
この記事の目次
(種まきのたとえ:主にマルコ4章/マタイ13章)から・・・
御言葉を幼子のように受け取ると、人生が輝く!!
聖書の中に「種まきのたとえ」があります。
農夫が種を蒔きます。
種は同じです。
でも落ちる場所によって、実りが大きく変わります。
このたとえは、読むたびに不思議な力があります。
なぜなら、私たちの心の状態を、やさしく、でも正確に映し出すからです。
そして同時に、神様がどれほど希望をもって、私たちを育ててくださるかを教えるからです。
1.「御言葉の種」は、神様が蒔いてくださる
御言葉は、私たちが思いついた良い考えではありません。
神様が、あなたの心の中に「いのち」を届けるために蒔いてくださる種です。
種のすごいところは、見た目は小さくても、いのちが入っていることです。
水が与えられ、土が整えられ、時間が経つと、芽が出ます。
芽が出たら、伸びます。
伸びたら、実を結びます。
つまり、御言葉は「読んだ瞬間に全部わかるもの」ではなく、
「宿って、育って、形になるもの」なのです。
ここで大切なのは、成長の力があなたの力や努力にあるのではなく、
神様の言葉そのものに力がある、ということです。
あなたが弱い日でも。
祈れない日でも。
気分が沈む日でも。
神様は、種を蒔くのをやめません。
それが、神様の愛です。
2.幼子のように受け取るとは「委ねる」こと
「幼子のように」と言うと、何も考えないことのように聞こえるかもしれません。

でも、聖書が語る幼子の姿は、もっと美しい姿です。
幼子は、わからないことがあっても、信頼できる相手の声を聞きます。
「よくわからないけど、お父さんが言うなら行く。」
「怖いけど、お母さんが手を取ってくれるなら歩く。」
これが信仰です。
理解がゼロでもいい、という意味ではありません。
でも、理解が全部そろうまで動かない、という姿勢ではありません。
御言葉に出会ったら、まず受け取る。
そして、神様に寄りかかりながら進む。
神様は、その歩みの途中で、理解も、確信も、整えてくださいます。
「できるようになったら従います。」ではなく、
「主よ、あなたが言われたから、一歩出ます。」
この素直さを、神様はとても喜ばれます。
3.成長を邪魔する三つの壁を、神様は見抜いておられる
種まきのたとえには、実が実らない場面も出てきます。
でも、それは私たちを責めるためではありません。
神様が「どこを整えれば育つか」を教えるためです。
1)奪われる心
道ばたに落ちた種は、すぐ鳥に取られます。
これは、聞いたのに、心に入る前に奪われる状態です。
忙しさで。
スマホの情報で。
不安で。
「まあ、そのうち」で。
御言葉が心の中に根を下ろす前に、するりと消えてしまう。
もし思い当たるなら、神様はあなたを責めません。
「大丈夫。あなたの心を守るように、わたしと一緒に整えよう。」
そう言ってくださいます。
2)根が浅い心
岩地に落ちた種は芽を出します。
でも根が浅いので、日が照るとしおれます。
最初は感動したのに。
やる気も出たのに。
試練が来たら、一気に弱る。
ここで大切なのは、あなたがダメなのではないことです。
神様は「根を深くする」ことを、時間をかけてなさいます。
弱さが出たときこそ、主にしがみつくチャンスになります。
3)ふさがる心
茨の中の種は、芽は出ても、茨にふさがれて実りません。
思い煩い、富の惑わし、欲が、成長を止めてしまうのです。
これは、悪いことだけが茨ではない、という点が鋭いです。
仕事も。
予定も。
人間関係も。
役割も。
全部大切です。
しかし、それらが心をふさぎ、神様の声が聞こえなくなるなら、
神様はやさしく問われます。
「あなたの心の中心を、わたしに戻してください。」と。
4.良い地は「生まれつき」ではなく「神様が耕す地」
良い地に落ちた種は実を結びます。![]()

三十倍、六十倍、百倍。
ここで誤解しないでください。
良い地は「もともと立派な人の心」ではありません。
神様に耕され、柔らかくされ、受け取れるようにされた心です。
悔い改めとは、罰を恐れて縮こまることではありません。
神様の前で正直になってこころの向きを神様以外のものから神様にもどすことです。
「主よ、私は忙しさに埋もれていました。」
「主よ、私は不安でいっぱいです。」
「主よ、私はあなたより自分の計画を握っていました。」
その正直さを、神様は嫌いません。
むしろ、そこから育て始められます。
ここに十字架の香りがあります。
私たちの罪や弱さを、主は見捨てずに引き受けてくださった。
だから私たちは、隠れなくてよいのです。
復活の香りもあります。
倒れて終わりではなく、もう一度立ち上がる道が備えられているからです。
5.神様は私たちを「育てられる者」から「用いられる者」へ導く
御言葉が育つと、あなた自身が成長します。![]()

考え方が整います。
祈りの言葉が変わります。
恐れの中でも立つ力が出てきます。
でも神様は、それで終わりにしません。
次に、あなたを「誰かのために用いる」ことがあります。
あなたが受け取った御言葉が、
苦しい人への励ましになる。
迷っている人への光になる。
倒れた人への支えになる。
ここが素晴らしいのです。
神様は、完璧な人を用いられるのではありません。
従う人を用いられます。
幼子のように受け取る人を用いられます。
だからあなたは今日、こう祈れます。
「主よ、私を用いてください。」
「私が誰かを救うのではありません。
あなたの御言葉が届くように、私を御言葉がその人に届く通路にしてください。」
6.今日のあなたへの問いかけ
ここまで読んで、あなたの心はどの地に近いでしょうか。![]()

道ばたでしょうか。
岩地でしょうか。
茨でしょうか。
それとも、良い地でしょうか。
そして、もう一つの問いがあります。
今日、あなたは御言葉を受け取ったあと、どこで止まっているでしょうか。
神様の言葉に応答することを、先延ばしにしていないでしょうか。
神様に場所を明け渡すことを、「もう少し落ち着いてから」と後回しにしていないでしょうか。
赦しを受け取ったのだけれども歩み出すことを、「まだ自分には早い」と手前で止めていないでしょうか。
不可能の壁は、あなたの信仰を止めるためではありません。
主を仰ぐために置かれることがあります。
見えるものではなく、主の言葉に立つために。
あなたの心に蒔かれた種を、今日、主の手に渡してみませんか。
そしてこう告白してみませんか。
「主よ。私は幼子のように受け取ります。
育てるのはあなたです。成長させてイエス様に似た者へと成長させて下さるのは神様です。
そしてわたしを用いてくださるのも神様あなたです。
だから私は、神様あなただけに幼子のようにただひたむきにあなたにより頼みます。」と宣言したいのです。
