【2日目】 闇が光を嫌うとき。 カインとヘロデに学ぶ「罪の現実」と「神の守り」

この記事の目次

聖書通読日課【2日目】

主の足あとをたどる365日 1日3章で心を整える(ショートメッセージ付き)

闇が光を嫌うとき。

カインとヘロデに学ぶ「罪の現実」と「神の守り」(創4〜6/マタ2)

創世記4〜6章とマタイ2章は、読んでいて胸が痛くなる場面が続きます。
でも。
ここを避けずに読むと、福音が“きれいごと”ではなく、私たちの人生に本当に必要な救いだと分かります。

今日の鍵は三つです。
怒りと嫉妬は、放っておくと人をどこへ連れていくのか。
神は罪を放置せず、しかし人を見捨てない。
救い主は最初から狙われたが、神は守り抜かれた。
怖い章ほど、希望の輪郭がはっきりします。

 

創世記4章。

罪は「心の中」で育ち、やがて外にあふれ出る。

カインとアベルの物語です。
ここで大切なのは、罪が「外の事件」より先に“心の中”で育つことです。
神はカインに問いかけます。
「なぜ怒っているのか。」
怒りが悪いのではありません。
怒りが心のハンドルを握り、人生を運転し始めるのが危険です。

「罪は戸口で待ち伏せる」。つまり罪は、心の入口でチャンスを狙っている

 

神はカインに、はっきり警告されます。
「罪は戸口で待ち伏せている。
しかし、あなたはそれを治めるべきだ。」
これは、とても具体的な絵です。
罪は遠くの山の向こうにいる怪物ではなく。
あなたの心の“玄関”に座り込み、入る隙をうかがっている存在だ、ということです。
疲れている時。
比較してしまった時。
「どうせ自分なんか」と落ち込んだ時。
そんな“隙”ができると、罪はサッと入り込みます。
だからここは熟読ポイントです。
神はただ「怒るな」と言っているのではありません。
「怒りを放置すると、罪が支配者になる。
だから入口で止めなさい」と教えておられるのです。

 小さな火種が、大きな火事になる。

そして次に起こるのが、まさにそれです。
最初は心の中の怒りでした。
でも、それを抱えたままにすると、言葉になり。
行動になり。
ついには命を奪うところまで行ってしまいます。
小さな火種を「まあ、これくらい」と放置すると。
ある日、家全体を焼く火事になります。
だから熟読の問いはこうです。
「私の中の“カインの芽”はどこにあるだろうか。」
比較。
嫉妬。
被害者意識。
「自分は正しいのに」という思い。
その芽を、心の戸口で止める必要があります。

それでも神は、完全に切り捨てない。

けれど希望があります。
カインが罪を犯した後でさえ、神は完全に切り捨てず、守りのしるしを与えられました。
神は罪を軽くしません。
でも人を見捨てないのです。

創世記5章。

系図は退屈ではなく、「死」と「希望」を刻む。

系図が続きます。
同じ言葉がくり返されます。
「そして彼は死んだ。」
淡々としているからこそ、胸に刺さります。
罪の現実は、感情よりも“結果”として積み上がるからです。
創世記4章の怒りと罪は、ただの事件では終わらず。
人間の歩み全体に「死」という影を落としていきます。
だから系図は、「昔の人名リスト」ではなく。
罪が世界にもたらした現実を、静かに刻むページなのです。

エノクは「神とともに歩んだ」。ここが系図の中の光。

しかし、その暗い反復の中に、ひときわ明るい言葉が差し込むように現れます。
それがエノクです。
「エノクは神とともに歩んだ。
ここが“系図の中の光”と言える理由は。
「そして彼は死んだ」が続く流れの中で。
ただ一人、人生の向きが違う歩みが示されるからです。
つまり聖書は。
罪と死の現実を隠さず描きながら。
同時に「神とともに歩む道が確かにある」と示しています。
熟読のポイントはこの問いです。
「私は何とともに歩いているか。」
不安とともにか。
評価とともにか。
それとも、神とともにか
エノクの記事は短いのに、ここを丁寧に読むと、心が方向転換できます。

