
この記事の目次
値打ちのない土の器の私の割れ目は恵みの出口。しかし土の器からあふれる福音
土の器のままでも、主はあなたを用いられる
土の器のままでも、主はあなたを用いられます。
むしろ、土の器だからこそ、主の栄光がいっそう輝きます。
今日はそのことを、心からの励ましとして分かち合います。
「宝を土の器に」――みことばが胸に刺さる理由(Ⅱコリント4:7)
聖書にはこうあります。
「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。
それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるためです。」(Ⅱコリント4:7)
この一節は、弱さを抱える私たちの胸に、まっすぐ刺さります。
なぜなら私たちは、自分の欠けや失敗や限界を、毎日のように見せつけられるからです。
祈ろうとしても集中できない。
愛したいのに、ついイライラしてしまう。
赦したいのに、心が追いつかない。
奉仕したいのに、疲れて動けない。
そんな自分を見て、ふっと心が沈む日があります。
主は「そのまま来なさい」と招かれる
けれど主は、そこから私たちを立ち上がらせてくださいます。
主は「もっと立派になってから来なさい」とは言われません。
主は「そのまま来なさい」と招かれます。
そして驚くべきことに、主は私たちをただ慰めるだけでなく、用いられます。
土の器のままの私たちを通して、神の愛、恵み、そして最も素晴らしい福音を、あふれさせてくださるのです。
金の器ではなく、土の器に宝を入れる主
ここで大切なのは、主が私たちを「金の器」や「水晶の器」に作り替えてから用いるのではない、ということです。
主は土の器に宝を入れ、その宝の輝きで周りを照らされます。
例え。ひびの入ったランタンが、部屋いっぱいを照らす
例えるなら、主は新品のピカピカのランタンだけを使うのではありません。
少しひびが入ったランタンを持ち上げ、そのひびの隙間からも光が漏れて、部屋いっぱいに明かりが広がるようにされます。
割れ目は、失格の印ではなく、光が漏れる出口になる。
これが福音の不思議です。
以前の立場。裁かれるしかない者だった
私たちの「以前の立場」はどうだったでしょう。
正直に言えば、私たちは欠けばかりの者です。
人から称賛される価値があるかと問われると、胸を張れない。
むしろ神の前に立つなら、心の内側の汚れや曲がりを知っているから、言い訳できない。
神は義なる方です。
正しい裁きをなさる方です。
その前では、私たちは「裁かれるしかない者」でした。
「敵対していた」とは何か。静かな敵対の正体
さらに言えば、私たちは神に敵対していた者でした。
「私は神に敵対などしていない」と思う方もいるかもしれません。
でも敵対とは、拳を振り上げることだけではありません。
神を必要としないで生きようとすること。
神の御心より自分の思いを優先すること。
神の言葉より自分の正しさを握ること。
それは静かな敵対です。
氷のように静かでも、神から遠ざかる方向へ心が傾くなら、それは敵対なのです。
だからこそ福音は眩しい。「しかし」が人生を変える
だからこそ、福音は眩しいのです。
「しかし」が眩しいのです。
しかし、イエス・キリストは、そんな私たちを愛してくださいました。
「罪人のために」十字架にかかってくださいました。
「敵対していた者」を赦すために、身代わりとなって罰を受けてくださいました。
そして死んで終わりではありません。
三日目によみがえられました。
復活は何を意味するのか。気分ではなく現実
復活は「気持ちが前向きになる」程度の話ではありません。
復活は「死が終わりではない」という神の宣言です。
復活は「新しい命が始まる」という神の現実です。
復活は「罪の赦しが本物だ」という神の保証です。
立場の大逆転。空っぽの器から、宝を持つ器へ
ここで、私たちの立場は決定的に変えられました。
以前は、裁かれるしかない者。
今は、赦され、神に受け入れられた者。
以前は、遠くにいた者。
今は、主の近くに置かれた者。
以前は、空っぽの器。
今は、宝を入れられた器。
「宝」とは何か。福音の光、キリストご自身
この「宝」とは何でしょう。
Ⅱコリント4章の流れで言えば、それは福音の光です。
救い主イエス・キリストご自身の命です。
十字架で示された愛です。
復活で与えられた希望です。
そしてその宝が、土の器の中に入れられている。
つまり、あなたの中にキリストが住まわれる。
あなたの心に福音が置かれる。
あなたの弱さのただ中に、神の力が宿る。
これがクリスチャンの驚きです。
私たちがしがちな誤解。立派にならないと用いられない?
