
この記事の目次
支え合う民、そして十字架の現場へ(出エジ18–19/マタイ27)
出エジプト記18章 負担を整え、民を育てる主の知恵
わかりやすい解説
モーセは民の訴えや争いの仲裁を一人で担い、朝から晩まで休みなく裁きを行っていました。
イテロはその様子を見て、現状が長続きしないこと、モーセ自身も民も疲れ果てる危険があることを指摘します。
そして、神の教えを示す中心の務めはモーセが担いつつ、日常的な案件は信頼できる人々に委ね、段階的な指導体制を整えるよう助言します。
モーセは助言を受け入れ、千人隊・百人隊などの長を立て、重い案件だけを自分が扱う仕組みに変えます。
この章は、神様の働きが「一人の信仰者」によってではなく、神の知恵による秩序と力を合わせるものたちの協力によって進むことを示します。
神様が望まれていること
* 神は、神様の前に自分自身を捧げる献身へ導きたいと望んでおられます。
* 神は、個人に集中する働きよりも、集う者たちが互いに愛し合い助けあい、ひとりひとりが責任を担えるようになることを願っておられます。
出エジプト記19章 救われた民を、契約と聖さの民へ
わかりやすい解説
イスラエルはシナイ山に到着し、主はモーセを通して民に語りかけます。
主はまず「わたしがあなたがたを救い出した」という事実を確認させ、その上で「わたしの声に聞き従うなら、あなたがたは宝の民、祭司の王国、聖なる国民となる」と召命を告げます。
ここで強調される順序は、命令が救いの条件ではなく、救いに基づく応答として提示されている点です。
また、民が主の臨在に近づくにあたり、身を整えること、境界を守ることを命じられます。
雷鳴、雲、角笛の音などが描かれ、主の臨在の重さと聖さが示されます。
この章は、主が単に苦難から救うだけでなく、救った民を「主に属し礼拝するもの」として整え、契約へ導かれることを語ります。
神様が望まれていること
* 神は、救いを受けた私たちが、恵みに応答する従順へ進むことを望まれます。
* 神は、わたしたちが礼拝者として神に大胆に近づき、神にたいする畏れと敬虔を願っておられます。
* 神は、わたしたちが神様の栄光をあらわす者となることを望んでおられます。
マタイ27章 十字架で明らかになった人間の罪と神の救い
わかりやすい解説(要点)
イエスキリストは総督ピラトのもとで裁かれ、群衆のののしりとさげすみの中で死刑へと進みます。
兵士たちは侮辱し、主は十字架につけられます。
十字架上での苦しみと嘲りが記され、正午からの暗闇、主の叫び、死の場面が描かれます。
神殿の幕が裂け、百人隊長が「この方は神の子であった」と告白し、イエスは墓に葬られ、墓は封印され寝ずの番をする番兵が置かれます。
この章が示す中心は、十字架が「偶然の悲劇」ではなく、罪に対する神の裁きと罪の完全な赦しの素晴らしい救いが成就する出来事であるということです。
人間の側は神を排除しようとして動きますが、神はその中で救いの計画を成し遂げられます。
神様が望まれていること
* 神は、私たちが救いを「自分の正しさや行い」ではなく、「十字架の恵みに拠って一方的に受け取る」ことを明らかにしておられます。
* 神は、罪をいい加減なものにするのではなく、十字架の前で罪を認め悔い改め、信仰による赦しを受け、神様とともに生きることを願っておられる。
まとめ
神は、ただ救い出すだけで終わらず、救われた私たちの歩みを「
出エジプト記18章で主は、
19章では、主は救いの次に契約へ導き、「救ったから、
そしてマタイ27章で、その恵みの頂点が十字架に現れます。
今日、神が望まれるのは、無理を重ねる努力ではなく、
