【6日目】肉の目で見るか、信仰の目で見るか。アブラムとロトに学ぶ(創13)

 

【聖書通読(6日目)】握りしめる者か手を開ける者か。肉の目で見上げる者か、信仰の目で見上げる者か。アブラムとロトに学ぶ(創13)

この記事の目次

創世記13章

創世記13章は、派手な奇跡が起こる章ではありません。
でも、人生が分かれる章です。
なぜなら、信仰の旅は「特別な出来事」よりも、「日常で何を選ぶか」で形が決まるからです。

創12でアブラムは、神の召しを受けて旅立ちました。
「行きなさい」。
そして「祝福となりなさい」。
この壮大な約束の次に来るのが、創13の“現実”です。
家畜が増え、財産が増え、陣営が大きくなる。
すると何が起きるでしょう。
…摩擦です。

祝福の後に来る「混雑」

創13では、アブラムの牧者とロトの牧者の間で争いが起きます。
土地には限りがあり、草にも水にも限りがある。
つまり「足りない」が表に出ると、心がギスギスしてくるのです。

これ、現代に置き換えると分かりやすいです。
家族の中でも、教会でも、職場でも。
良いことが増えるほど、実は摩擦も増えやすい。
人数が増えた。
役割が増えた。
忙しくなった。
責任が増えた。
すると「誰がどれだけ負担してる」「どっちが正しい」の火花が散りやすい。
祝福の季節に、争いの芽が生まれることがあるのです。
創世記は、そこを隠さず見せてくれます。
だから通読はリアルで、役に立ちます。

アブラムの選択は「勝つこと」より「平和」

ここでアブラムが取った行動が、信仰者の美しさです。
アブラムは言います。
「どうか、私とあなたの間に争いがないように。
私たちは親族なのだから」。

ここが大切です。
アブラムは、まず相手を責めません。
原因究明から入って、裁判を始めません。
関係を守る方を優先します。
争いは、一度燃え上がると消火が大変です。
家が燃える前に、台所の小さな火種を消す。
アブラムは、その動きをします。

さらに驚くのは次です。
アブラムはロトに「先に選びなさい」と言います。
普通なら、年長者であり、召しを受けた側のアブラムが、良い場所を取ってもおかしくありません。
でも彼は、相手に選択権を渡します。
これは弱さでしょうか。
いいえ、信仰の強さです。

例えるならこうです。
不安が強い人ほど“握る手”になります。
権利を握る。
正しさを握る。
得を握る。
でも握れば握るほど、手は痛くなるのです。
相手も苦しくなる。
そして心は余裕を失います。

アブラムは“開く手”でした。
相手に譲る。
自分の取り分を一度ゆるめる。
なぜそんなことができたのか。
それは、彼が「土地の所有者は神だ」と知っていたからです。
自分が奪い取らなくても、神が与えられる。
この信頼があると、人は平和を選べます。

そしてここに、救い主イエス・キリストの影が見えます。
イエスは十字架で、もっと大きな争いの根を扱われました。
私たちの内側の罪。
意地。
自己中心。
「自分が上だ」という高ぶり。
それが争いを生みます。
主はその罪を背負い、身を低くし、平和への道を開かれました。
アブラムの“譲る姿”は、十字架の方向を指さす小さな標識のようです。
通読をしていると、こうして旧約の出来事の背後にキリストが見えてきます。
これが通読の醍醐味です。

ロトの選択は「目に見える良さ」で決まった

一方のロトは、肉の)目を上げて見回します。
そして「よく潤っている地」を選びます。
見た目が魅力的。
条件が良さそう。
お得に見える

これも現代的です。
私たちは“キラキラ物件”に弱いです。
写真が良い。
アクセスが良い。
値段も良い。
「ここだ」と飛びつきたくなる。
でも住み始めてから、騒音が分かったり、治安が分かったり、管理が分かったりします。
“住んでから見えるもの”がある。

ロトの選択も似ています。
目の前の潤いに引かれ、霊的な危うさを見落としやすい。
創世記はここを丁寧に描きます。
それは「ロトを笑い者にする」ためではなく、私たちが同じ罠に落ちないためです。
通読は未来の自分を守る“人生の予防接種”みたいなものです。
痛みは小さい。
でも後で大きな病を防ぐ。

手放した人に、約束が広がる

そして、ここからが神の美しい展開です。
ロトと分かれたあと、神はアブラムに語りかけます。
(信仰の)目を上げて見渡せ」。
そして約束をよりはっきり、より広く示されます。

これが今日の最大の励ましです。
人は「手放したら減る」と思いがちです。
でも神は「手放したところから、約束を広げる」方です。
争いを手放す。
権利を手放す。
見栄を手放す。
その時、神の声が聞こえやすくなる。
神の導きが見えやすくなる。

通読を続けると、ここが体感になっていきます。
聖書が「昔の話」ではなく、「今日の私の歩き方」になっていく。
創世記13章は、まさにその章です。

今日の一歩

今日できる実践を、シンプルに3つだけ。

1つ目。
争いの火種を“小さいうち”に消しましょう。
心の中で「ムッ」とした段階で、主に持っていく。
燃えてからではなく、火種のうちに。

2つ目。
“開く手”を一つやってみましょう。
譲る。
先に相手の話を聞く。
「あなたが先でいいよ」と言う。
全部じゃなくていいです。
一つでいい。

3つ目。
短い祈りを添えましょう。
「主よ。私の心の握りしめているものをゆるめてください。
あなたが与えると信じて、平和を選ばせてください。
十字架の主の心を、私の心にください」。

今日の通読は、“生活の中の信仰”が磨かれる日です。


創世記13章を丁寧に読むと、「私は今、握っているか。開いているか」が見えてきます。
そして、開く手の先に、神の約束が広がっていきます。
今日も通読を続けましょう。
あなたの歩みは、確実に整えられていきます。


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