聖書通読 第3週6日目(創世記37章・38章・39章)

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聖書通読 第3週6日目(創世記37章・38章・39章)。

今日は心が揺れやすい三章です。
ねたみ。裏切り。性的な罪。誤解と不当な扱い。
でも三章を並べて読むと。神は“人間のねじれ”の中でも物語を止めず。救いの道筋を静かに進めておられることが見えてきます。
読むのがしんどい箇所があるのは。私たちの現実がしんどいからです。だからこそ。聖書は机上の理想論ではなく。主が共に歩く「現実の道」を照らします。

創世記37章。夢とねたみ。穴に落ちても、神の計画は落ちない。

ヨセフは夢を見て語ります。
しかし兄たちの心には。ねたみが燃え上がります。
家族の中で起こるこじれは。外の敵より痛いことがあります。
ヨセフは穴に投げ込まれ。やがて売られ。遠いエジプトへ。

ここで覚えたいのは。
「ヨセフの人生が壊れた瞬間に。神の救いの計画は止まらない」ということです。
人の悪意は現実です。
でも悪意が“最後の言葉”にはなりません。
主は。私たちの知らないところで。道をつないでおられます。

たとえるなら。人生が突然「暗いトンネル」に入ったようでも。
主はすでに出口のほうに立っていて。「こちらだ」と導いておられる。
今日のすすめ。
もしあなたが「不本意な場所」に置かれているなら。
そこで主を見上げる練習をしましょう。
穴の中でも祈りは届きます。
短くでいいのです。
「主よ。私を忘れないでください。」

創世記38章。ユダとタマル。重い章があるのは、恵みが必要だから。

38章は読むのがつらい章です。
欲。ごまかし。ねじれた関係。傷。
「こんな章が聖書にあるのか」と思います。

しかし。聖書は信仰者を“きれいに飾った物語”にしません。
人間の闇を隠さず書きます。
それは私たちを突き放すためではなく。
「人間は自分の力では直せない。だから神の恵みが必要だ」と教えるためです。

さらに驚くのは。
このユダの系図が。やがてダビデへ。メシヤへとつながっていくことです。
神は罪を“良いこと”にするお方ではありません。
けれど罪の現実のただ中でも。救いの歴史を前に進めてしまわれます。

たとえるなら。
ぐちゃぐちゃに絡まった糸を。神は一瞬で「ほどく」だけでなく。
その絡まりさえも踏まえて。布を織り上げていかれるお方です。
今日のすすめ。
38章を読んで苦しくなったら。
他人を裁く前に。自分の心を主の前に差し出しましょう。
「主よ。私の心もきよめてください。」
十字架は「立派な人」へのご褒美ではなく。
「助けが必要な人」への救いです。

創世記39章。誘惑と誤解。それでも主はともにおられる。

39章では。主がヨセフとともにおられたので。働きは祝福されます。
けれど誘惑が来ます。
ヨセフは議論で勝とうとせず。「逃げる」という選択をします。
ところがその結果。誤解され。牢に入れられます。

ここで学ぶのは。
「正しく歩んでも。誤解されることがある」という現実です。
私たちは。正しいならすぐ報われるはずだと思いがちです。
でも神は。報いのタイミングを含めて。深いご計画を持っておられます。

39章は繰り返します。
「主がヨセフとともにおられた。」
場所が牢でも。評判が崩れても。主の臨在は奪われません。
今日のすすめ。
誘惑に勝つ鍵は。「強く戦う」より「距離を取る」ことが多いです。
スマホを置く。場を離れる。人間関係の線を引く。
小さな“逃げ”が。信仰を守る大きな勝利になります。

クリスチャンにとっての今日の3つの一歩。

①「穴の中」で。主に短く叫ぶ。
「主よ。助けてください。」
②「重い現実」を読んだら。恵みに戻る。
「主よ。私をきよめ、憐れんでください。」
③「誘惑」が来たら。早めに逃げる。
逃げることは弱さではなく。主に従う知恵です。

 

この三章が告げる一つの結論はこれです。
人生が荒れても。主は物語を終わらせない。
ねたみの矢も。罪の闇も。誤解の牢も。主の手を縛れません。
十字架と復活の主は。闇を通って勝利されたお方です。
だから今日。あなたがどこにいても。主は共におられます。
目を上げて。もう一歩。主と共に歩きましょう。

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