わたしは何故人間に生まれてきたの?と質問されたらあなたの答えは?
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いろいろな苦難を経験せずにすめば・・・

一昨日、
ある人から、「自分はなぜ人間に生まれてきたのだろうか」
と質問された。
人間ではなく、
自由に空を飛べるスズメか、
気ままにひなたぼっこをしているカメだったら、
もっと気楽に生きることができたのに・・・
とその人は付け加えた。
その時、私はとにかく答えなければと必死になった。
もっとゆったりと質問の意味を一緒に考えながらじっくりと話しをすればいいのに、
私の悪いくせで、いい格好をしようとすぐに答えなければとか、
すぐに素晴らしい答えをしようと必死になってしまう。
そして、後で後悔することがよくある。
しかし、
今回は我ながらいい答えかたができたと自己満足してしまった。
その返答はこうである。
「確かにいろいろなプレッシャーがあるなかで
生きていくことはしんどく大変かと思う。
だからもっとゆったりと、
のびのびとスズメのようにカメのように生きれたらと思ってしまう。
確かに、
スズメやカメは苦しんだり悲しんだり悩んだりしないかもしれない。
でも、楽しんだり喜んだりすることもないようである。
人間って悲しみや苦しみも味わうが、
だからこそそれ以上の楽しみや喜びも味わえるのではないだろうか。
だからこそ、人間は忍耐したり努力をしたりして
波風を味わってもその先にある平安や満足を求めて、

進めるのだろう。」     

と、自己満足の答えをしてしまった。

 

でも、後でじっくりと考えると、

単細胞生物ならそうかもしれないが、

感情のある動物はいっぱいいる。

 

そして、ストレスを感じる動物もいると聞く。

そう考えると上の私の答えは的を得ていない。

 

そうしたら、人間と動物の違いはなんだろうと考えた。

神様の言葉である聖書から言うと、

神様は人間をご自身に似たものとして創造された。

似たものとは、霊あるものとして創造されたということである。
霊とは何かをわかりやすくいうと、

神様と交わることのできる賜物である。

 

人間はストレスを感じしんどくなってしまうものである。
そして、ゆったりとストレスのないような動物に生まれれば良かったと思ってしまう。

 

しかし人間がどうしてストレスを感じ

虚しさを感じるのかを考える必要がある。

 

神様が人間を最初に創造した時、

全てを良しと評価されるほど完璧であった。

神様との愛の交わりのうちにあって何の問題もなかった。

苦しみも悲しみも悩みもなく、

神様の愛を喜び平安と満足のうちにあった。

でも、今はそうではない。

そのような素晴らしい調和を破壊したものがある。

それが人間の「罪」です。

人間の罪が、

神様の「全てを良しとされた完全な調和」を

こっぱみじんに打ち砕いたのです。

 

罪が神様との愛の関係をさえぎる壁となったのです。

それ以来、人間は平安を失い、

悩みと苦しみの闇の中を

苦しみ悶えながら歩むものとなったしまったのです。

 しかし、この罪と 

 いう大きな壁を打

 ち砕いたのがイエ

 スキリストの十字 

 架です。

 十字架によって人

 間が神様に立ち帰 

 る道をそなえまし

 た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神様との交わりを絶ってしまった罪

神様との交わりを回復させてくださった

イエスキリストの福音(十字架と復活)

 

今後じっくりとイエスキリストについて・・・
イエスキリストの十字架について・・・
イエスキリストの復活について・・・

私たちと神様が、

どのような関係があるのか、はっきりさせていきたいと思っています。

 

ここまで読んでくださった方は、とても忍耐深い方であると尊敬します。

 

次からは、簡潔にわかりやすく、書いていきますので、

こりずにこれからも続けてのぞいて下さい。

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