どんな境遇にも対処する秘訣(『試練をくぐった者の告白』)

わたしたちは、わたしたちのまわりの環境や境遇の状態が良い時や悪い時に影響されてしまいます。

ですから、いつでも喜ぶことができず、いつでも感謝することができないのです。

しかし本来のクリスチャンの立場は、まわりの環境や境遇の状態が良い時や悪い時に影響されることはないのです。

読み人知らずですが、『試練をくぐった者の告白』という詩が、気になったので読みます・・・

『試練をくぐった者の告白』

私が神様に求めたのは、勝ちを得るための強さでした。

けれども

私は弱くされました。

謙虚に従うことを学ぶために。

 

私が神様に求めたのは、もっと大きな事を成し得る健康でした。

けれども

わたしには病弱が与えられました。

もっと善いことをするようにと。

 

私が神様に求めたのは、幸福になるための富でした。

けれども

私は貧しさを与えられたのです。

智慧を得るようにと。

 

私が神様に求めたのは、人びとの称賛を得るための力でした。

けれども

私は弱さを与えられました。

神が必要であることを感じるために。

 

私が神様に求めたのは、人生を楽しむためのあらゆることでした。

けれども

私には命が与えられたのです。すべてを享受するようにと。

 

私が神様に求めたものを、私はなにひとつ得られませんでしたが・・・

願ったことはすべてかなえられました。

このような私でありますのに、神は、私のことばに言い表せぬ祈りに応えられました。

私はすべての人のうちで、もっとも多くの祝福を受けている者です。

 

次のような聖書の御言葉があります。

◉コリント人への手紙 第二 8章9節◉

あなたがたは、私たちの主イエスキリストの恵みを知っています。

すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。

それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

 

◉ピリピ人への手紙4章11~13節◉

乏しいからこう言うのではありません。

私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

どんな境遇にも対処する秘訣

たしかに、私たちが求めるものと、神様が与えられるものとは違うことが多くあります。

しかし、それが最善なのです。なぜなら、神様はすべてを益としてくださる方だからです。

 

病気であるなら、イエス様により頼むチャンスであり、

健康であるなら、もっとイエス様に従えるチャンスです。

 

豊かであるなら、もっとイエス様に捧げることができるチャンスであり、

貧しいなら、貧しさのなかにあってイエス様に信仰でより頼みイエス様に求めるチャンスです。

 

時間があるなら、もっとイエス様を証しできるチャンスであり、

時間がないなら、イエス様にもっと信頼できるチャンスです。

 

結局、どんな時でも、イエス様に信頼し従うことが、あらゆる境遇に対処する秘訣なのです。

 

だからこそ、クリスチャンは、

ピリピ4:13

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

ピリピ4:19

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

 

ということができるのです。

もう一度御言葉を読みます。

 

◉ピリピ人への手紙4章11~13節◉

乏しいからこう言うのではありません。

私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。

また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

あなたは信仰の口を大きくあけていますか?

『あなたの口を大きくあけよ。

わたしが、それを満たそう。』(詩篇81:10)

と言ってくださっている神様に対して わたしのできること、しなければならないことは、

神様が満たしてくださることを確信して、願い求め、わたしの信仰の口を大きく開けることです。

それが 神様がわたしを用いる方法であり、神様が望んでんでおられることです。

わたしたちは口をあけて、不平や不満という不信仰の言葉をつぶやいてしまうことが多くあります。

しかし、わたしたちは、口をあけて信仰の言葉を語り祈ることができます。

そして口をあけて聖書の御言葉を受け取ると同時に神様の祝福も受け取ることができるのです。

神様が与えようとしてくださっている祝福をあますところなく『わたしの信仰の口』大きく開けて受け取りたいと願います。

そしてただ受け取るだけではなく、もっともっと『わたし自身』を神様に捧げたいものです。

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