいます。

マタイ12章|安息と憐れみを知るとき、心が回復する

「正しさ」よりも「憐れみ」を選ばれる主

マタイ12章では、安息日に関する論争が出てきます。上辺の律法が人を縛り、神の心から離れ人間の自己満足におちいる危険が見えてきます。「神の言葉」は人を生かすために与えられているのに、時にそれが人を縛る道具のように扱われてしまうことの悲しさです。そこでイエス様は、聖書の中心をはっきり示されます。【神が明らかにするのは、形式ではなく「あわれみ深い愛」です。】と。
主は、弱った者を踏みつけません。むしろ、倒れそうな者を支え、消えそうな灯を守られます。これは、疲れた私たちにとって大きな希望です。「頑張れない自分」に対して主は責めるより先に、回復の手を差し伸べてくださるのです。

たとえるなら|しおれた花に水を注ぐように

しおれた花を見て叱る人はいません。静かに水を与え、日当たりを整え、また立ち上がるのを待ちます。主は、弱った心に「命の水」を注がれます。今日、あなたの心の元気が弱っていても、主は「ちゃんとしなさい」より先に「わたしのもとに来て休みなさい」と言って受け入れてくださいます。

旧約と新約の橋渡し|「見てくださる主」から「回復させる主」へ

創世記29〜30章は、家族の複雑さと心の痛みが入り混じる章です。けれど、その中で主が見ておられ働いておられ約束を進めておられることが示されます。

そしてマタイ12章では、その主のあわれみが、救い主イエスキリストの姿としてはっきり現れます。主は、弱い人を守り、罪に縛られた人をサタンから解き放ち、永遠のいのちへ導かれる方です。

つまり、通読はこう告げます。あなたの現実が複雑でも、主の約束は止まらない。あなたが疲れても、主の恵みは尽きない。救い主は、今日もあなたを生かすために、そばにおられるという素晴らしい事実です。

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