聖書:ローマ人への手紙 1章19節~21節
1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
この記事の目次
小さな子供の探究心
先日ある人と話しをしていると、小さな子供っていろいろわからないことを次から次に質問してくるので説明するのが大変だという話しになりました。
確かに小さな子供はわからないことはわかるまで聞いてきます。なぜ?と尋ねて、その質問に答えても、また、なぜ?なぜ?を繰り返すので大変ということがよくあります。
小さな子供の探究心というのはすごいです。
ラジオの『こども相談室』での質問
以前、ラジオの番組で『何でもこども相談室』というコーナーがありました。そこには、こどもが純粋にわからないことを質問します。
例えば、なぜ空は青いの?なぜ鳥は空をとべるの?なぜ悲しいときに涙が出るの?そして、なぜ涙はしょっぱいの?などなど・・・
中には、そこにいる回答者の専門分野の先生たちでも答えられなくて、来週の宿題ということもあったと思います。それほど、単純な質問というのは、本当は答えるのに難しいことが多くあります。
そして大人っていうのは本当はわかっていないのにわかったつもりになっていることが多いと思い知らされました。
人はなぜ他の人の物を盗んではならないのか?の回答を得ていますか?
ここで皆さんに考えてほしいことがあります。
小さな子供から、『なぜ人の物を盗んではいけなの?』と尋ねられたらあなたはどのように小さな子供に説明しますか。
現在の多くの人は、困ったことやわからないことがあれば、パソコンやスマートフォンで検索して調べます。ある人は、質問を打ち込まずに、スマートフォンなどに話しかける音声入力で検索して調べる人もいます。
その検索や質問に対してコンピューターが便利に答えを教えてくれる素晴らしい時代になりました。
しかし、パソコンやスマートフォンでどんなに検索して調べても、先の質問に対する明快な回答を得ることができませんでした。
例えば、『ヤフー知恵袋』というものがあって、いろいろな質問に対して答えをくれるものがあります。
それで調べると、人の物を盗むことは法律で犯罪とされているから良くないとか、盗まれた人が困るから良くないという回答が多かったです。
しかし、「人の物を盗むことは法律で禁じられていて、物を盗んだら逮捕されてしまうから」という説明では、「盗んだことが見つからなかったらいいの」ということになります。
「人の物を盗むと、盗まれたその人が困るから」という説明はどうでしょう。
しかしその説明なら、「多く持っていて盗まれたことがわからないほど困らない人から盗むのだったらいいの」ということになります。
そして、「物を盗むってことは良くないこと、悪いことだからだめ」という答えでは、「物を盗すむことは悪くても、その盗んだものを困っている人に渡してあげたらそれは良いことだけどどうなるの」ということにならないでしょうか。
このように意地悪く『なぜ?』『なぜ?』を連発して質問をする子供はいないかもしれません。
でも、大人にとって当たり前のことでも、こどもにわかりやすく説明しようとすると、結局、大人もよくわかっていないということに気がつくのです。
モラルの問題だとか、道徳的問題といっても明確な答えにはなりません。
常識であるといっても、あたりまえのことであるといっても答えにはなりません。
全ての人に備わっている『良心の働き』とは何?
あなたの小さな子供が、物を盗んでしまいました。
そして、そのことがわかりあなたは子供を叱らなければなりません。
どのように叱りますか。
多くの人は、「人のものを盗むことは良いこと?悪いこと?」と聞きます。
すると、子供は「悪いこと」と答えます。
そして、親は、悪いことだからこれからはしてはならないと時間をかけて教え叱るという方法をとる場合が多いと思います。
でも、なぜ、子供は人のものを盗むことが悪いことだと知っているのでしょう。
それは、人間には小さい子供であっても、『良心のはたらき』が備わっているからです。
教えられてではないのです。生まれながらにして人には『良心のはたらき』が備わっているのです。
子供でも、よくないことをすると心に責めを感じるのです。
人はなぜうそをつくのでしょう。子供の時にうそのつき方を教えてもらってうそをついたのでしょうか。そうではありません。
人は小さい子供であっても、怒られそうになると自分をかばってうそをついて人のせいにしたり、自分は悪くないとひっしで、していないとうそをつくのです。
私は小学生の低学年のときに算数の問題集を3ページするごとに塩せんべいを1枚もらうことができました。そして母親に答え合わせをしてもらうということを繰り返していました。
でも、なかなか進まないので、ふと考えると、いつも母親が問題集の一番後ろにある『解答』で答え合わせをしていたのに気がつきました。
それならと塩せんべいをもっともらうために、問題集の後ろの解答をみてその答えをうつしました。塩せんべい欲しさに9ページもしてしまったのです。
しかし、後ろの解答を写している時、誰かに見られているような気がしました。
だれも見ていません。
でも、子供心に責めを感じ、つらい気持ちになったのを今でも覚えています。
もちろんいつになく9ページもできて、全問正解だったのカンニングがバレてすごく怒られました。
母親に怒られたので悪いことをしたと思ったのではありません。
誰かに見られているような恐れを覚えたのは、誰に見られていたのでしょう。
誰を意識していたのでしょう。
神様です。
聖い正しい義なる神様を意識していたのです。
全ての人は神様を知っていながら神様を認めない!!
人は神様を信じていない人でも、本当は心の中で神様の存在を知っているのです。
知ってはいても、神様を神様として受け入れたくないのです。
彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。(ローマ人への手紙1:21)
なぜ、人の物を盗んだらいけないのか?
その答えは、天地万物を造り私たち人間をも目的をもって造り生かしてくださっている神様がおられるからです。
良心のはたらきを通して示してくださる善悪の基準、そして、神様の御言葉である聖書を通して罪の基準が示されています。この人間の基準でない、神様の基準によって良い悪いを判断することができます。
そして、わかりやすく言うと、人の物を盗むことはなぜ良くないことなのかというと、
それは『あなたを愛してくださっている神様が悲しまれる』ということです。
人に良心のはたらきが与えられているということは、その完全な良心の型である聖い義なる正しい神様がおられるということの証明です。
聖書:ローマ人への手紙 1章19節~21節
1:19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。