この記事の目次

◉『こころ安らぐクリスチャン音楽
― あなたのこころに届け!「愛」「喜び」「平安」―』

私の好きな賛美の曲を紹介します。
「安けさは川のごとく(It Is Well with My Soul)」です。

YouTubeから同じ2曲を取りました。

どちらにしようかと迷い結局2つのせてしまいました。

『「安けさは川のごとく(It Is Well with My Soul)」は、多くのクリスチャンに深く愛されている聖歌です。
この歌には、心を強く打つ実話が背景にあります。
単なる慰めの歌ではありません。
苦難のただ中で、なお神の平安が魂に満ちるという福音の核心を告白する歌です。
ここでは、その誕生の物語と、なぜこの歌が私たちに確かな希望と平安をもたらすのかを、わかりやすくご紹介します。』

その背景を以下に詳しくご紹介します。


🎵 聖歌「安けさは川のごとく」誕生のエピソード

✍️ 作詞者:ホレイショ・スパフォード(Horatio Gates Spafford)

スパフォードは19世紀アメリカ・シカゴの弁護士で、敬虔なクリスチャンでもありました。

彼の人生は、表面的には成功しているように見えましたが、後に深い悲劇に見舞われます。


💔 第1の悲劇:息子の死

1870年、彼の4歳の息子が病気で亡くなります。


🔥 第2の悲劇:シカゴ大火

1871年、シカゴで大火災が発生。

スパフォードは当時多くの不動産を所有していましたが、そのほとんどを失ってしまいます。


🚢 第3の悲劇:大西洋での事故

1873年、家族を休養のためヨーロッパへ送り出すことにしました。

妻と4人の娘たちは先に船で出発しました。

スパフォード自身は仕事の都合で遅れて後から向かう予定でした。

しかし――

その船、S.S. Ville du Havre は大西洋横断中に他の船と衝突し沈没。

なんと、4人の娘たちは全員命を落とし妻だけが奇跡的に助かったのです。

彼のもとに届いた電報は、
Saved alone(ただ一人助かった)
という、短くもあまりに衝撃的なメッセージでした。


🙏 作詞のきっかけ:大西洋の悲劇の現場にて

スパフォードはすぐに大西洋を渡って妻のもとへ向かいます。

その航海の途中、ちょうど娘たちが沈んだ地点を船が通過するその時、彼の心に神の深い平安が注がれたといいます。

そして、そのとき彼が書き記した詩が、あの有名な「安けさは川のごとく」の歌詞です。

◉  しかしなぜスパフォードがここで神の平安を得たのでしょう。

ただスパフォードはあきらめて、きやすめで平安をえたのではありません。
御利益宗教のように、ただ神にすがって神の平安をえて満足しようとしたのでもありません。
スパフォードは気休めにすがってあきらめたのではありません。

◉  スパフォードには、確かな揺るがない確信があったのです。

その揺るがない確信とは何でしょうか。
それは、
死んでしまった娘たちとまた再びまみえることができるという確信です。
なぜ?なぜ?
と思うでしょう。

もちろんスパフォードは涙が枯れてもう一滴もでないくらい泣いたことでしょう。

この地上の別れは苦しくどうしようもなく寂しかったことでしょう。

でも、スパフォードには絶対的な揺るがない確信があったのです。
それは、十字架で死に、三日目に死の力を打ち破って甦ったイエスキリストの福音を信じる信仰です。

娘たちにもその信仰がありました。

すなわち
「わたしの罪のために身代わりに十字架で死んで下さり、

わたしがあたらしいいのちで永遠に生きるように

甦(よみがえ)ってくださったイエスキリストをわたしの救い主、

神と信じる信仰によって救われた」という確信です。

すなわちスパフォードにもこの信仰があり、娘たちにもこの信仰がありました。

ですから、死んでしまったもうこの世では会うことはできないけれど、
やがて天にてまみえることができるという神様の約束による確信です。

でも、イエスキリストを信じるわたしでも、このような状況の中にあったら、このスパフォードのように神様を喜んでこんな詩をつくることなどとうていできません。
毎日ただ泣きくずれるしかできないでしょう。

でも、わたしのようなクリスチャンの一番末席にいるような情けないものでも、このスパフォードと同じ確信は持っています

彼はすぐに大西洋を渡る船に乗り、妻のもとへ向かいます。
航海の途中、ちょうど事故の海域に差しかかったとき、彼の内に言い表しがたい静かな平安が注がれました。

その時に生まれた祈りと告白が、後に「安けさは川のごとく」の歌詞となって結晶します。

この物語は、現実の痛みを軽く見ていません。
むしろ、深い悲嘆の底からなお湧き上がる福音の確信を証言しています。
スパフォードは気休めで前を向いたのではありません。
御利益的な安心感を求めて自分をだましたのでもありません。
彼には、聖書の約束に立つ揺るがない土台があったのです。

📖スパフォードを支えた「揺るがない確信」。

それは、イエス・キリストの十字架と復活の福音を信じる信仰です。
キリストは私たちの罪を背負い身代わりに刑罰を受け十字架で死んでくださいました。そして墓に葬られ「イエスキリストが生前に予告していたとおりに」三日目によみがえられました。
この歴史的事実に根ざす救いが、悲しみの中でも魂に安けさを与えたのです。

