【聖書通読第4週4日目】創世記46章・47章+マタイ19章 まとめ

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創世記46章・47章+マタイ19章まとめ

創世記46章 「恐れの中で、神が“行け”と約束してくださる」

ヤコブは家族を連れてエジプトへ向かいます。
しかしそれは、住み慣れた地を離れる不安の旅です。
そこで神は夜の幻で語られます。
「恐れるな。わたしが共に下り、必ず連れ上る。」
ここが46章の心臓です。
神は、問題が消えてから導くのではなく、恐れがあるままの私たちに先に声をかけ約束で背中を押してくださいます。
また、家族の名が一人一人記されます。
これは神が“大きな物語”だけでなく、“名もなき一人”の歩みを覚えておられるしるしです。
ヨセフは父ヤコブを迎え、再会の涙が流れます。
長い回り道の末に、神の約束が現実の場所へ着地していく章です。

創世記47章 「弱さの中でも守られ、人生の終わりに神の真実が見える」

ヤコブ一家はゴシェンの地に住みます。
生活の土台(住まい・仕事・食べ物)が与えられ、信仰が“日常”に降りてきます。
ヤコブはファラオの前で祝福します。
注目点は、弱く老いたヤコブが、世界の権力者を祝福する側に立つことです。
神の民は、力や地位で勝つのではなく、神から受けた祝福を携えて立ちます。
一方、飢饉は厳しく、人々は土地や家畜を差し出して食料を得ます。
ここは重い場面ですが、「人生はいつでも安泰ではない」こと。
そして“必要”が迫ると人は自分の支えを手放さざるを得ない。という現実を教えます。
だからこそ、主により頼む信仰が土台になります。
47章の終わりでヤコブは「自分を先祖の墓に葬ってほしい」と願い、約束の地への希望を握ったまま生涯を閉じようとします。
状況がエジプトでも、心は神の約束に結びついている。これが信仰の姿です。

マタイ19章 「神の国は、功績ではなく“主により頼む心”で受け取る」

前半は結婚と離婚の議論です。
イエスは抜け道探しではなく、創造の原点へ戻されます。
人のかたくなさで壊れやすい現実も見つめつつ、神の心は「結び合わせ、守り、建て直す」ことにあると示されます。

次に子どもたちを祝福されます。
弟子たちは止めますが、主は「子どもたちを来させなさい」と言われます。
神の国は、立派さで勝ち取るのではなく、子どものように“受け取る”者に開かれています。

続いて金持ちの青年。
まじめで戒めも守ってきた彼に、主は「持ち物を手放し、わたしに従いなさい」と招かれます。
問題はお金そのものより。心の王座に何が座っているかです。
青年は悲しんで去ります。
ここで主は「人にはできないが。神にはできる」と宣言されます。
救いは努力の結果ではなく。神の恵みのわざだからです。

最後に弟子たちへの約束。
従う者の犠牲を神は見落とさず、正しく報いてくださる。
ただし比較で誇るのではなく、「先の者が後になり、後の者が先になる」恵みの秩序を忘れないように。と教えられます。


3章を貫く大切な学び

神は、恐れの中のヤコブに「恐れるな」と語り、生活の場で守りを与え。約束の希望で心を結び直されます。
そしてイエス様は、外側の正しさや力ではなく、子どものように頼り、偶像を手放して主に従う心を招かれます。
私たちが握りしめている不安や支えを、主の前に差し出すとき、神の約束が現実の場所へ着地していく神の導きです。

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