迫害に耐える力はどこから来るのか?クリスチャンは圧倒的な勝利者です。

迫害に耐える力はどこから来るのか

― ローマ8章35〜37節に学ぶ「圧倒的な勝利者」の信仰 ―

> 「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか…しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
> (ローマ8章35〜37節)

パウロはここで問いかけます。
「だれが、キリストの愛から私たちを引き離せるのか」と。

これは単なる慰めの言葉ではありません。
迫害と死の危険のただ中にあった初代教会への、力強い宣言でした。

私たちの「敵」とは何か

① 現実の苦しみという敵

パウロはまず、患難、苦しみ、迫害、飢え、危険、剣といった具体的な苦難を挙げます。
信仰生活は、決して順風満帆ではありません。

私たちは苦しみが続くと、
「神様は本当におられるのだろうか」
「なぜ私だけが」と心が揺らぎます。

イギリスにはこんな諺があります。
「四本足の馬でもつまずく。」

八本足のカニもひっくり返ります。
六本足の昆虫も転びます。
それなら二本足の人間がつまずくのは当然です。

私たちは弱いのです。
しかし、弱いからこそ支えが必要なのです。

② 目に見えない霊的な敵

パウロはさらに、「御使いも、権威ある者も、力ある者も」と語ります。
当時、これらは霊的存在を指す言葉でした。

つまり、信仰を揺さぶる見えない力の存在です。
誘惑、不安、絶望、疑い――
それらは私たちの心に入り込みます。

けれどもパウロは言います。
それらすべてよりも強いものがある、と。

迫害の中で見つけた「愛」という力

フランクルの証し

ヴィクトール・フランクル は、ナチスに捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所 を含む収容所で地獄のような日々を経験しました。

彼を支えたものは三つあったといいます。
神への信頼、人生には意味があるという確信、そして妻への愛でした。

極寒と飢えの中、監視員から罵声を浴びせられながらも、彼は心の中で妻と語り合いました。
「愛こそが人間を高める最高の真理だ」と彼は後に著しています。

残酷にも妻はすでに命を奪われていました。
しかし彼は、妻の形見である金の地球儀のペンダントに刻まれた言葉に出会います。

「全世界は愛を主軸にしてまわる。」

彼は悟ります。
世界は自分中心ではない。
世界は愛を中心に回っている、と。

十字架の愛こそ勝利の源

なぜ「圧倒的な勝利者」なのか

パウロは言います。
「なんとか耐え抜いた」のではありません。
「圧倒的な勝利者」だ、と。

なぜでしょうか。

それは、キリストの十字架に示された愛が絶対だからです。
神は罪人である私たちを愛し、御子を惜しまず十字架にかけられました。
そしてキリストは死に勝利して復活されました。

十字架は敗北ではありません。
愛の勝利です。

この愛が、私たちを握っているのです。
だからこそ、苦難の中でも私たちは敗北者ではありません。
 

現代の迫害の現実

今も世界では多くのクリスチャンが迫害されています。

北朝鮮 では信仰が発覚すれば死刑に等しい扱いを受けます。
中国 では多数の教会が閉鎖されています。
インド では暴徒による襲撃が起き、
アルジェリア では教会が閉鎖に追い込まれています。
ナイジェリア では信仰ゆえの殺害が続いています。

日本にいる私たちには想像しがたい現実です。

しかし驚くべきことがあります。
そのような状況にある信徒たちが、心から喜び、感謝し、祈っているという事実です。

しかも彼らは、平和な日本の私たちのために祈っているのです。
「もっと福音が広がるように」と。

私たちはどう応えるのか

苦難があるからこそ、愛が輝きます。
闇が深いほど、光は明るく見えます。

迫害に耐える力は、私たちの意志の強さではありません。
キリストの愛の確かさです。

私たちは彼らのために祈っているでしょうか。
苦しむ兄弟姉妹を覚えているでしょうか。

ローマ8章の問いかけは、今も私たちに響きます。

「だれが、キリストの愛からあなたを引き離せるのか。」

答えは明白です。
だれもできません。

十字架の愛は、今も世界を支えています。
そしてその愛に属する私たちもまた、
どんな状況の中でも「圧倒的な勝利者」として立たせていただけるのです。

以下の世界地図で赤く色付けされている国が特にキリスト教、クリスチャンに対して迫害が強烈な国です。赤以外の色付けされている国も・・・

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