【7日目 日曜励まし】聖書が点から線へ。通読で心の土台が整う一週間(創1〜13/マタ1〜5)

 

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【日曜励まし】聖書が点から線へ。通読で心の土台が整う一週間(創1〜13/マタ1〜5)

日曜日は、読む量を増やす日ではなく。
神様の前で一度立ち止まり。
一週間の通読を“味わい直す日”です。
走りっぱなしの心は、息切れします。
でも、少し立ち止まって深呼吸すると。
「今、どこを歩いているのか」が見えてきます。
聖書通読も同じです。
今日は、創世記1〜13章と、マタイの福音書1〜5章を読み終えた今。
この一週間で見えた“神の物語の線”を、いっしょに見上げましょう。

今週はとても贅沢でした。
創世記は「世界のはじまり」。
マタイは「救い主のはじまり」。
二つの“はじめ”が同時に進み。
まるで二本の川が合流して、大きな一本の流れになるように。
神の救いの物語が、くっきり見えてきました。
聖書は名言集ではありません。
点が散らばった星空ではなく。
星が線で結ばれて「星座」になる物語です。
通読を続けると、点が線になります。
そして線が、あなたの心の土台を整えていきます。

今週のキーワードを最初に並べてみましょう。
光。
破れ。
守り。
混乱のブレーキ。
祝福の水路。
幸いの宣言。
そして背後にある中心は、十字架で死に、よみがえられた救い主イエス・キリストです。
旧約も新約も、そこへ向かっています。
だからこそ通読は、単なる知識の増加ではなく。
救い主の道をいっしょに歩く旅になります。

今週の通読で見えた「神の物語の骨格」

創世記1〜3章。

世界のはじまりは「偶然」ではなく「神のことば」からでした。
「光よあれ」。
混沌と暗やみの上に、神が語られると。
全てが始まりました。
例えるなら、真っ暗な部屋で手探りしていたのに。
スイッチが入って一気に部屋が見えるようなものです。
光が入ると、怖さが減り。
進む方向が分かります。
神のことばは、心にとって同じ働きをします。
「先が見えない」と感じるとき。
神のことばが入ると、今日の一歩が見えてきます。

しかし創世記3章で、破れが起きます。
罪とは、ただ悪いことをしたというより。
神から離れて「自分で善悪を握る」ことでした。
つまり、人間が“神の席”に座ろうとしたのです。
これがすべての混乱の根っこです。
そしてここで福音の必要が芽生えるのです。
人は自力で元に戻れないのです。
だから救い主が必要です。
創世記は最初から、その方向へ線を引いていきます。

創世記4〜6章。

破れは個人の心だけに留まりません。
カインの怒りは、兄弟を傷つけ。
罪は社会を蝕み(むしばみ)ます。
「罪は戸口で待ち伏せている」。
この表現はとてもリアルです。
罪は「忙しいから今日はいいや」という小さな隙間。
「まあ、これくらい」という小さな妥協。
そこにスッと入り込みます。
たとえば火事も同じです。
最初は小さな火種です。
ティッシュ一枚が焦げる程度。
でも放置すれば、部屋全体に燃え広がります。
怒りも。
妬みも。
比較も。
放っておくと大きくなります。

そして6章で、人間の堕落は深くなり。
洪水の物語へ向かいます。
ここで聖書は、「人間の力だけでは回復できない深さ」を見せます。
暗い話に感じるかもしれません。
でも怖い章ほど、福音の必要が分かります。
薬のありがたさは、病の深さが分かった時に見えるように。
救いのありがたさは、罪の現実が分かった時に深まります。

創世記7〜9章。

洪水は裁きです。
でも同時に、救いの物語でもあります。
箱舟という“救いの器”が備えられ。
神はノアを守られました。
そして洪水の後に虹の約束が与えられます。
ここが大事です。
神は裁くだけの方ではありません。
恵みを与え、守り、約束を置かれる方です。
虹は、空にかけられた“神のしるし”です。
「もう二度と洪水で滅ぼさない」。
つまり神は、怒りで終わらせず。
恵みで未来を開きます。

混乱の中でも神は「祝福の線」を通す(創10〜13)

創世記10章。

諸国民の系図は、一見地味です。
でもこれは神の世界地図です。
「世界が散らばって見えても、神は見失わない」。
あなたの生活も散らばっています。
予定。
体調。
家族。
悩み。
仕事。
祈りたいのに心が散らかる日もあります。
でも神はあなたを見失いません。
通読は、散らばった心を「神の地図の上」に戻してくれます。

