◎慣れるということほど恐ろしいことはありません。

わたしの職場は、ビルの二階と四階です。

事務所として使っているのは四階で、移動にはエレベーターを使います。
以前、故障していて長い間使用できずに、階段を使わなくてはならなくて大変なことがありました。

 

今回は、エレベーターは、動いていたのですが、長い間、エレベーター内の天井のライトがだんだん暗くなって、ここしばらくは、ほとんど電球が切れている状態でした。動きはするのですが、エレベーター内は真っ暗闇という状態でした。
みんなで、恐怖のエレベーターと呼んでいました。
真っ暗闇なら、使用しないと思うでしょうが、みんなそれでも階段で四階まで上がるのが嫌で、真っ暗闇でも我慢して乗っていました。
管理会社には、相当前からお願いしていたのですが、なかなか対応してくれずに放ったらかし状態でした。
くる人くる人が、暗くて怖いと叫ぶくらいでした。
そして、今日やっとエレベーターのメンテナンス会社が来てくれて、電球を取り替えてくれました。
自分たちで電球を取り替えようとしたのですが、エレベーター内の天井で電球を交換するのではなく、エレベーターの外の屋根の上からしか交換できないので、エレベーターを止めてエレベーターボックスの屋根に乗らなけれならなかったので、危険すぎてできませんでした。
やっと、電球の交換が済みました。
みんな明るくなったと喜んでいます。今まで暗くて当たり前だったからか、恥ずかしいくらい明るいのです。
徐々にだんだん暗くなっていったので、暗さにも慣れていたからかもわかりません。
それで思いました。
どんなに暗くても、光によって一瞬で暗闇はどこかにいってしまうのだと。

この世の中は、どれほど暗いのでしょうか?
そこにどっぷりつかっていると、だんだんとその暗さにも慣れて、当たり前になってしまうのではないでしょうか。
でも、光に照らされると、その暗さがどんなに暗かったのか、そして本当の明るさがどんなに素晴らしいものかを知ることができます。
「わたしは世の光です。」と言われたイエスキリストが、世を照らし、世の暗さ、愚かさ、恐ろしさを明らかにします。
そして、わたしの内にある罪あなたの恐ろしい罪を照らし明らかにします。
でも、イエスキリストは、私たちの罪のゆるしと、永遠のいのちを与えるために十字架で死によみがえられたのです。
このイエスキリストこそ、世の光であり、救い主なのです。
“イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」”
ヨハネの福音書 8章12節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

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