小さな女の子とおかあさんの愛の絆

最近、引きこもり老人のような生活を続けていますが、久しぶりに出かけました。

その帰りの電車でのこと・・・ 

 

若いお母さんと5歳か6歳くらいの女の子が乗っていました。

女の子は、お母さんにいろいろなことを嬉しそうに楽しそうにしゃべっていました。

お母さんも楽しそうに幸せそうに素晴らしい笑顔で何度もうなづいていました。

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 しばらくして駅に着くと、高齢者の身体の不自由な女性が2人乗ってきました。女の子はその高齢者の2人を見て、お母さんの方を見ました。すると、お母さんは、女の子にうなづきました。

 

 するとすぐに女の子が、高齢者の2人に

「座ってください。」って声をかけてお母さんと一緒に席を立ちました。

高齢者の2人は、小さい子に言われてびっくりしたのですが、

女の子の気持ちをありがたく受け入れ、

ありがとう、ありがとうと何回も言って嬉しそうに席に着きました。

 

 その後、女の子とお母さんはドアの横で楽しそうにしていました。

私は、しばらくして不思議なことに気が付きました。

 

お母さんは、しゃべっていないのです。

それで、注目してみてみると、お母さんは、女の子の話しを聞きながら、

うなづいたり、首を振ったりしているだけのようでした。

でもときどき、手と指を動かして手話で話しているように見えました。

 

 どうもお母さんはろうあ者の方のようです。

女の子の声を聞いているのではなく、しゃべっている口の動きで内容を理解しているようです。

 

女の子は、お母さんが時々手話で話すことばを理解しているようです。

 

 私は、ろうあ者の方が子供を育てるのがどれだけ大変かはよく分かりません。 

 

でも、そのお母さんと女の子の間には、

口の動きで言葉を読み取る技術や、

女の子が手話を理解する力によるコミュニケーションよりも、

お母さんと女の子の間にある『愛』の素晴らしい絆がことばでは理解できないことまでも、

理解しあっているように思えて『愛の力』と『愛の結びつき』に感動しました。

 

 そして、何よりもお母さんと女の子の笑顔が、

今まで見た数えきれない笑顔のなかでも一番素晴らしくさわやかで輝いていました。

 

 その女の子が、どんどん大きくなって周りの目を気にするような年頃になっても、

いまの笑顔を見せてほしいと思いました。

きっと、この女の子は、席を譲るやさしさがあるのですから、

いくつになってもお母さんの愛を喜び、

自分を愛してくれているお母さんを愛しお母さんを誇りにすると確信しました。

 

 

私も、

私を愛し、私の罪のために十字架で尊きいのちを捨ててくださった

イエス様を愛しイエス様の十字架を誇りにして、

どのような時でも喜びと笑顔を持って証しをしていきたいと思います。

 

2015-07-31 18.48.11

 

 

 

 

 

◎コリント人への手紙第二 10章17節◎

  誇る者は、主を誇りなさい

 ガラテヤ人への手紙 6章14節◎

しかし私には、

私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。

この十字架によって、

世界は私に対して十字架につけられ、

私も世界に対して十字架につけられたのです。

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