
聖書通読【4日目】
この記事の目次
主の足あとをたどる365日 1日3章で心を整える(ショートメッセージ付き)
そして通読を通していつも自分自身に問いかけてみましょう。
「私の望み」はどのようなものでしょうか? と。
聖書通読【4日目】のテーマ
バベルの塔を積んで自分を守る生き方から、神の言葉に立つ生き方へ
バベルの塔と荒野の誘惑が暴く“心の土台”(創10〜11/マタ4)
「箱舟の完成と洪水(創7〜9)」の先に、虹の約束がありました。
神は「もう二度と洪水で地を滅ぼさない」と語り、空にしるしを置かれました。
でも約束は、空を見上げて終わりではありません。
約束は、日常の中で試されます。
雨が止んだ次の日に、生活が始まるように。
礼拝のあとに、月曜日が来るように。
心はまた、いつものクセに戻ろうとします。
今日の旧約は創世記10〜11章。
散らばって広がる世界(創10章)と、
バベルの塔(創11章)です。
そして新約はマタイ4章。
荒野での誘惑です。
ここで二つが一本の線になります。
創11の「名を上げたい/散らされたくない」。
マタ4の「パン・見せびらかし・支配」。
これらは別々の話ではありません。
同じ根っこから生えた枝です。
その根っこはこうです。
神なしで満たす。
神なしで証明する。
神なしで支配する。
でも、ここで希望があります。
イエス様は荒野で「こう書いてある」とみことばに立って勝利されました。
そして十字架へ向かう道を選び、復活の命を開いてくださいました。
ですから私たちは、バベルの塔を積んで自分を守る生き方から、神の言葉に立つ生き方へ移されます。
通読の素晴らしさは、こうやって心の土台が整い、毎日の歩みが変わることです。
さあ、テンション上げて今日も読みましょう。
創世記10章。
散らばって見える世界は、神の地図の上にある。
10章は「諸国民の系図」。
人名がずらりと並びます。
ここで眠くなったら、こう考えてください。
「これは神の世界地図の索引だ。」
地図帳の索引って地味です。
でも索引がないと、どこにもたどり着けません。
「大阪はどこ?」「エルサレムはどこ?」と探して迷子になります。
索引は、迷子を救うためにあります。
創世記10章も同じです。
洪水のあと、世界はどんどん広がっていきます。
民族が増え、地域が分かれ、国々が形作られていくのです。
しかし神は、世界を見失っていない。
散らばる世界の一つ一つを、把握しておられます。
ここが、日常への励ましです。
私たちの生活も散らばっています。
予定。
心配。
家族。
仕事。
体調。
人間関係。
祈りたいのに、頭の中が散らかって祈れない日もあります。
でも神は、あなたを見失いません。
あなたの名前は、神の地図から消えません。
聖書通読は「私は迷子じゃない」と、毎日戻してくれます。
だから系図の章も、立派な恵みの章です。
熟読の問いを一つ持ちましょう。
「散って見える日常を、神の視点に置けているだろうか。」
今日の祈りは短くていいです。
「主よ。散っている私を、あなたの地図の上に戻してください。」
これで十分です。
創世記11章。
バベルの塔。
「名を上げたい/散らされたくない」は、神なしで安心したい心。
11章で人々は言います。
「さあ、塔を建てよう。天に届くほどに。
そして名を上げよう。散らされないようにしよう。」
この言葉、現代語にするとこうです。
「すごいと思われたい。」
「置いていかれたくない。」
「不安だから、確かなものを作っておきたい。」
つまりバベルの塔は、建物の話であると同時に、心の話です。
わたしの心がバベルの塔です。
たとえば。
肩書きで自分の価値を守ろうとするバベル塔。
数字で自分の安心を作ろうとするバベル塔。
人の評価で心を温めようとするバベル塔。
比較で相手より高く立とうとするバベル塔。
こういう塔を積むと、最初は安心した気になります。
でもすぐ、別の不安が来ます。
「もっと積まないと崩れるかもしれない。」
「見られていないと価値がないかもしれない。」
だから疲れるのです。
塔は一度建てたら終わりではなく、毎日補修が必要だからです。
神がなさったのは、言葉の混乱と分散です。
これは罰でしょうか。
