◎本当のバレンタインデーの意味は?バレンタインとはどんな人?

むかし、ローマの国に神様を信じて神様に従いたいと思っている

バレンタインという人がいました。

 

バレンタインは、いつも神様が喜ばれることがしたいと願っていました。

 

そして、決心して修道院に行き、神様にすべてを捧げて仕えていこうと思いました。

修道院では、毎日聖書を読み、学び、祈りました。

そして、一生懸命神様に仕えました。

修道院では、いろいろな人たちがそれぞれの才能を発揮して神様の栄光をあらわしていました。

でも、バレンタインだけは、なにひとつ誇れる才能がありませんでした。

彼は、「わたしは、こんなに神様を愛しているのに、神様のために働くことができない。」と、

とても落ち込み、悲しみました。

 

悲しい気持ちで祈っていると、彼にあることが示されました。

 


神様は、バレンタインに

「あなたに出来ることをしなさい。」と。

しかし、彼は、神様に、わたしは何もできません。

 

 

わたしに出来ることとは、どんなことでしょう?と問いかけました。
しかし、わかりませんでした。でも、彼はずっと祈り続けました。

 

そして、街中には、寂しい人たちや悲しんでいる人たち、

一人ぼっちの人たちが多くいることに気がついたのです。

 

今、わたしに出来ることは、何か考えました。

そして、自分に出来ることをしようと決心しました。

 

わたしは、毎日、人々へ神様の愛の言葉を送ろう。

そして、手紙を書いたり、小さな花束や果物を送ろうと決心しました。

イエス様がされるように、悲しみにある人へ、寂しい人へ、一人ぼっちの人へ、

神様の愛の言葉を添えて何かを送ろうと決心しました。

 

くる日もくる日も、バレンタインは、

『愛のことば』を人々に送り続けました。

そして、とうとう国中の人々に『神様の愛を伝える人』として、知られるようになりました。

 

彼から、神様の愛のことばを受け取った人は、

神様がどんなに自分を愛してくださっているかを知って喜びました。

そして、彼は多くの人を励ましました。

 

しかし、たった一人バレンタインを憎んでいる人がいました。

それは王様でした。王様は自分よりバレンタインが人々から良く思われていることを知って腹をたてました。

 

そして、彼を捕まえて牢屋にいれてしまいました。
しかし、神様の働きによって、

牢屋からでもバレンタインは、愛のことばを人々に送ることができました。

 

その後、牢屋から出され、

彼はますます神様の愛のことばを人々に送り続けました。

そして、
彼が死んだ時、人々は非常に悲しみました。

 

それで、バレンタインが神様の愛のことばを人々におくったように、

バレンタインの誕生日である2月14日がくると、

バレンタインがしたように、

人々も神様の愛のことばを互いに送り合うようになりました。

 

今、日本では、女性が男性に愛を告白する日として、

チョコレートを添えて自分の愛のことばを送くるようになっています。

 

でも、バレンタインがしたのは、

プレゼントを添えて、自分の愛のことばではなく、神様の愛のことばを送ったのです。

 

そして、本当に素晴らしいプレゼントは、

私たちに神様から与えられた救い主イエスキリストです。

 

神様が、

愛するひとり子であるイエスキリストを十字架につけて身代わりに罰するために、

この地上に送ってくださったプレゼントが、最高のプレゼントです。

 

バレンタインは、自分は何も才能がなく、神様のために何もできないと落ち込んでいました。

 

わたし達も同じように何もできないものです。

でも、神様は、わたし達を用いてくださるのです。

 

わたしは、身体が弱くて外に出て行くことができないから

神様のために働けないと思っているなら、

祈ることができます。
祈ることで素晴らしい働きをすることができます。

誰かのために祈ることは、どれだけその人をはげますでしょう。

 

わたしは、話すことが苦手だから、神様のために働けないとおもっていませんか。
どんなことをしてでも、神様のためにできることはいくらでもあるのです。

 

いま、あなたにできることをしなさい。
と神様はすすめておられます。

いま、わたしにできることを考えてどんなちっぽけと思えることでも始めるなら、

神様が用いてくださいます。

 

ある人が、駅で配っていたトラクト

(神様のことをわかりやすく書いたもの。)を受け取って、

神様のことを求め、教会に行き、クリスチャンになった人がいます。

(わたしのことですが•••しかし、その駅で配った人は、自分が配ったトラクトを見てクリスチャンになったわたしがいるとは知らないのです。)

 

まず、わたしが神様の愛のことばを深く味わうなら、
バレンタインがしたように、

神様の愛のことばを分かち合うことができます。

 

わたしが、神様を喜び、神様の愛のことばを送ることができるとは、なんと素晴らしいことでしょう。

 

◉聖書 第一ヨハネ4章10節〜12節◉

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、

私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。

ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、

私たちもまた互いに愛し合うべきです。

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。

もし私たちが互いに愛し合うなら、

神は私たちのうちにおられ、

神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

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