
「いつくしみ深き」は、世界中のクリスチャンに愛され続けている賛美歌です。
この歌は、ただ優しい旋律の歌ではありません。
深い悲しみの夜を通った一人の信仰者が、祈りのうちに受け取った福音の確かな慰めを、静かな言葉に結晶させた証しの歌です。
作者は、アイルランド出身のジョセフ・M・スクリブン(Joseph M. Scriven, 1819–1886)です。
彼は若くして婚約者を失い、祖国を離れてカナダへ移住しました。
移住後も困窮する人々に仕え、薪割りや大工仕事を無償で手伝う、温かい奉仕の人でした。
1855年頃、アイルランドに残っていた病弱の母を慰めるために、一篇の詩を書き送りました。
それが、のちに世界の教会で歌われる
「いつくしみ深き(英題:What a Friend We Have in Jesus)」になりました。
この詩は、作曲家チャールズ・C・コンヴァース(Charles C. Converse, 1834–1918)によって旋律が付けられ、礼拝の中で広く歌われるようになりました。
やがてこの歌は、悲しみの谷を通る多くの魂に寄り添い、祈りへと導く“道しるべ”になりました。
なぜ、この歌は時代と国境を越えて、人の心を慰め続けるのでしょうか。
それは、この歌が「祈りのすすめ」を語りながら、同時に「福音の中心」をやさしく指し示しているからです。
この記事の目次
1.この歌が語る「福音」の中心。
福音とは、
イエス・キリストが私の罪のために十字架で身代わりに死なれ、三日目によみがえられ、このお方を信じる信仰によって罪赦され、滅びから救われ、永遠のいのちが約束されるという、神からの良い知らせです。
聖書はこう語ります。
「…キリストが聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死なれたこと。
そして葬られたこと。
また聖書に書いてあるとおり三日目によみがえられたこと。」(第一コリント15:3–4)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
「あなたが、口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」(ローマ10:9)
「いつくしみ深き」は、この福音を“祈りの交わり”という生活の言葉に置き換え、誰もが歩く日常の道へと降ろしてくれます。
“救い主は遠い神ではなく、「友」としていつもそばにいてくださる”。
この確信が、歌全体の温度を決めています。

2.原詩のエッセンスと直訳。
原語は英語です。
いくつかの代表的な行を挙げ、できるだけ直訳に近い日本語で示します。
(公有領域の歌詞から要点を抜粋し、学びの目的で短く引用します。)
What a friend we have in Jesus, all our sins and griefs to bear.
「なんという**友**を、私たちはイエスのうちにもっていることか。
私たちの**あらゆる罪と悲しみ**を担ってくださる友を。」
What a privilege to carry everything to God in prayer!
「祈りのうちに、**すべて**を神に運ぶことができるとは、なんという**特権**だろう。」
Oh, what peace we often forfeit, oh, what needless pain we bear,
「ああ、私たちはどれほどしばしば**平安を手放し**、どれほど多くの**不必要な痛み**を負っていることか。」
All because we do not carry everything to God in prayer.
「それはみな、私たちが**すべてを祈りで神に運ばない**からだ。」
Jesus knows our every weakness; take it to the Lord in prayer.
「イエスは私たちのすべての弱さをご存じである。
だから、それを主のもとに祈りで携えて行きなさい。」
この短い語句の中に、
「贖い(罪の赦し)」「平安」「祈りの特権」「主の配慮」「弱さを知る大祭司」という、福音の実際的な恵みが凝縮されています。
3.「祈りの友」としてのイエス。
なぜ、イエスキリストは“友”と呼ばれるのでしょうか。
それは、主が私たちの弱さに同情するお方だからです。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されませんでしたが、あらゆる点で、私たちと同じように試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15–16)
主は、私たちの痛みを知っておられます。
そのうえで、十字架で私の罪を負って死に、三日目によみがえられました。
「御子イエスの血は、すべての罪から私たちをきよめます。」(第一ヨハネ1:7の要旨)
「神の平安である、すべての理解を超えた平安が、あなたがたの心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:7)
この福音の土台があるから、私たちは祈ることができるのです。
祈りは、未解決を解決に“変える魔法”ではありません。
祈りは、重荷を神に預け直す行為です。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
主はあなたをささえてくださる。」(詩篇55:22)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(第一ペテロ5:7)

4.歌に宿る「三つの招き」。
第一の招き:すべてを祈りで神に運ぶこと。
“Everything(すべて)”が、この歌のキーワードです。
大きな悩みだけでなく、小さな苛立ち、説明できない不安、曖昧な疲れ。
それらをパッキングして、祈りという宅配便で神に送るのです。
主は受け取り拒否をなさいません。
第二の招き:平安を取り戻すこと。
この歌は告白します。
「私たちは、祈らないがゆえに、受けられるはずの平安をしばしば失っている」と。
祈りは、状況の暗闇のスイッチを切るのではなく、心の部屋の灯りを点けます。
暗闇は残っても、私たちは転ばなくなります。
第三の招き:互いに祈り合うこと。
スクリブンが母を思って詩を書いたように、私たちも誰かのために祈ることができます。
ひとりの小さな祈りが、遠い誰かの夜に灯りをともす。
それが、教会に与えられた祈りの交わりです。
「互いに重荷を負い合いなさい。」(ガラテヤ6:2の要旨)

