【【伝道メッセージ】イエス・キリストは「きのうもきょうも、いつまでも同じ」です(ヘブル13:8)

 

この記事の目次

イエス・キリストは「きのうもきょうも、いつまでも同じ」です(ヘブル13:8)

私たちの心は、状況によって揺れ動きます。
元気な日は「神様はきっと助けてくださる」と思えても、つらい日には「神様は遠い」と感じる。
祈ってもすぐに答えが見えないと、「本当に愛されているのだろうか」と不安になる。

けれども、聖書は静かに、しかし力強く語ります。
**「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。」**(ヘブル13:8)

ここには、私たちの救いの“揺るがない土台”があります。
私たちの気分や成績や信仰の強さによって、主が変わるのではありません。
主は、昨日も、今日も、永遠に、同じ愛と恵みをもって救いを与えるお方です。

 

1. 私たちの問題の根っこは「罪」です

罪とは「悪いことをした回数」だけではありません

罪とは、ただの失敗や欠点ではありません。
聖書が示す罪の本質は、**「神を神としてあがめない」**ことです。
自分中心に生き、神様抜きで人生を組み立てようとする心。
「私は私の主人。私の人生は私が決める」――この姿勢が、神様との関係を壊します。

その結果、私たちは不思議なほど空しくなります。
持っているのに満たされない。
認められても安心できない。
忙しいのに、心が置いてけぼりになる。

罪は、心の中心にズレを生みます。
いわば、コンパスの磁針が狂った状態です。
どれほど努力しても、進む方向が少しずつ外れていく。
その外れが広がると、人生全体が迷子のようになります。

2. 罪には「裁き」が伴い、死は終わりではありません

死は“無”ではなく「永遠の入口」です

多くの人は、死を「すべてが終わること」と考えます。
しかし聖書は、死は終わりではなく、**永遠へ入っていく入口**だと語ります。
そして、罪には裁きが伴います。
聖書には「人間には、一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)とあります。

ここで私たちが向き合うべき現実があります。
それは、罪があるなら裁きがある、ということです。

地獄は「神の不在」という恐ろしさです

聖書は、神に背を向け続ける者の行き着く先を、厳粛に警告します。
地獄とは、ただ怖いイメージの話ではありません。
**神様の光・平安・いのちから切り離される**ことです。
愛の源から離れてなお、魂が生き続ける――これほど恐ろしいことはありません。

だから福音は、軽い慰め話ではありません。
「まあ大丈夫ですよ」と曖昧に包む言葉ではないのです。
福音は、罪と裁きの現実を直視した上で、そこから救い出す“神の手”です

3. それでも神は、私たちを見捨てませんでした

十字架は「神の愛の証拠」です

ここからが福音(良きおとずれ)です。
神様は、罪人を見捨てませんでした。
私たちが神に背を向けていたその時、神は私たちに向かって来てくださいました。

イエス・キリストは、私たちの罪のために、身代わりとして十字架にかかり、死なれました。
罪の代価は死です。
本来それを背負うべきは私たちでした。
しかし主は、罪のないお方なのに、その罰を引き受けてくださいました。

十字架はこう語っています。
「あなたの罪は軽いから赦す」のではありません。
「あなたの罪は重い。だが、わたしが代わりに負う」と。
これが愛です。
愛とは、口先の優しさではなく、**代価を払うこと**です。

 

4. 墓に葬られ、三日目に甦られた――死は打ち破られました

復活は「希望の根拠」です

主は死んで終わりではありませんでした。
墓に葬られ、**三日目に甦られた**のです。
復活は、「いい話」ではなく、救いの核心です。
なぜなら、復活によって、死の力が打ち破られたからです。

私たちは、努力では死を越えられません。
健康法も学びも財産も、死の前では無力です。
しかしイエス・キリストは、死の中に入り、死を内側から破って甦られました。
だから、主を信じる者には、死が“最後の壁”ではなくなります。
死は「敗北」ではなく、「主の御手に移される通路」とされるのです。

5. 「同じ主」が、今日のあなたを招いておられます

福音を信じる者は救われます

救いは、行いの点数で勝ち取るものではありません。
イエス・キリストを、
**「私の罪のために死なれ、甦られた救い主」**として信じる信仰によって与えられます。

ここが決定的に大切です。
私たちが変わりきってから救われるのではありません。
救われたから、変えられていくのです。

そして主は、救いの結果として、永遠の祝福を約束されます。
聖書は、やがて来る世界をこう描きます。
「もはや死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもない」(黙示録21:4)
それは、夢物語ではなく、復活の主が保証してくださる未来です。

 

6. だからこそ、今ここで「帰る」ことができます

あなたが今、罪の重さに気づいているなら、それは恵みの始まりです。
恐れがあるなら、主があなたを起こそうとしておられるサインかもしれません。
心のどこかで「このままではいけない」と感じるなら、その感覚を押しつぶさないでください。

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。
昨日、罪人を愛し、十字架で赦しを備えられた主は、
今日も、あなたを同じ愛で招いておられます。
そして永遠に、あなたを握り続ける主です。

結び:招きの祈り(そのまま祈れます)

まだイエスキリストをあなたの救い主と信じていない方へ

主イエス・キリスト。
私は神様を無視し逆らい刃向ってきた罪人です。神様を無視し、自分中心に生きてきました。
しかし、イエス様が「私の罪のために十字架で死なれ、葬られ、三日目に甦られた救い主であることを信じます。」
どうか私を罪を赦し、あなたのものとしてください。
永遠のいのちと、神様と共に生きる祝福を、私に与えてください。
アーメン。

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