こころのぐうたら学入門『明日の悩みは、今日悩むな!!』
久しぶりに長距離を、自転車を走らせました。
でも、電動自転車ですが・・・
今日は、年金の手続きをするために、年金事務所に行きました。
少し遠かったのですが、たまには運動をしようと自転車で行きました。
と言っても、電動自転車なので全く楽ちんすぎて、
運動には全くなりませんでした。
でも、久しぶりにゆっくり景色を楽しみ季節を味わいながらゆったりできました。
時代は、どんどんスピードアップしています。
早いほうがいい、
効率が上がるやり方のほうが賞賛を受けます。
少し前に、
外国に輸出されるための新幹線のようですが、時速380キロが出たそうです。
しかし、そんなに急いでどこに行くのでしょうか。
久しぶりに自転車で走ってすごく感動ました。
ゆったりしたスピードだったら、まわりの季節や景色や草花をたのしみながら、
ゆったり情感に浸りながらいろいろなことを考えることができるのです。
ゆったりしてすごい得をしたような気分になれました。
これが、車などで走っているともちろん景色を楽しむことなどできません。
楽ですし、時間も早くて効率からいうと申し分なしです。
でも、どんどん何かを失っているような気がします。
古くさい話しになりますが、
昔の江戸時代の人たちは、京都の三条大橋から東京の日本橋まで東海道を歩いて旅しました、
その距離は、492キロだそうです。
ゆっくり歩いた人もいたでしょうし、
必死で早足で歩いた人もいたでしょう。
どれくらいの時間、日数がかかったのかわかりません。
でも、今なら、新幹線に乗車している時間は、2時間半前後です。
恐ろしいくらい進歩しています。
便利になっています。
そんなに便利になって効率もよくなって生活水準も向上したのですから、
多くの人が生活に余裕を持って、こころ豊かに生きることができるはずなのですが・・・
真実は、反比例するかのように人々のこころは
空虚になり虚しさでいっぱいになっているのは、どうしてでしょうか。
健康管理や、病院での治療もどんどん進化して、
日本の平均寿命は伸びています。
人生100年なんてことも叫ばれています。
しかし、こころの健康に関しては、反比例しています。
どんどんこころの病いの人たちが増えて、
人々のこころは冷え切っています。
日本の高度成長、高度発展は、多くの利益をもたらしました。
しかし、反面、
多くの歪み(ゆがみ)やひずみをもたらしているのです。
せちがない世の中にどんどんなってきました。
多くの人は、ゆったりしたりホッとする機会を持つことができずに、
やはり、頑張るしかない状態が続いています。
真面目に頑張ることは素晴らしいことです。
一生懸命努力することも尊いことです。
でも今多くの人にとって必要なことは、
息抜きをして、いい意味で気分転換をすることではないでしょうか。
昔、釣り好きな人から聞きました。
大きな重い魚を釣ろうと思ったら、
竿がどんなにすごい強度があるかどうかが問題ではないとのことです。
強度よりも、魚釣りの良い竿には、
十分な『遊びの余裕』があり『粘りのあるしなり』がなければならないというのです。
強度だけでは、すぐに竿が折れてしまうそうです。
粘りのあるしなりを利用して、
初めて大きな魚と格闘ができるのだそうです。
私たちの こころ も、強度がいくら強くても、
あるときは『余裕』や『遊び』や臨機応変に対応する『しなり』
(すなわち、良い意味での「ちゃらんぽらんさ」)が必要なのです。
このしなりがないなら、ちょっとしたことでこころが折れてしまうのです。
私は、どんなことが起こってもビクともしない強靭なこころを持っているとは言えません。
反対に、ちょっとしたことでくよくよしたりがっかりしたり落ち込んだりしてしまうものです。
しかし、良い意味で考えても仕方のないことは考えないとか、
もう邪魔くさいから、どうでもいいやとかいい加減なところがいっぱいあります。
そのおかげで、わたしのこころは弱いですが、こころが折れるようなことはありませんでした。
どうすることもできない窮地に追い込まれた時は、
いい加減に、「まあいいか」とか、「あした考えよう」とか先送りにするという特技があります。
また、いつもいつもではないのですが、
本当にどうしようもない最後の最後は、
恥も外聞も捨てて『逃げる』という最後のとっておきの裏技を使います。
わたしのいい加減な性格である
『先延ばしをしてしまうということ』はよくないものですが、
こころの問題に関してはこれでいいのだと自分自身に言い聞かせています。
この「苦しまないでいいことを苦しんでしまうという事」を先延ばしにする性格を形作ったのは、
ある本の影響でした。
私は、高校生の時に、
遠藤周作という小説家の書いた『ぐうたら学入門』という本を読んで、
すごく感動して感化されました。
その中に、『明日できることは、今日するな!』という名言がありました。
そうか、明日したらいいことを無理して今日することはないんだ。
と、妙に受け入れてしまいました。
でも、今になって思えば、明日すればいいことを
色々思い巡らして余計な時間を取られることをしてはならない。って、言うことでした。
聖書にも、以下のような言葉が記されています。

 だから、わたしはあなたがたに言います。

自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、

また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。

いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

 空の鳥を見なさい。

種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。

あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

(マタイの福音書6:25-26)

そして、それは、明日すればいいことは明日にして、
今日できること、今日しなければならないことに
全力を尽くして集中しなさいと言うすごい内容のある名言だったのです。
でも、自分に都合のいいように受け止めた私は、
今日すべきことも明日に先延ばししてしまう
タチの悪い『ぐうたら』になってしまいました。
こころの問題に関しては、ぐうたらでいいのです。
こころの問題に関しては、真面目よりいいかげんな方がいいのです。
今日考えても、どうすることもできないことは、明日に先延ばしすればいいのです。
そして、こころの問題に関しては、
どうしようもなくなったら、自分を守るために逃げてもいいのです。
こころの問題に関しては、
いい意味で、ぐうたらになりましょう。
無理しないで、ぼちぼち行きましょう。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事