5.「十字架」と「復活」が、祈りを可能にする。
十字架は、私たちの罪を法的に解決しました。
「…私たちに不利で、私たちを責め立てている証書を、無効にし、それを十字架に釘づけにして取り除いてくださいました。」(コロサイ2:14)
だから、私たちの祈りは「罪悪感の下請け」ではありません。
“赦された者の大胆さ”で、御座に近づく行為です。
復活は、死と絶望に最終回答を突きつけました。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(第一コリント15:55)
この勝利の主が、今も生きて取りなしておられます。
「キリスト・イエスは…今も、神の右の座にあって、私たちのために取りなしておられるのです。」(ローマ8:34)
だから、私たちの祈りは、空に消えるため息ではありません。
生ける主に届く呼び声です。

6.「いつくしみ深き」を、今日生活に落とし込む五つの実践。
① 1日3回、“小さな祈り”を送る。
朝・昼・夜に10秒ずつ。
「主よ、今の私の思いをあなたに送ります。
受け取ってください。」
② 祈りのメモを“Everythingリスト”にする。
箇条書きで構いません。
仕事、人間関係、体調、気がかり。
書いたら、そのまま**主に提出**します。
③ 詩篇を“返答の言葉”として読む。
詩篇23篇、27篇、121篇などを、自分の言葉に置き換えて朗読します。
「主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。」(詩篇23:1)
④ 誰か一人のために“匿名のとりなし”をする。
顔と名前を出さなくてかまいません。
通勤電車で見た人、SNSで見かけた嘆き。
一句だけ祈って、主に委ねます。
⑤ 赦しの宣言を週一度、声に出す。
「イエスの血は、私の罪を**すべて**きよめた。
私は、もう自分を責めない。」
ヘブル9:14、第一ヨハネ1:7を読みつつ宣言します。
7.物語に宿る慰め。
スクリブンは、人知れず多くを与えた人でした。
彼の最期は、事故による水死だったと伝えられています。
人生の結末さえ静かで、どこか十字架の香りを漂わせます。
彼が母に送った一篇の詩は、時と国を越え、いまも無数の夜を照らしています。
この歌は、私たちに“うまい祈り方”を教える歌ではありません。
「祈ってよい」ことを教える歌です。
「祈ることができる」理由—十字架と復活—を思い出させる歌です。
イエスは言われました。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
また、こうも語られました。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)
「平安をあなたがたに残します。
わたしの平安をあなたがたに与えます。
わたしが与えるのは、世が与えるのとは異なります。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。
恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

8.結び—“友なる主”と歩むために。
「いつくしみ深き」は、私たちを祈りへ、赦しへ、平安へと導く賛美です。
十字架は、私の罪の身代わり。
復活は、私の明日の保証。
この福音の上に立つとき、祈りは“言葉の義務”から“愛の会話”へと変わります。
主は今日も、あなたのすべてを聞いてくださいます。
そして、理解を超えた神の平安で、心と思いを守ってくださいます。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)
「そうすれば、神の平安が…あなたがたの心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:7)
最後に、短い祈りをささげます。
「主イエス・キリストよ。
十字架の赦しと、復活のいのちに感謝します。
今日、私の“すべて”を祈りであなたに運びます。
どうぞ受け取ってください。
理解を超えた神の平安で、私の心と思いを守ってください。
主イエスのみ名によって祈ります。
アーメン。」
もし、今この瞬間にも心が重いなら、どうか試してみてください。
Everything を祈りで主に。
主は、あなたの最も近い友です。
そして、その友は、あなたのために十字架にかかり、よみがえり、今も生きておられます。
この友とともに歩む道に、川のような安らぎが満ちますように。

【 付 録 】
1. 母への手紙が世界の賛美に——「いつくしみ深き」涙の実話
2. たった一通の詩が人を救った:「いつくしみ深き」の衝撃の誕生秘話
3. 祈りが運んだ奇跡——賛美歌「いつくしみ深き」成り立ちの真相
4. 絶望の夜に生まれた希望:「いつくしみ深き」はこうして歌になった
5. 失意から福音へ——ジョセフ・M・スクリブンが綴った“友なるイエス”
6. 祈れば平安は来るのか?「いつくしみ深き」が示す答え
7. 〈実話〉賛美歌「いつくしみ深き」—涙と祈りと福音の物語
8. 世界中が口ずさむ理由:「いつくしみ深き」誕生のドラマ
9. 悲嘆を越えて届いた平安——賛美歌「いつくしみ深き」の原点
10. 祈りの特権を歌に——「いつくしみ深き」成り立ちと福音の核心

