盲人の詩人でファニークロスビーという讃美歌の詩を数多く作詞している人がいました。
ビデオを最近久しぶりに見ようと思い、
最初をみだしてすぐに止めてしまいました。
なぜかというと、私自身すごく考えさせられる言葉があったからです。
ファニークロスビーが散歩をしている時に、
ある婦人が、
盲人であるファニークロスビーをを呼び止めて、
あなたのために何かできることはありませんかと尋ねました。
すると、
ファニークロスビーは、「夕日を見せて下さい。」とたのみます。
その婦人は、夕日が見えるところまで案内し、
座って一緒に夕日を見ようとしたその時に、ファニークロスビーは、興奮して尋ねます。
「夕日は、あなたに何を語りかけていますか?」
「神様は、あなたに何を語りかけておられますか?」と。
私だったら、夕日はどんな色でどのような感じですかとしか尋ねないと思います。
さすが、詩人は違うと最初思いました。
確かに詩的な感受性はすごいのですが、
それよりももっと根本的なところが違うのです。
私は、私が主役なのです。
だから、私が夕日をどのように感じるかに興味があるのです。
でも、ファニークロスビーにとっては、
神様が主役であり、
自分は神様によって生かされているものなのです。
ですから、夕日は神様が造られたものであり、
夕日を通して神様が何を語りかけておられるかをどうしても知りたかったのです。
自分が主役であり、
自分は自分で生きている。
私のまわりにあるすべてのものは、私のものであるという立場での視点と、
神様が主役であり、
私も含めすべてのものは神様によって創造されたという立場での視点は
ちょっとした違いのように思えるかもしれませんが、
本当は、天動説と地動説よりももっと大きな違いなのです。
神様は、私に何を語りかけておられますか?
この質問は、私に
おおくのことを教え、
おおくのことを味わさせ、
おおくの感謝を生み出し、
おおくの祈りをわたしから発する源になるでしょう。
神様は、私に何を語りかけておられますか?
この質問をいつも意識していたい。
日常生活の中にあっても・・・・
聖書を学ぶ時にあっても・・・・
祈るときであっても・・・・・・
◉聖書 詩篇19篇1節◉
天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。