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【聖書通読 第5週6日目(土)】出エジプト記13–15章|救いは「記憶」から「賛美」へ
1.出エジプト記13章:救いを「忘れない」ためのしるし
1)内容の流れ(初子のささげ・種なしパン・導き)
13章では、主が民をエジプトから救い出されたことを、次の世代まで覚えるための取り決めが語られます。
初子を主のものとしてささげること。
過越の出来事を記念して、種なしパンの祭りを守ること。
そして何より、主ご自身が雲の柱と火の柱で導かれること。
救いは「一度の感動」で終わらず、「生活の中心」に置かれるように導かれます。
2)学び:神は、救いを“記憶の芯”に刻まれる
私たちは苦しい時ほど、神の恵みを忘れやすいです。
だから主は、忘れないための“しるし”を与えられます。
たとえるなら、記念日をカレンダーに入れるようなものです。
忘れっぽい私たちを責めるのではなく、支えるために備えてくださいます。
問題提議:あなたの一週間の中で、主の救いを思い出す「しるし」はありますか。
礼拝、みことば、祈り、感謝のメモ。
それが薄くなると、心はすぐ不安のほうへ傾きませんか。
3)神が望んでおられること(短く)
主は、救いを「過去の話」にせず、今日の歩みを導く「土台」にしてほしいと願っておられます。
2.出エジプト記14章:行き止まりで、神の道が開く
1)内容の流れ(前は海、後ろは敵)
14章は紅海の出来事です。
前は海で進めない。
後ろからファラオの軍勢が迫る。
民は恐れ、叫び、神とモーセを責めたくなります。
けれど主は「恐れてはならない。しっかり立って主の救いを見よ」と語られます。
そして海が分かれ、民は乾いた地を渡り、敵は止められます。
2)学び:人間の計画が尽きた場所で、神の計画が始まる
この場面の中心は、「海が割れた」ことだけではありません。
神が、絶望の場所で、信頼へと心を向け直させることです。
不可能の壁は、私たちを止めるためではなく、主を仰がせるために置かれることがあります。
見える道ではなく、主のことばに立つ訓練がここにあります。
そしてここには、十字架と復活の“香り”もあります。
私たちの前にある最大の壁は「罪」と「死」です。
しかし主は、十字架で罪を背負い、復活で死を打ち破り、通り道を開かれました。
紅海は、その救いの型のように、私たちに希望を指し示します。
問題提議:あなたの「紅海」は何でしょうか。
前の不安、後ろの罪悪感、迫ってくる恐れ。
あなたは今、感情の声に立っていますか。
それとも、主のことばに立とうとしていますか。
3)神が望んでおられること(短く)
主は、状況が変わる前に、まずあなたの心が「主に信頼する方向」へ向くことを願っておられます。
3.出エジプト記15章:救われた民が歌う、勝利の歌
1)内容の流れ(モーセの歌、そしてマラの苦さ)
15章の前半は、モーセと民が主をほめたたえる歌です。
「主は力、主は救い」と歌い、主の勝利を喜びます。
ところが後半では、すぐに現実の試練が来ます。
荒野で水が苦く、民はつぶやきます。
主は水を甘くし、「わたしは主、あなたを癒やす者」と示されます。
賛美の直後に試練、という流れがとても現実的です。
2)学び:賛美は、問題がない時だけの歌ではない
救いの後にも、荒野はあります。
でも荒野は「見捨てられた証拠」ではありません。
むしろ、主が共におられることを学ぶ場所になります。
たとえるなら、救急車で助け出された後に、リハビリが始まるようなものです。
救いは終点ではなく、新しい歩みのスタートです。
問題提議:あなたの賛美は、状況が良い時だけの賛美になっていないでしょうか。
苦い水の前で、あなたはまず何を口にしますか。
つぶやきですか。
それとも、「主は癒やす方」という約束に立つ言葉ですか。
3)神が望んでおられること(短く)
主は、あなたが試練の中でも、主の真実に耳を傾け、信頼の方向へ歩み直すことを願っておられます。
まとめ:きょうの通読で握る一本の線
出エジプト記13章は「救いを覚える」章です。
14章は「行き止まりで道が開く」章です。
15章は「救われた者が歌い、そして試練でも主を学ぶ」章です。
あなたは今、主の救いを“記憶”として持っていますか。
それとも“今日の歩み”を動かす力として持っていますか。
もし主があなたを導いておられるなら、問いはこう変わります。
「どうすれば不安が消えるか」ではなく、
「私は誰の声に従って歩くのか」です。
読めば読むほど、出エジプトはこう語りかけます。
救いは偶然ではなく、主の御手による。
道は見えてから開くのではなく、主が開かれる。
そして救われた者は、賛美と信頼の歩みへ招かれている。
➡【長編】紅海が真っ二つに割かれる神様の奇跡

