アメリカ同時多発テロで今日が人生最後の日であると知っていたら・・

あなたは今、何才くらいでしょうか?

あなたは、あとどれくらい生きられると思っていますか?

あなたにとって今日が人生最後のひであると知っていたら・・・

あなたは何をします?

あなたにとって今日が人生最後の日だとしたら・・・

日本人24人を含む2977人が犠牲になった、アメリカ同時多発テロ 2001年9月11日から19年がたちました。

テロが起こったその後に募集された詩集が、

「わかってさえいたら・・・もしも世界が明日終わるとしたら」

という本があります。

14歳の少年が自転車で家を出て、車にはねられいのちを失ってしまった。
家を出る時には、それが最後の別れであるとは家族はまったく思いもしなかった。
いつどのようなことが起こるかわからない。

そして、「わかってさえいたら・・・」というテーマで詩の投稿がされ、

「もしも世界が明日終わるとしたら」という本が出されました。

その中に、
残された者が別れがくるということを、あらかじめわかってさえいたらという立場で書かれた詩があります。

 

【君の声を
もう二度と聞けないって
わかっていたら
もっと耳をすまして
聞いておくだろう
君の言葉も声の感じも
忘れてしまわないように

わかっていたら・・・
君を抱きしめることができるのが
もうこれが最後だと
もし、わかっていたら
この腕にしっかり抱きしめて
いつまでも放さないのに

君にもう二度と会えないって
もうこれでおしまいだって
もしわかっていたら
眠らないで
君の顔を見つめていたい
夜が明けるまで・・・ 】

 

残されたものではなく、自分自身にあてはめるとどうでしょうか?

今日が人生最後の日であると知っていたら・・・
明日、私はもうここにいないと知っていたら、

今日の日を
妻に対して(恋人、親しい友人等に対して)・・・どのように過ごすだろう?
子供に対して・・・どのように過ごすだろう?
まわりの人たちに対して・・・どのように過ごすだろう?

今日一日を、どのように過ごすだろう。
今日一日を、どのようなことをしたいだろう。

このことをしっかり考えることは非常に大切なことです。

黒澤明監督作品の「生きる」という映画があります。
市役所に勤める真面目だけが取り柄で、正確に市役所と家の往復を繰り返している主人公が、急に自分がガンでいのちがそう長くないということがわかります。
その途端、自分が生きてきた証しを残したくなったのか、人のために生きようと思ったのか、人々の憩いの公園を作ることにひっしになります。お役所仕事で、最初は全く進展することがありませんでした。でも、主人公は、必死になって公園作りに奔走します。そして、多くの人が憩える公園が完成して、そこのブランコに乗って自分の人生を振り返るかのように歌を口ずさみながら死を迎えるという内容です。

人間は、自分だけは死なないかのように思っていると、よく言われます。
しかし、死を迎える時に、後悔しない生き方ができれば、どんなに素晴らしいことでしょう。

 

「今日が人生最後の日である」という意識で今日を生きることは、充実した一日を過ごす秘訣といえます。しかし、やはり、自分だけは死なないと思ってしまう者にとって死を意識することは難しいことです。
そうであるなら、天に場所を備え、もうすぐ私たちを迎えに来てくださるイエスキリストの再臨を今日一日意識して、イエスキリストの再臨に備えることができればなんと素晴ら

 

しいことでしょう。

ローマ人への手紙 14:7~8
私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

 

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