聖書通読 第3週 2日目 私たちの歩みが揺れても、主の恵みは揺れません。

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聖書通読|第3週2日目 私たちの歩みが揺れても、主の恵みは揺れません。

創世記29章 望まない形で始まる結婚と、傷つく心・・・

ヤコブはラバンの家で働き、結婚をめぐって思いがけない出来事に巻き込まれます。望んだ形ではない、やり直したくなるような現実が出てきます。ここには、人のずるさや弱さ、誤解や悲しみがそのまま描かれています。家庭は最初から複雑になります。愛されたい、認められたい、そして比べられる苦しさ・・・人間の心の痛みがそのまま描かれます。

しかし、その混乱のただ中でも、主は働いておられます。

特に、レアの涙を主が見ておられることは大きな慰めです。人に見過ごされやすい痛みを、主は見落とされません。

主は、人の関心が届かないところに、神のまなざしを向けてくださる方です。主は、目立つ行動や成功よりも、声にならない嘆きに耳を傾けてくださっています。

創世記30章|競争と焦りの中でも、神は働きを止めない

創世記30章では、子どもを巡る競争や焦りが強まり、人間の思惑がぶつかり合います。祈りよりも駆け引きが先に出てしまう場面もあります。読んでいて苦しくなるほど、生々しい章です。
しかし神は、混乱を「混乱のまま放置せず」、やがてヤコブの子供たちの数を増やし、次の段階へ導いていかれます。聖書は私たちは、人の弱さよりも大きい神の導きと神の働きを学ばせてくれます。むしろ、人の力だけでは心が消耗していく現実と、それでも主が助けの御手を差し出してくださるという事実です。主は、焦りにかりたてられる私たちに、「大丈夫、わたしが導く」と語ってくださいます。

もつれた糸をほどく職人のようにぐちゃぐちゃにもつれた糸を、乱暴に引っ張らず、一本ずつていねいにほどいてくださいます。主は混乱を「ほどけた形」へ導くことができます。今日のあなたの生活が問題だらけで修復が難しく見えても、主は“ほどけた良い状態”へ向かって安心と平安へと導いてくださるのです。

マタイ12章|安息と憐れみを知るとき、心が回復する

マタイ12章では、安息日に関する論争が出てきます。うわべの律法が人を縛り、神の心から離れ人間の自己満足におちいる危険が見えてきます。「神の言葉」は人を生かすために与えられているのに、時にそれが人を縛る道具のように扱われてしまうことの悲しさです。
主は、弱った者を踏みつけません。むしろ、倒れそうな者を支え、消えそうな灯を守られます。これは、疲れた私たちにとって大きな希望です。「頑張れない自分」に対して主は責めるより先に、回復の手を差し伸べてくださるのです。

しおれた花を見て叱る人はいません。静かに水を与え、日当たりを整え、また立ち上がるのを待ちます。主は、弱った心に「いのちの水」を注がれます。今日、あなたの心の元気が弱っていても、主は「ちゃんとしなさい」より先に「わたしのもとに来て休みなさい」と言って受け入れてくださるのです。

旧約と新約の橋渡し|「見ていてくださる主」から「回復させて下さる主」へ

創世記29〜30章は、家族の複雑さと心の痛みが入り混じる章です。けれど、その中で主が見ておられ働いておられ約束を進めておられることが示されます。

そしてマタイ12章では、その主のあわれみが、救い主イエスキリストの姿としてはっきり現れます。主は、弱い人を守り、罪に縛られた人をサタンから解き放ち、永遠のいのちへ導かれる方です。

つまり、聖書はこう告げます。あなたの現実が複雑でも、主の約束は止まらない。あなたが疲れても、主の恵みは尽きない。救い主は、今日もあなたを生かすために、そばにおられるという素晴らしい事実です。

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