
御翼(みつばさ)の陰に憩う—安全・立場・約束
先日、わたしは一人のクリスチャンと交わりました。
しかし、人間的に考えるとどうしてもこうしても解決の出口がないかのような八方ふさがりの状態でした。
わたしがどうこうしてもどうすることもできない問題でした。
数時間、交わってわたしは聖書の御言葉から励ましを与えようとしましたが、その方にはどうも届いていないかのようでした。
というよりあまりの落胆で聞く耳を持つことすらできなかったのかもしれません。
それでもわたしは出来る限り聖書から御言葉を語りましたが、終わらなければならない時間になりました。
それで、最期にわたしは祈らせて下さいって言って祈りました。
その時の祈りの内容です・・・
『 尊き父なる神様 。
イエス様が私たちを愛して十字架で死に 墓に葬られ三日目に死の力を打ち破って復活して下さったことをこころから感謝します。
わたしは神様を神様と認めず逆らいはむかった罪人です。 神様から愛される価値も救われる資格もありません。 しかし、イエス様はこんなわたしの罪のために十字架で死に甦ってくださったこと 本当に感謝します。
神様、今、〇〇さんがつらく苦しい思いをされています。 わたしは何の助けもすることができません。 しかし神様あなたは〇〇さんの苦しみやつらさや悲しみをすべてご存知です。 ですから、全知全能なる神様ご自身が〇〇さんを助け励ましてください。 神様、あなたの素晴らしい御力を今あらわしてください。 すべてを神様あなたの御手にゆだねます。 神様が働いてください。
「子鳥が親鳥の翼の陰で」安心して休憩できるように 「〇〇さんが神様の安全な愛と恵みに満ちた御翼(みつばさ)の陰で」 憩い、魂の安らぎを得ることができるように助けて下さい。
イエスキリストの御名によってお祈りします。 アーメン 』
ってお祈りさせていただきました。
そしてその時にはっきりと私自身が教えられました。
何を教えられたのでしょうか?
お祈りが終わるとその方が泣いておられました。なぜでしょうか?
わたしもその方もはっきりと神様から教えられたのです。
「子鳥が親鳥の翼の陰で」安心して休憩できるように 「〇〇さんが神様の安全な愛と恵みに満ちた御翼(みつばさ)の陰で」 憩い、魂の安らぎを得ることができるように
と祈って
助けて下さい。と祈った時、はっきりと私もその方もわかりました。
神様は、必ず御翼の陰で覆(おお)い。助けて下さるお方だということを!!

この記事の目次
1.導入――“逃げ場がない”夜にも
忙しい一日が終わり、胸の奥がざわついて眠れない夜があります。
頭では大丈夫と分かっているのに、心が先に疲れはててしまう夜があります。
そんな時、聖書は一枚の温かな風景を見せてくれます。
親鳥が、小さなひなを翼の下にかくまう姿です。
嵐が来ても、鋭い風が吹いても、ひなは翼の陰で息を整えます。
神はご自分の民を、そのように覆(おお)ってくださるお方だと聖書は語ります。
「神よ、私をあわれんでください。私の身をあなたの翼の陰に避けさせてください。」(詩篇57:1 新改訳第3版)
「主は…ご自分の羽であなたをおおい…あなたの盾、…大盾となられる。」(詩篇91:4)
主イエスキリストも嘆きの中でこう言われました。「私は、めんどりがそのひなを羽の下に集めるように、あなたがたを幾度集めようとしたことか。」(マタイ23:37)
これは“詩的な慰め”という以上の『現実』です。
神の臨在は、今日のあなたを実際に守る場所になります。
2.大きな結論
一言で言えばこうです。
神はキリストにある私たちを“御翼の陰”で守り、
・今日の「安全」
・私たちの「立場」
・これからの「約束」を確かに与えておられます。
この三つが心に確かに置かれるとき、
私たちは状況の波に揺られても、沈まないでいられます。

3.第一部:安全(守り)――“覆い”としての御翼
聖書の多くの箇所が、神の守りを「覆う」イメージで語ります。
「あなたを、翼の陰に隠してください。」(詩篇17:8)
「あなたの翼の陰に、人の子らは身を避けます。」(詩篇36:7)
「あなたは、私の避け所です。」(詩篇61:4/63:7 要旨)
イスラエルが荒野を歩んだとき、神は「わしが、その翼にのせて、あなたがたを運んだ」(出エジプト19:4、申命記32:11 要旨)と語られました。
神の守りは抽象ではありません。三つの表情を見せます。
① 臨在の守り。
心配事を神に打ち明けるとき、
「すべての知恵にまさる神の平安が…あなたがたの心と思いを守る」(ピリピ4:6–7)と約束されます。
問題が即座に消えなくても、心に番兵のような平安が立ってくれる。
これが御翼の陰の第一の現実です。
② 導きの守り。
「私はあなたに目を留め、行くべき道を教えよう。」(詩篇32:8)
神は“ここを通りなさい”と、暗がりの中に灯を置く方です。
先が全部は見えなくても、次の一歩に十分な光は与えられます。
③ 供給の守り。
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」(詩篇23:1)
必要がゼロになるのではなく、必要に対して主が十分でいてくださる。
この十分さが、心の不安を静めます。
嵐の丘の上で、親鳥が翼を広げ、ひなを覆う姿を想像してください。
外側の風は止まらなくても、ひなの世界には“温度”が戻ります。
御翼の陰は、状況が嵐であってもその中に生まれる小さな“春”です。