エノクの人生、いろいろな出来事があったでしょう。

でもエノクの人生を1行であらわすなら、

エノクは神とともに歩んだ」で表現されます。

そしてエノクは、死を経験することなく『天に引き上げられた唯一の人間です。』

わたしの人生を振り返って1行であらわしたとして、

「HONJOは神とともに歩んだ」と神様から言ってもらったらどんなに嬉しいことでしょうか。

でも、いまのわたしはそう言っていただく自信はありません。

でも、残り少ないわたしの人生を1行であらわしたとして

「HONJOは2026年、神とともに歩んだ」と言われるような時を過ごしたいと願っています。

 創世記6章。

 神は罪を見過ごさない。しかし裁きの前に、救いの備えがある。

悪が増大し、神が心を痛められる場面に入ります。
神は罪を見過ごされません。
裁きは現実です。
でも同時に、裁きの前に“救いの備え”が用意されます。
箱舟です。

 救いは「努力」より先に「恵み」から始まる。

ノアについて、まず書かれているのは。
「ノアは恵みを得た。」
です。
ノアの努力が先ではありません。
恵みが先です。
救いはいつも「神の備え」から始まります。
熟読のポイントはここです。
「私は自分で豪華な船を作って安心しようとしていないか。」
神が備えた救いに入ること。

ノアにとっては、救いは神様の備えた箱舟です。

私たちにとっては、

イエスキリストの十字架と復活を信じることが

救いのエスキリストの箱舟にはいることです。
これが信仰の本質です。

 

 


 

マタイ2章。

救い主は最初から狙われた。それでも神は守り抜かれた。

東方の博士たちは、幼子イエスを礼拝します。
一方、ヘロデは恐れます。
同じ“王”を前にして。
礼拝する人と、排除しようとする人が出ます。
闇は光を嫌うのです。

救い主は最初から狙われました。
でも神は夢を通して導き、幼子を守り、救いの計画を止めませんでした。

そしてここでわたしは『ヨセフの信仰』を見逃してはならないと思います。

マリアが妊娠していると知ったとき、ヨセフはどれほど落胆したでしょうか。

天使がヨセフにこのことは神様の御計画であることを示されます。

でも、わたしだったらどうしても疑いと不安と恐れをぬぐうことができずに、マリアに裏切られたと思ってしまったかもしれません。

でも、ヨセフは信仰でこの天使を通して語られた言葉を単純に素直に信じました。

そしてそれからは神様が示されるままに素直に行動しました。

もちらん神様がヨセフの信仰を用いてくださったということですが、

このヨセフの信仰が救い主を守ったということもできます。

ここにも「神は見捨てない」という愛の御手が見えます。

私は礼拝する側か。それとも自分の王座を守る側か。

熟読のポイントは、心に問いかけることです。
私は礼拝する側だろうか。
それとも自分の王座を守る側だろうか。
私たちの心にも小さなヘロデがいます。
自分が主でいたいから、主を遠ざけたくなる。
でも神は、そんな私のために救い主を送られたのです。

まとめ。

罪は広がる。しかし神は備え、救い主を守り、十字架へ進まれた。

創世記4章では、怒りの火種が命を奪うところまで行きます。
創世記6章では、罪が世界を覆う洪水のように広がります。
でも神は、裁きの前に箱舟を備え。
マタイ2章では、救い主を守り抜かれました。
この流れの先に、十字架と復活があります。
怒りも、罪の連鎖も、私の努力だけでは止められません。
だからこそキリストが十字架で罪を負い。
復活で新しい命の道を開かれたのです。

今日の一歩。

心の戸口を守る祈りを。

今日できる一歩は小さくてもいいです。
怒りの芽に気づいたら、早めに主に告白する。
「主よ、私の心の戸口を守ってください。」
そして礼拝する側を選ぶ
「主よ、私の王座をあなたにお渡しします。」
この通読は、あなたを責めるためではなく。
あなたを救いの備えの中に招くためにあります。

多くのクリスチャンたちと一緒に、

丁寧に聖書通読で神様の御言葉を読み進めましょう。

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