創世記11章。

バベルの塔は「名を上げたい/散らされたくない」という心が形になった物語です。
ここに現代の私たちの心が映ります。
不安だから、確かな目に見えるものを握りたい。
評価が欲しい。
比較で上に立ちたい。
安心のために、心の塔を積みたくなる。
でも神は、暴走を止められます。
それは意地悪ではなく、ブレーキです。
ブレーキがなければ車は事故に向かいます。
神が止めるのは、世界と人間を守るためです。

創世記12章。

そして神はアブラムに言われます。
「わたしがしめす地に出て行きなさい」。
祝福は、貯めるためではなく、通すために与えられます。
「あなたは祝福となりなさい」。
「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」。
神の救いの計画は、最初から世界サイズでした。
ここで私たちは、十字架と復活の影を見ます。
地のすべての部族への祝福は、最終的にキリストによって確定します。
罪と死を越えて祝福を届かせるために、救い主が必要だったのです。

創世記13章。

争いが起きた時。
アブラムは「争わないで」と言い。
ロトに先に選ばせます。
握りしめる手ではなく、開く手
人は握るほど不安になります。
でも開くほど、神の余地ができます。
そして手放したあとに、神は約束を広げて語られます。
「(信仰の)目を上げて見渡せ」
手放した人に、約束が広がる。
ここも福音の匂いがします。
救い主は十字架で、権利を握りしめず。
私たちのために身を低くされ、平和を作られました。
アブラムの姿は、その方向を指す標識のようです。

同時進行していた新約(マタ1〜5)救い主の到来と神の国の価値観

マタイ1章。

系図は退屈に見えるかもしれません。
でも系図の福音はこうです。
神は、曲がりくねった歴史の中に救いの糸を通しておられる。
「ややこしい人生」でも神は用いる。
あなたの過去が複雑でも。
遠回りがあっても。
神はそれで終わらせません。
救い主は、罪人を救うために来られました。

マタイ2〜3章。

ヘロデの闇。
迫害の中で守られる救い主。
そして洗礼。
悔い改めとは、後悔大会ではなく、向きを変えること
神へ向き直ることです。
通読は、毎日小さな悔い改めを促します。
それが心の方向を整えます。

マタイ4章。

荒野の誘惑。
神なしで満たす。
神なしで証明する。
神なしで支配する。
イエスは「御言葉にこう書いてある」とみことばに立って勝利されました。
ここに通読の実用性があります。
感情だけで戦うと負けやすい。
でも「こう書いてある」と神様の御言葉に立つと足場ができます。
みことばは、泥の上に置かれた板のようです。
その上なら歩けます。

マタイ5章。

イエスキリストの八つの祝福。
幸いは、勝ち組の表彰状ではなく、弱い者への招待状です。
心の貧しい者。
悲しむ者。
柔和な者。
義に飢え渇く者。
主はその人に「幸いです」と言われます。
そして「地の塩」「世の光」にと。
創世記12章の「祝福となる」と響き合います。
祝福は独り占めではなく、通り道です。
塩のように静かに整え。
光のように暗闇を照らす。
その使命へと招かれています。

「今週の私」への適用。心の土台はどこに置かれたか

ここで一度、あなた自身に問いかけてみましょう。

今週、

私の暗やみに「光よあれ」は入ったでしょうか。

心の中で戸口に待ち伏せていたものは何だったでしょうか。

怒り。
不安。
比較。
焦り。
その火種を小さいうちに主に持っていけたでしょうか。

私の箱舟は何でしょうか。

箱舟は現実逃避ではありません。
主のことばの中に身を置く場所です。
祈り。
みことば。
教会。
信頼できる人との分かち合い。
そこに入ると、嵐の中でも沈みにくくなります。

私のバベルの塔は何でしょうか。

名を上げたい。
散らされたくない。
評価で自分を守りたい。
その塔を積んで疲れていないでしょうか。
主は「やめなさい」と責めるより、「こっちへおいで」と導いてくださいます。

私の“開く手”はどこでしょうか。
譲れたでしょうか。
平和を選べたでしょうか。
小さくてもいいのです。
開く手の一歩は、心の土台を整えます。

次の週へ。通読を続けるための日曜の整え

遅れた人にも励ましを。
日曜は、取り戻す日です。
罪悪感で自分を叩く日ではありません。
神の恵みに戻る日です。
通読は競争ではなく、旅です。
旅は、転んでも立ち上がれば進めます。

来週は、さらに信仰の現実が深まり。
神の導きが具体的になります。
旧約では、旅の中の試練と守りが続きます。
新約では、主の教えが日常の悩みへグッと近づきます。
「心配するな」。
「祈りなさい」。
これらが生活の中心に入ってきます。

今日のあなたの休息が、来週の力になります。
日曜は、神の恵みを吸い直す日です。
そしてまた、月曜日から一緒に歩き出しましょう。
聖書が点から線へ。
心の土台が整う旅を、主とともに続けていきましょう。

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