ここで、私たちはつい誤解します。
「私はもっと立派にならないと、用いられないのではないか。」
「欠けがある自分は、迷惑をかけるだけではないか。」
「こんな私を通して、福音が流れるはずがない。」
でも聖書は逆を言います。
「この宝を土の器の中に入れている。
それは力が神のものだと明らかになるため。」
器が立派だと、人は器を褒めます。
でも器が土だと、宝の素晴らしさが目立ちます。
つまり神は、あなたを用いることで、神ご自身の力を見せてくださるのです。
例え。土鍋の湯気が食卓を温めるように
例えましょう。
料理で言うなら、主は「高級な器に盛らないと味が伝わらない料理」を出す方ではありません。
むしろ、素朴な土鍋で煮込んだ料理が、湯気と香りで食卓全体を温めるように。
主の恵みは、飾り立てた言葉よりも、真実な弱さの告白を通して香り立つことがあります。
「私は強い」と言える人より、「私は弱い。
でも主が助けてくださった」と言える人の証しが、人の心をほどくのです。
土の器の弱さが、教会を柔らかくする
土の器は、壊れやすい。
でも壊れやすいからこそ、
抱え方が丁寧になります。
支え方が優しくなります。
乱暴に扱えないから、互いを大切にします。
教会が教会であるために、これはとても大切です。
「私は完璧だ」と言い張る集まりは、息が詰まります。
でも「私も土の器だ」と言える集まりは、空気が柔らかくなります。
そしてその柔らかい空気の中で、福音の光がよく見えるようになります。
福音をあふれさせる三つの実践。シンプルだけど強い
では、土の器である私たちを通して、どうやって福音が“あふれる”のでしょう。
ここに三つの実践を置きます。
難しいことではありません。
むしろ、子どもでもできるくらいのシンプルさで、強い力があります。
①短い祈りで、毎日福音に立ち返る
一つ目。
福音に立ち返る「短い祈り」を毎日祈ることです。
長くなくていい。
息を整えるように短く。
「主よ。
私は土の器です。
でもあなたの宝は揺らぎません。
十字架の赦しと復活の命に、今日も立たせてください。」
この祈りは、心の足場板になります。
ぬかるんだ道に板を渡すと歩けるように、祈りは心を支えます。
②欠けを「恵みの感謝」に変換する
二つ目。
欠けを「恵みの感謝」に変換することです。
欠けを見つけたら、落ち込む前にこう言い換える。
「ここは私の弱さ。
だから主の助けが必要。
主の助けが見える場所になる。」
例えるなら、これは“割れ目を探す宝探し”です。
割れ目は恥ではありません。
割れ目は、神の愛が流れ出る出口です。
出口があるということは、恵みが流れるということです。
恵みが流れるなら、あなたの人生は止まりません。
③他の人を救えない自分を受け入れ、救い主を指し示す
三つ目。
「他の人を救えない自分」を受け入れ、主に委ねて語ることです。
私たちは人を変えられません。
説得しても、正論でも、人の心の根は変えられません。
でも福音は人を変えます。
神の力が人を生かします。
だからクリスチャンは、肩の力を抜いていい。
「私は救えない。
でも救い主を知っている。」
この姿勢が、いちばん強い証しになります。
なぜなら主役が、あなたではなくキリストになるからです。
欠けはキリストを高くするために用いられる
あなたの欠けは、あなたを下げるためではなく、キリストを高くするために用いられます。
あなたの弱さは、あなたを黙らせるためではなく、福音を語らせるために守られています。
あなたの過去は、あなたを縛る鎖ではなく、恵みを証しする材料に変えられます。
主はそういうお方です。
わくわくする事実。主は欠けがあるまま用いられる
ここで、あなたにもう一度、わくわくする事実を告げます。
主は「欠けがなくなったら用いる」と言われない。
主は「欠けがあるまま用いる」と言われる。
そして、その欠けの場所から、愛と恵みと福音をあふれさせてくださる。
完璧な人ではなく、土の器だから栄光が神に帰る
考えてみてください。
もしあなたが完璧なら、人はあなたを見上げて終わるかもしれません。
でもあなたが土の器なら、人は言います。
「この人が立っていられるのは、主が支えているからだ。」
「この人が赦せるのは、十字架の恵みを知っているからだ。」
「この人が希望を失わないのは、復活の命に立っているからだ。」
そのとき、栄光は神に帰されます。
そしてそれが、神が最も喜ばれることです。
覚えてください。宝は欠けより強い
私たちは時々、自分の欠けを見て落ち込みます。
でも覚えてください。
宝はあなたの欠けより強い。
十字架の赦しは、あなたの罪より大きい。
復活の命は、あなたの疲れより新しい。
神の愛は、あなたの自己否定より深い。
今日も主に差し出そう。「この器を用いてください」
だから、今日も顔を上げましょう。
土の器であることを恥じないでください。
土の器であることを言い訳にしないでください。
むしろ土の器であることを、主に差し出してください。
「主よ。
この器は欠けています。
でもあなたの宝を運ぶには十分です。
私を用いてください。」
共同の告白。土の器でも見捨てられていない
最後に、短い信仰告白を一緒に口にしましょう。
「私は土の器です。
しかし私は見捨てられていません。
私は弱い。
しかし主の力は完全です。
私は欠けだらけ。
しかし福音は完全です。
十字架の赦しに生き。
復活の命に立ち。
今日も主の愛をあふれさせます。」
祝福の祈り。割れ目から光がこぼれ出る日々へ
あなたの今日の一日が、静かな奇跡で満ちますように。
あなたの割れ目から、主の光がこぼれ出ますように。
あなたの言葉が、誰かの心を温めますように。
そして、あなた自身が「主は私を通して働かれる」と味わって、わくわくする日々になりますように。
結び。土の器の中の宝こそ希望
土の器の中の宝。
それが、あなたの希望です。
それが、教会の力です。
それが、福音の輝きです。

