【1日目】「はじめに」から始まる救いの物語。天地創造➡人間の罪➡救い主の系図

この記事の目次

聖書通読日課【1日目】

主の足あとをたどる365日 1日3章で心を整える(ショートメッセージ付き)

 

「はじめに」から始まる救いの物語。

創世記1〜3章×マタイ1章を熟読するコツ。

聖書通読の初日。
創世記1〜3章とマタイ1章は、いわば「聖書全体のダイジェスト」です。
ここをサラッと流してしまうと、1年が“ただの読書”になりやすいです。
でも。
ここをじっくり味わうと。
1年が“神様の救いの物語を歩く旅”に変わります。
今日は速く読む日ではありません。
発見する日です。

まず創世記1章。

「はじめに、神が天と地を創造した。」
この一文だけで、世界の見え方が変わります。
世界は偶然の寄せ集めではなく。
神の御手の中で、意味をもって始まった。
しかも神様は、暗やみに向かって「光よあれ」と語られます。
まるで真っ暗な部屋のドアを開けたら、朝日がスッと差し込んで。
一気に部屋の輪郭が見えてくるように。
光が入ると、隠れていたものが明るみに出ます。
あなたの心にも、暗やみがあります。
不安。
疲れ。
罪悪感。
「どうせ私なんて」という思い。
そこに神様は今日も言われます。
「光よあれ。」
だから熟読の第一のポイントは。
この問いです。
「私は今、どのようなこころの暗やみが必要だろうか。」

次に創世記2章。

天地万物を創造された神様が、6日目に人を創造されました。

1日目から5日目まではこの6日目のための準備でした。

神様は最初から人を創造するという計画があり目的がありました。

ですから、わたしたちは目的なく偶然にできた産物ではないのです。

人が偶然できたもので目的なきものであれば、人はなぜ虚しさを覚えるのでしょうか?

人がなぜ生きる目的を求めるのでしょうか?

ここでは神様がアダムとエバを造られます。
神様は人に息を吹き込み。
エデンの園に置き。
働きも与え。
そして満たしも与えられました。

そしてすべてを創造た神様は言われました。

【すべてをよし】と。

すべては良かったのです。

その【すべてをよし】とされたものを破壊したのは何でしょうか?

それがあとで出てくる『罪』です。

罪が全てを破壊したのです・・・

 

そしてここで
大事なのは。
人は“神との関係”の中で生きるようにそして神様の栄光をあらわすために造られたということです。
そして神様は言われます。
「人が、ひとりでいるのは良くない。」
これは、こころに響きます。
信仰は孤独な根性勝負ではありません。
神様との交わり。
そして人との交わり。
この関係の中で育ちます。

熟読の第二のポイントは・・・
こう問いかけることです。
「私は最近、神様との関係を後回しにしていないだろうか。」
「ひとりで抱え込んでいないだろうか。」

そして創世記3章。

ここで罪が入ってきます。
罪の入口は、いきなりの大事件ではありません。
「神のことばへの疑い」から始まります。
「本当に神は…と言われたのか。」
この小さな疑いが。
やがて恐れを生み。
隠れる心を生み。
責任転嫁を生み。
関係を破っていきます。
罪は、神様から離れること。
光から背を向けること。
だから人は隠れます。
でも。
ここからが福音の匂いです。
神様は人を見捨てず。
園を歩きながら言われます。
「あなたは、どこにいるのか。」
責めるためではなく。
探すためです。
さらに神様は皮の衣を与えます。
恥を覆い。
守り。
生きる道を残されます。
熟読の第三のポイントは・・・
こうです。
「私は今、何から隠れているだろうか。」
そして。
「神様が探してくださる声を、どこで聞いているだろうか。」

ここでマタイ1章に飛びます。

いきなり系図です。
正直、眠くなる人もいます。
でも。
系図は退屈な名簿ではありません。
系図は「神様の救いが現実の歴史に入り込んだ証拠」です。
人間の歴史は、きれいごとだけではありません。
失敗。
罪。
曲がりくねり。
遠回り。
でも神様は、その“ややこしい歴史”の中に、救いの糸を通してこられました。
そしてついに。
救い主が来られたのです。
イエス・キリストです。
創世記3章で始まった「罪と恐れと隠れ」は。
マタイ1章で「救い主の到来」によって、答えを受け取る道が開かれます。
この方は、完璧な人の家系にだけ来られたのではありません。
罪人を救うために来られた。
あなたの人生に汚点があっても。
遠回りがあっても。
神様はそこで終わらせません。
むしろ、そこに救いを届けるために主は来られました。

そして、ここが今日の一番大事な結びです。

創世記1章の「光よあれ」は
やがて十字架の光へとつながります。
暗やみが濃いほど、光はまぶしいのです。
イエス様は十字架で罪を負い。
三日目に復活して、命の光を確かにされました

そして私たちは、
ただ“頑張って善人になる”ために聖書を読むのではありません。
救い主の光に照らされ。

信仰によってイエスキリストを主として受け入れ福音を信じました。

ですから、わたしの罪すべてが、
赦され、
新しくされ

(乳飲み子が乳を慕い求めるように)神様の御言葉の乳の栄養を得て

成長する(イエスキリストに似た者とされる)ために聖書を読むのです。

【付録:できる人だけ・・・】今日の熟読のコツを、最後に3つだけ。

始めに・・・

祈り方はどのようであってもいいです。

ただ、

まず聖書通読を始める時に、

神様に「聖書の御言葉をわたしに教えてください。

そして「その御言葉を素直に受け入れ素直に従う信仰を与えてください。」ということだけは必ず祈って始めてください。

 

一つ目。

刺さった1節をメモする。

二つ目。

問いを1つ持つ。
「私はどこに光が必要か。」

三つ目。

短く祈って閉じる。
「父なる神様。
私の心に光をください。
隠れている私を探し。
救い主イエスの十字架と復活の恵みで、わたしを今日を歩ませてください。」

 

さあ。
聖書の旅の初日です。
今日は心の部屋のドアを、ほんの少し開けてみましょう。
光は、必ず差し込みます。

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