聖書はこう語ります。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、キリストが**聖書に書いてあるとおり**私たちの罪のために死なれたこと。
そして**葬られたこと**。
また**聖書に書いてあるとおり**、三日目によみがえられたことです。」
(**Ⅰコリント15:3–4**)

十字架は、神と私たちを隔てる罪の障壁を取り除きました。
復活は死に対する勝利を確定させました。
ゆえに、キリストを信じる者には、現在の慰めだけでなく、将来の永遠の絶対的希望が備えられているのです。

聖書はさらに言います。
「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
(ローマ5:8)

また主イエスはこう宣言されました。
「イエスは彼女に言われた。
『わたしはよみがえりです。
いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。』」
(ヨハネ11:25–26の前半)

ここにあるのは、苦しみの否定ではありません。
苦しみの中で立ち上がる「福音の事実」です。
この事実が、スパフォードの魂に川のような安けさを満たしたのです。

🎵歌詞が語る三つの「揺れない柱」。

第一の柱。

平安の源は状況ではなく福音です。
英語原詩はこう始まります。
“When peace like a river attendeth my way.”
直訳すると、「平安が川のように私の道に伴うとき」です。
そして「どのような境遇にあっても」(whatever my lot)と続きます。
結論は、あの有名な一行です。
“It is well with my soul.”
直訳すれば、「私の魂は良し」です。
天気のように揺れる気分ではなく、キリストにある身分が平安の源泉であると告白しています。

第二の柱。

罪は十字架に釘づけにされました。
“My sin … is nailed to the cross, and I bear it no more.”
直訳すれば、「私の罪は十字架に釘づけにされ、私はそれをもはや負わない」です。

聖書は同じことをこう言います。
「…私たちに不利で、私たちを責め立てている証書を、無効にし、それを十字架に釘づけにして取り除いてくださいました。」
(コロサイ2:14)
罪を責める鎖はここで断ち切られます。
赦しという事実は、心を再び立たせます。

第三の柱。

主は来られ、信仰は見える現実になります。
“The trump shall resound, and the Lord shall descend.”
直訳すれば、「ラッパが鳴り響き、主が降られる」です。
聖書は約束します。
「号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きと共に、主ご自身が天から下って来られます。
そして、キリストにある死者がまずよみがえり、それから生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲の中に携え上げられ、空中で主と会うのです。
こうして、私たちはいつまでも主とともにいることになります。」
(Ⅰテサロニケ4:16–17)
この希望は、未来の不確かさを照らす確かな灯です。

🎼この賛美が届けるメッセージ。

「安けさは川のごとく」は、現実逃避の歌ではありません。
涙の重さを知る者が、なお告白する信仰の真実です。
「すべてが失われたように見えるときでも、神の平安は私の魂に流れている」。
この告白は、嘘や強がりではありません。
神の愛が、真理として魂を支えるという経験です。

聖書はこうも語ります。
「そして、神の平安であるすべての理解を超えた平安が、あなたがたの心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくれます。」
(ピリピ4:7)

また、揺るがない愛をこう保証します。
「私はこう確信しています。
死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高いところにあるものも、深いところにあるものも、その他どんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」
(ローマ8:38–39)

主はまた、こう慰められます。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には住まいがたくさんあります。
……わたしはあなたがたのために場所を備えに行くのです。」
(ヨハネ14:1–2の要旨)

私たちの行き先は、主が備えた場所です。
そこに至る道は、主ご自身です。
「わたしがであり、真理であり、いのちなのです。」
(ヨハネ14:6の一部)

🎶歌詞のエッセンスとシンプル直訳。

When peace like a river attendeth my way.
平安が川のように私の道に寄り添うとき。

Whatever my lot, Thou hast taught me to say, It is well with my soul.
どんな境遇でも、「わが魂は良し」と言うようにあなたは教えてくださった。

My sin—oh, the bliss of this glorious thought—my sin, not in part but the whole, is nailed to the cross, and I bear it no more.
わが罪は、部分ではなくすべて、十字架に釘づけにされ、私はそれをもう負わない。

The trump shall resound, and the Lord shall descend.
ラッパが鳴り響き、主が降られる。

It is well with my soul.
わが魂は良し。

 

これらの句は、気分の変化ではなく、御言葉に裏打ちされた真理を歌い上げています。
だからこそ、歌い終えるころ、心の底に静かな力が戻ってきます。

 

🎵作曲者フィリップ・ブリスについて。

旋律を付けたのはフィリップ・P・ブリスです。
彼もまた後に列車事故で帰天しました。
しかし、この曲は彼の代表作として今も世界中の礼拝で歌い継がれています。
ブリスの澄んだ旋律は、スパフォードの告白を受け止め、希望の方向へそっと手を引きます。
音楽は、涙に寄り添い、信仰のことばを口に乗せやすくしてくれます。

 

まとめ。

「安けさは川のごとく」は、悲しみをなかったことにする歌ではありません。
悲しみに確信の灯をともす歌です。
十字架は過去を閉じ、復活は未来を開きます。
神の愛は、感情に左右されない真理として、あなたの心を守ります。

この歌を口にするとき、あなたの心にも、川のように静かな安けさが流れますように。
そして、その安けさが、明日を歩む小さな一歩を支えてくれますように。

「安けさは川のごとく」は、悲しみのどん底でも神の平安があることを思い出させてくれる賛美歌です。
それは、神の愛が感情ではなく真理として心を支えてくれるという信仰の証でもあります。

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