
この記事の目次
【聖書通読 第7週3日目】「恐れるな、ただ信じよ」臨在・恵み・解放が一本につながる
◉耳から聴く聖書通読のすすめ(5分55秒)
出エジプト記33章:主の臨在こそ、旅のいのちです
内容のわかりやすい解説
金の子牛の罪のあと、民は「主と共に進めるのか」という重大な局面に立たされます。
主はまず、民の罪の深刻さを示しつつ、「あなたがたを導く」と言われます。
しかしモーセは、それでは足りないと願います。
「もしあなたの臨在が共に行かないなら、ここから上らせないでください。」
モーセが求めたのは、成功や安全ではなく、主ご自身です。
さらにモーセは言います。
「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主はモーセに、ご自分の善とあわれみを示されます。
人は主を完全には見られない。
それでも主は、近づく者に、ご自分を“分かる形で”示してくださる。
ここに、主の恵みがあります。
神様が望んでおられること
主が望まれるのは、「祝福だけ」ではなく「主ご自身」を求める心です。
忙しさや課題の中で、私たちが祈る目的が「状況を変えること」だけになっていないか。
主は、「わたしと共に歩め。わたしを求めよ」と招いておられます。
出エジプト記34章:主の御名の宣言と、契約の更新
内容のわかりやすい解説
主はモーセに石の板を再び与え、契約を回復へ導かれます。
その中心が、主ご自身による御名の宣言です。
主は「憐れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵みとまことに富み…」と語られます。
これは、罪を軽くする言葉ではありません。
同時に「罪をそのままにしない」ことも明言されます。
つまり主は、正しさとあわれみを同時に持つお方です。
そして主は、偶像礼拝や妥協を避け、礼拝と生活を整えるよう命じられます。
回復は「気持ちが楽になって終わり」ではなく、歩みを立て直すことへ続きます。
最後に、主と交わったモーセの顔が輝きます。
これは、主の臨在が人を変えることを示します。
神様が望んでおられること
主が望まれるのは、失敗した者が「隠れる」ことではなく、悔い改めて「戻る」ことです。
そして、赦しを受けた者として、偶像や妥協を手放し、礼拝者として生き直すことです。
主は「立派になったら来い」ではなく、「わたしの恵みによって整えられよ」と願っておられます。
マルコ5章:汚れと死の中に、主は踏み込んで救われる
内容のわかりやすい解説
マルコ5章には、主の救いが「最も暗い場所」に届くことが描かれます。
最初は、墓場に住み、鎖でも抑えられない男。
悪霊に苦しみ、人々から隔てられていた人です。
しかし主は愛をもって近づき、解放されます。
正気に戻り、服を着て座る姿は、回復のしるしです。
次に、12年間出血で苦しんだ女性。
当時の律法的理解では「汚れ」とされ、人との交わりから遠ざけられがちでした。
彼女は主の衣に触れ、「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。
主は、恵みを求める者を退けません。
さらに、会堂司ヤイロの娘の死。
絶望の知らせの中で、主は「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われます。
そして少女に「起きなさい」と語り、命を回復されます。
主は汚れにも死にも打ち勝つ救い主として現れます。
神様が望んでおられること
主が望まれるのは、「自分はもう無理だ」と決めることではなく、主に向かうことです。
人が離れる場所に、主は来てくださる。
恥や傷を抱えたままでも、主に触れる信仰を持てるよう、招いておられます。
そして恐れに飲まれそうなとき、「ただ信じていなさい」と語られます。
3つの章のつながりとまとめ
出エジプト記33章は、「主の臨在がなければ進めない」という核心を示します。
出エジプト記34章は、「主は恵みとまことに富み、契約を回復する」ことを宣言します。
マルコ5章は、「その主が、汚れと死のただ中に踏み込み、解放と命を与える」ことを見せます。
今日つながって聞こえる主の声はこうです。
「わたしの臨在を求めなさい。わたしの恵みを信じなさい。恐れの場所でも、わたしは救う。」
あなたの今の課題は、状況の大きさよりも、主の臨在を第一にしているかどうかを問いかけています。
主は、遠くから命じるだけでなく、近づき、名を示し、回復へ導いてくださるお方です。
