なぜ物を盗んだらいけないの?という質問の答えを持っていますか?

今日、ある人から、子供っていろいろわからないことを次から次に質問するって話しになりました。

なぜ?と言って、その質問に答えても、また、なぜ?なぜ?を繰り返すので大変という話しでした。

 

 以前、ラジオの番組で『こども相談室』というコーナーがありました。そこには、こどもが純粋にわからないことを質問します。

例えば、なぜ空は青いの?なぜ鳥は空をとべるの?なぜ悲しいときに涙が出るの?そして、なぜ涙はしょっぱいの?などなど・・・

CJH08

 

 中には、そこにいる回答者の先生たちでも答えられなくて、来週の宿題ということもあったと思います。それほど、単純な質問というのは、本当は応えるのに難しいことが多くあります。

 

 子供から、『なぜ物を盗んではいけないの?』と質問されたらどのように答えるでしょうか?

 その人が困るからという答えでは、子供は困らない人から盗むのはいいのということになります。

 たとえば、法律でしてはならないことになっていて、物を盗んだら捕まってしまうという答えでは、見つからなかったらいいのということになります。

 

 そして、物を盗むってことは良くないこと、悪いことだからだめという答えでは、物を盗すむことは悪くても、その盗んだものを困っている人に渡したらそれは良いことだけどどうなるのということになります。

 

 このように意地の悪い質問をする子供はいないかもしれません。

でも、大人にとって当たり前のことでも、こどもにわかりやすく説明しようとすると、結局、大人もよくわかっていないということに気が付きます。

 

 モラルの問題だとか、道徳的問題といっても明確な答えにはなりません。

常識であるといっても、あたりまえのことであるといっても答えにはなりません。

 

 あなたの小さな子供が、物を盗んでしまいました。

そして、そのことがわかりあなたは子供を叱らなければなりません。

どのように叱りますか。

 

 多くの人は、人のものを盗むことは良いこと?悪いこと?と聞きます。

すると、子供は悪いことと答えます。

そして、親は、悪いことだからこれからはしてはならないと時間をかけて教え叱るという方法をとる場合は多いと思います。

 

 でも、なぜ、子供は人のものを盗むことが悪いことだと知っているのでしょう。それは、人間には小さい子供であっても、『良心のはたらき』が備わっているからです。

教えられてではないのです。生まれながらにして人には『良心のはたらき』が備わっているのです。

子供でも、よくないことをすると心に責めを感じるのです。

人はなぜうそをつくのでしょう。子供の時にうそのつき方を教えてもらってうそをついたのでしょうか。そうではありません。

人は小さい子供であっても、怒られそうになると自分をかばってうそをついて人のせいにしたり、自分は悪くないとひっしでしていないとうそをつくのです。

 

 私は小学生の低学年のときに勉強のドリルをしなければなりませんでした。

でも、なかなか進まないので、ふと考えると、いつも母親がドリルの一番後ろにある解答で答え合わせをしていました。

それを思い出し、解答をみてその答えをうつしました。

しかし、そのとき誰かに見られているような気がしました。

だれも見ていません。

でも、子供心に責めを感じ、つらい気持ちになったのを今でも覚えています。

 

CJH21 良心のはたらきが私を責めたのです。

誰かに見られているような気になったのは、誰に見られていたのでしょう。

誰を意識していたのでしょう。

神様です。

聖い正しい義なる神様を意識していたのです。

 

人は神様を信じていない人でも、本当は心の中で神様の存在を知っているのです。

知ってはいても、神様を神様として受け入れたくないのです。

 

なぜ、人の物を盗んだらいけないのか?

その答えは、天地万物を造り私たち人間をも目的をもって造り生かしてくださっている神様がおられるからです。

良心のはたらきを通して示してくださる善悪の基準、そして、神様の御言葉である聖書を通して罪の基準が示されています。この人間の基準でない、神様の基準によって良い悪いを判断することができます。

CJF05

 

そして、わかりやすく言うと、人の物を盗むことはなぜ良くないことなのかというと、

それは『あなたを愛してくださっている神様が悲しまれる』ということです。

 

人に良心のはたらきが与えられているということは、その完全な良心の型である聖い義なる正しい神様がおられるということの証明です。

 

聖書:ローマ人への手紙 1章19節~21節
1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

 

すぐに書けるのどうかわかりませんが、『人はなぜ自殺をしてはいけないのか?』という大変重要な問題についてもブログで、つぶやいてみたいと思っています・・・・

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事