
旧約聖書のレビ記は、
どのように必要か、どのように通読すればいいのでしょうか?
レビ記が「難しい」と感じるのは、とても自然です。
レビ記は物語が少なく、儀式や規定が続きます。
けれど、現代のクリスチャンにとって、実は「レビ記は
ポイントは、レビ記を「昔の宗教ルール集」
この記事の目次
1. レビ記は何のための書ですか
出エジプト記の最後で幕屋が完成し、主の栄光が満ちました。
そこで次の問題が出ます。
「聖なる神が近くにおられるなら、
レビ記は、この問いへの答えです。
神は「近づくな」と突き放すのではなく、
近づく道を整えてくださるお方だと示します。
レビ記の中心は二つです。
一つは赦し(贖い)。
もう一つは『きよさ(聖さ)』です。
赦されて終わりではなく、赦された者としてどう生きるか。
それを「神と共に生きる生活の設計図」として教えます。
2. レビ記が現代のクリスチャンに必要な理由
(1)「罪の重さ」と「赦しの尊さ」が分かります
レビ記は、罪が軽いものではないことを繰り返し示します。
なぜ血が必要なのか。
なぜ代価が必要なのか。
これを読むと、十字架が「美談」ではなく、
新約で「イエスの血」「贖い」「罪の赦し」と聞くたびに、
レビ記が背景として立ち上がります。
(2)「聖さ」は息苦しい縛りではなく、神の恵みの守りです
レビ記の「きよくあれ」は、完璧主義の命令ではありません。
神が民を守り、神の民として形作るための導きです。
現代でも同じです。
罪が人を壊し、関係を壊し、良心を麻痺させます。
神はそこから私たちを守るために、生活の方向を示されます。
(3)礼拝とは「神に近づく」ことだと学べます
私たちは礼拝を「集会」や「習慣」にしがちです。
レビ記は、礼拝が本来「聖なる神に近づく」
すると礼拝が、ただの行事ではなく、心が整う中心になります。
(4)イエス・キリストがどれほど完全な救い主かが見えます
祭司、いけにえ、贖いの日(大贖罪日)などは、
すべて「完全な方」を指し示す影として読めます。
新約のヘブル書が特にここを丁寧に説明します。
レビ記を読むと、ヘブル書が何倍も分かりやすくなります。
3. レビ記を通読するコツ(挫折しない読み方)
コツ1 「何を命じているか」より「神は何を守っているか」を見る
細かい規定で止まりそうなときは問いを変えます。
「なぜこんな規定が?」ではなく、
「神は民を何から守ろうとしているのか」と見ます。
すると、神の配慮や優しさが見えてきます。
コツ2 毎章「福音につながる一本線」を探す
おすすめの探し方は三つです。
- 罪は現実で深い
- 代価が必要
- 神は近づく道を備える
この線が見えたら、その章は成功です。
理解が100点でなくても、線が見えれば前に進めます。
コツ3 「全部理解」ではなく「一つ受け取る」にする
レビ記は情報量が多いので、
毎回「今日の一つ」だけ受け取る読み方が向いています。
たとえば、
「神は近づく道を備える方だ」
「罪は軽くないが、赦しはもっと大きい」
「神の民は自分勝手ではなく、神に属して生きる」
このどれか一つで十分です。
コツ4 新約とセットで読む(特にヘブル書)
レビ記を読んで「これは何の意味?」となったら、
頭の中でこうつなげます。
「これはキリストの救いを説明するための言葉」。
そして可能ならヘブル書を並行で読むと、一気に霧が晴れます。
4. レビ記を読むときの章ごとの見取り図(ざっくり)
- 1〜7章:ささげ物(神に近づく道、罪と赦しの枠組み)
- 8〜10章:祭司(近づく役割の重さ、聖さの現実)
- 11〜15章:きよい/きよくない(生活の隅々まで神のもの)
- 16章:贖罪日(レビ記の中心。赦しの中心がここに集まる)
- 17〜27章:聖さの生活(礼拝と日常が切れないことを学ぶ)
この地図を持って読むと、迷子になりにくいです。
5. 現代のあなたへの実際の適用
レビ記は、あなたを「律法主義」に閉じ込める本ではありません。
むしろ、福音を薄くしないための本です。
もしあなたが、
「自分の罪がよく分からない」
「赦しがありがたいはずなのに浅く感じる」
「礼拝が形だけになる」
「聖さが遠い」
こう感じるなら、レビ記は必要な栄養になります。
神は、あなたを近づけない方ではありません。
近づけるために、道を整え、代価を示し、
レビ記は、その「近づく道」の説明書です。