もちろん裁きの面があります。
でも、同時に守りでもあります。
なぜなら、神は暴走を止められたのです。
例えを一つ。
ブレーキが壊れた車が坂道を猛スピードで下っているとします。
運転している本人は「勢いがある」「うまく行っている」と思うかもしれません。
でもその先には衝突があります。
神が止めるのは、愛がないからではありません。
むしろ、止めない方が残酷です。
神は、人が神抜きで巨大な力を持って支配へ向かうのを止めます。
それは世界への守りであり、人間への守りです。
ここで熟読の問いが鋭く刺さります。
「私は何で自分の価値を証明しようとしているか。」
「何を握って安心しようとしているか。」
今日、通読の中で自分の“バベルの塔”が一つ見つかったら大成功です。
見つかったら、主の前に置けるからです。
通読は、心の土台工事です。
バベルの塔を積むのではなく、土台を入れ替えるための時間です。
マタイ4章。
荒野の誘惑。
「神なしで満たす/証明する/支配する」を、イエス様はみことばで退ける。
マタイ4章に行くと、荒野です。
ここで悪魔は三つの誘惑を持ってきます。
一つ目は「パン」。
空腹を満たせ。
神を待たずに、自分で満たせ。
二つ目は「見せびらかし」。
神殿の上から飛び降りて、奇跡で目立て。
人々に認めさせろ。
三つ目は「支配」。
この世の国々の栄華をあげよう。
力で手に入れろ。
これ、創世記11章と同じ根っこです。
バベルの塔も、神なしで安心を作る試みでした。
荒野の誘惑も、神なしで満たし、神なしで証明し、神なしで支配する試みです。
つまり、私たちの心は昔からずっと同じ方向へ傾きます。
人は、神が働かれる時を待つのが苦手で、近道を選びたくなるのです。
でもその近道は、心を荒野にします。
ここでイエスキリストの姿が輝きます。
イエス様は毎回こう返します。
「こう書いてある。」と
御言葉に立ちました。
これが今日の“勝ちパターン”です。
感情だけで戦うと負けてしまうのです。
気分だけで立つと揺れてしまいます。
でも「こう書いてある」と御言葉に立つと、足場ができます。
御言葉は、心の足場板です。
沼に板を渡すと歩けるように、みことばは誘惑の沼を渡らせてくれます。
さらに大事なのは。
イエス様がここで「近道」を拒んだことです。
派手に証明する道。
力で支配する道。
それらを選ばず、十字架へ向かう道を選ばれました。
罪人を救うために、
苦しみを引き受ける道である十字架を選ばれました。
そして復活され、永遠のいのちの道を開かれました。
ですから私たちは、バベルの塔を積んで自分を守らなくていいのです。
救い主がすべてに勝利してくださったからです。
救い主が罪を負ってくださったからです。
救い主が永遠の命をくださったからです。
そしてイエス様は宣言されます。
「悔い改めよ。天の御国が近づいた。」
悔い改めは、後悔大会ではありません。
向きを変えることです。
バベルの塔へ向かう心から。
神の言葉へ向かう心へ。
イエス様は弟子たちを呼んで言います。
「わたしについて来なさい。」と。
通読は、これを育てます。
「読んで終わり」ではなく、「ついて行く心」が強くなります。
それが続ける力になります。
まとめ。
虹の約束は、バベルの塔と誘惑のただ中で「神の言葉に立つ生き方」へ私たちを戻すのです。
創世記10章は、散らばって見える世界も神の視野の中にあると教えました。
創世記11章は、名を上げたい心と、散らされたくない恐れを照らしました。
マタイ4章は、神なしで満たし、証明し、支配しようとする誘惑を暴きました。
そしてイエスキリストは
「(聖書に)こう書いてある」とみことばに立って勝利されました。
十字架へ向かい、復活で命を開かれました。
これが福音であり、通読の中心にいつも見えてくる光です。
通読の素晴らしさは、点が線になることです。
旧約と新約がつながって、心の根っこが見えることです。
そして、その根っこに御言葉が刺さり、歩みが変わることです。
一年続けると、心の土台が本当に整います。
不安のたびにバベルの塔を積むのではなく、御言葉に立てるようになります。
誘惑のたびに倒れるのではなく、「(聖書に)こう書いてある」と返せるようになりたいですね。

