女の人が、500冊の漫画雑誌の少年ジャンプが並ぶ本棚の前に立っていました。
なぜ、亡くなった息子さんのためにずっと10年もの間、少年ジャンプを買い続けているんだろう?
そして、わかった。
10年と言えば、東北大震災の年である。
その時に息子さんを亡くしたんだろうかと想像できた。
この記事の目次
東北大震災の津波で息子さんを失ったお母さんの悔やみきれないことは?
しかし、話しを深く聞くと、
そのお母さんは、あのときああすれば、あのときああしなければと、
どうしようもない悔いがのこっているのだそうです。
大地震がきても、自分のすんでいるこの町には絶対に津波はこないと思い込んでいたのです。
ずっと昔から津波などこなかったからで、
その地域の人たちもみなそう信じていたのです。
お母さんは14時46分、大地が大きく揺れた地震の時、
娘さんの中学の卒業式が終わり、その後の謝恩会で公民館にいました。
しかし、義理の両親が心配になって家にいったん様子を見に帰ったそうです。
たしかに、地震で家の中のものは倒れたり散らかったはいたそうです。
でも、その時、義理のお父さんもこの町には絶対に津波はこないと言ったそうです。
そのお母さんも絶対にこないと信じていました。
ですから、もう一度公民館に戻ったそうです。
その戻る途中の中学校にいる息子さんにも会ったそうです。
しかし、その息子にも「津波は絶対にこないから安心して」って言ってしまったそうです。
そして、公民館に戻ってしばらくして大きな声が聞こえたのです。
『津波だ!!逃げろ!!!』って・・・・
もう一瞬の出来事でした。
その町の多くの人が信じていた『この町には絶対に津波はこない』っていう神話が崩れました。
結果、義理の両親も、愛する息子も津波に飲み込まれてしまったのです。
お母さんは、何度も何度も悔いました。
あの時、自分が息子に『早く逃げろ!!』って言っていたら息子は死ななくてすんだ。
あんな恐ろしい津波に飲み込まれなくてすんだのに・・・
この10年何度も何度も「あのとき逃げろって言っておけば・・・」と。
亡くなった息子にできることは?喜んでくれることは?
そして、棺には紙が貼ってあったそうです。
『お顔をみないでください。』って。
なにもできなかった、なにをしてやればいいのかも全くわからなかった。
その時、息子が好きでずっと買い続けていた少年漫画雑誌『少年ジャンプ』のことを思い出した。
毎週月曜日の発売日にはお母さんが買ってあげるのが日課になっていました。
ですから、その棺に少年ジャンプを入れてやりたいと思ったそうです。
そして、
そして、それからずっと少年ジャンプを毎週月曜日に購入することをやめれずに
気がつけば500冊になっていたのです。
東北大震災の事実を伝えて、多くの人が自分のこととしてとらえるように
お母さんは、東北大震災の大地震のことは忘れてはならない事だからと
いろいろな人に伝えていこうと語り部をしているそうです。
町は、道が整備されいろいろなものが建て替えられどんどん見た目は復興しています。
でも、そこに暮らす多くの人のこころはなかなか復興しません。
でも、そこに住む人たちは生きていかなければならないのです。
死んだら終わりですか?
生き残った私達に出来る事を考えます。
震災後、閖上中に残っていた机に丹野さんが黒いマジックでつづった言葉です。
震災から10年は「区切り」ではない。
おかあさんはこれからも、変わらずあの日の体験を語り続ける。
「ちゃんと逃げれば被害は最小限で抑えられる。
だから、自分たちのダメな経験を語り継がないと」
と自責の念を込めて語り続けるそうです。
わたしたちは?
人は、自分だけは死なないと思っている・・・
人は、自分だけは大丈夫だという根拠のない自信をもっているのです、
でも、何が起こるかわからないのです。
今朝、元気に出かけた人が元気に帰ってくるという保証はないのです。
少し前に書いた
も見て欲しいです。
今日が最後の日かもしれない。
だからたとえそうであっても悔いのない1日を過ごそうとしたいものです。
今日が最後の日かもしれないなら、
周りの人に愛していると伝えたい
笑顔で1日を過ごしたいと改めて思いました。