4.第二部:立場 (御翼の陰に憩う者の資格とは?)
御翼の陰が場所なら、そこに住む資格が「キリストにある立場」です。
「今や、キリスト・イエスにある者は、罪に定められることがありません。」(ローマ8:1)
「愛され、赦され、受け入れられている」(エペソ1:3–7 要旨)
「彼らをだれも、わたしの手から奪い去りはしない。」(ヨハネ10:28–29)
私たちは、がんばりの実績で守られるのではありません。
誰につながっているかで守られるのです。
主イエスは言われました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:5)
枝は、自力で実を作りません。
ただ木に“つながる”から、樹のいのちが流れて実がなるのです。
御霊の実(愛・喜び・平安…ガラテヤ5:22–23)は、努力の産物ではなく“つながりの結果”なのです。
たとえば、
部屋のスタンドライトは、いくらスイッチを連打しても、電源につながっていなければ灯りません。
けれど、コードをコンセントに差し直した瞬間、静かに光ります。
私たちの“立場”とは、このつながりの位置のこと。
「キリストにある」という身分が、あなたの心に光をともすのです。
だから、弱さを感じる日にもこう言えます。
「私はキリストにある。愛され、赦され、御翼の陰に住む者だ。」
身分の確認は、心の姿勢を整え、現実の受け止め方を変えていきます。
5.第三部:約束(希望)――“これから”を支えることば
主イエスは、弟子たちの不安にこう言われました。
「わたしは、あなたがたに平安を残します…わたしの与える平安は、世が与えるのとは異なります。心を騒がせてはなりません。」(ヨハネ14:27 要旨)
心が揺れるとき、神は「平安」を、「導き」を、「完成」を約束されます。
「思いをあなたにとどめる者を、あなたは全き平安に保ってくださいます。」(イザヤ26:3)
「私はあなたに道を教える。」(詩篇32:8)
「良いわざを始められた方が、完成してくださる。」(ピリピ1:6)
そして、終着点の約束もあります。
「今の苦しみは、やがて現れる栄光に比べれば、取るに足りない。」(ローマ8:18 要旨)
「神を愛する人々には、万事が益となる。」(ローマ8:28)
「わたしはよみがえりです。いのちです。」(ヨハネ11:25–26)
この“これから”のことばを握ると、今日の一日が違って見えます。
暗闇に一本のロープが垂れていると知るだけで、人は踏み切り台から跳べるのです。
約束は、心の中にかかる“安全綱”です。
6.物語エピソード――御翼の陰に入っていった人たち
ルツの物語。
異国の地で、夫も家も失った若い女性が、主の民の神を「私の神」と告白し、ナオミに寄り添って歩みました(ルツ1章)。
やがてボアズは彼女に言います。「あなたが主の翼の下に身を避けに来たのを、主が豊かに報いてくださるように。」(ルツ2:12 要旨)
弱さを抱えたままでも、主は翼の下に迎え入れてくださる――それが回復の始まりでした。
洞窟のダビデ
追われる夜、彼は歌います。「私はあなたの翼の陰に避け所を求めます。」(詩篇57:1)
外の状況は変わらない。けれど、彼の中には「礼拝という灯」が灯り続けました。
御翼の陰で、歌は消えません。
エルサレムに対して主は嘆かれました。「何度、あなたがたを羽の下に集めようとしたことか。」(マタイ23:37)
主の御心はいつも一つです。「集めること」。
離れてしまった心を、再び御翼の陰へ招くこと。
その御心は、今のあなたにも向けられています。
7.福音の中心――御翼の陰が開かれた道
ここまで見てきた「安全」「立場」「約束」は、どれも福音(グッド・ニュース)から始まります。
人は、神から離れ、自分の力で守りを作ろうとして、傷つけ合い、壊してきました。
けれど、神は御子イエスを遣わし、「十字架」で私たちの罪を背負わせ、「三日目」によみがえらせて、敵である死の力を打ち破られました。
「キリストは、私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえられた。」(Ⅰコリント15:3–4 要旨)
この救いを「ただ信じて受け取る者」に、赦しと永遠のいのちが与えられます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された…御子を信じる者が、滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
「わたしのことばを聞き、わたしを遣わした方を信じる者は…死からいのちへ移っている。」(ヨハネ5:24 要旨)
「信仰によって義と認められた私たちは、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに対するご自身の愛を示しておられます。」(ローマ5:8)
だから言えるのです。
「御翼の陰は、私の努力で駆け込む避難所ではなく、十字架と復活で開かれた“住まい”だ。」
信じる者は、そこに「招かれ」、「置かれ」、「守られる」のです。

結び――今日、この“陰”に座る
あなたが今、どんな暴風の中にいても大丈夫です。
神は今日も、御翼を広げておられます。
嵐はすぐに止まらないかもしれません。
けれど、あなたの世界には“温度”が戻ります。
どうか、心の中で静かに告白してください。
「主よ、私をあなたの御翼の陰にかくまってください。
私はキリストにある者です。
あなたの平安と約束の中に、今日を歩みます。」
この小さな祈りが、あなたの一日に柔らかな灯をともしますように。
そして、その灯が、明日も、明後日も、あなたの足もとを照らしますように。


