ヘレンケラーを支えたサリバン先生を神様に導いた名もなきクリスチャン

『ローマ書8章28節

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

神様は全てのことを働かせて益としてくださるという素晴らしい実例についてお話しします。

ザ・ミラクルワーカー=奇跡の働き=アン・サリバン先生

ヘレンケラーと家庭教師のサリバン先生を通して神様の素晴らしさと恵みについてお話しします。

  • 1880年にアラバマ州でドイツ系アメリカ人の地主の長女として生まれたヘレンケラーは二歳の時に高熱にかかりました。

一命はとりとめたものの聴力、視力、ことばを失ったヘレンを見て、両親は深い失望を覚えました。更にヘレンは両親からしつけを受けられない状態で、非常にわがままに凶暴に育ったのです。

その両親に、そしてヘレンに光を届けたの家庭教師となったアン・サリバン先生でした。

※「ヘレン・ケラー」は「奇跡の人」として知られていますが、実はヘレンケラーの生涯を綴った舞台や映画「奇跡の人」の原題は「The Miracle Worker」(ザ・ミラクルワーカー=奇跡の働き人)であり、実際にはアン・サリバンの事を指しているそうです。

アン・サリバン先生を取り巻いていた容赦のない悲惨な不幸

  • アンサリバンの幼少期は極貧で悲惨でした。2人の赤ん坊の兄弟を亡くし、5歳で目を患い視力をほぼ失いました。8歳で母を結核で亡くし、弟と共に父に捨てられました。貧民窟のような施設に弟と共に入所しました。しかし病弱だった弟が、施設に入ってまもなく亡くなってしまいます。母と弟の死、父の失踪、劣悪な刑務所のような施設の暮らし……容赦ない不幸が、幼いアンサリバンに次々とふりかかりました。

そして、生きる希望を失った絶望のためか、もともと患っていた目の病気が悪化し、アンサリバンはついに全盲に近いほどの弱視になってしまったのです。

天涯孤独となったアンサリバンは、深い心の病のせいで食事を満足にとることもできず、施設で死を待つような生活を送っていました。

彼女は何も反応を示さない緊張型分裂症患者でベッドにうずくまり、一言も話さず、胎児のように丸まったまま動こうとしませんでした。

職員はあらゆることをして彼女を助けようとしましたが、ついに回復の見込み無しとされ、施設の地下にある独房に監禁されてしまったのです。

絶望しかないアン・サリバンへ伸ばされた看護師の救いの手

しかしそんな中で一人だけアン・サリバンに神様のことを知ってほしいと願い彼女のために祈り優しく話しかけ接しようとする看護師がいました。
(一説には清掃婦の女性のクリスチャンとも言われています。どちらにしてもアンサリバンに情熱を持って神様の愛と救いについて伝えたクリスチャンがいたと言うことです。)
看護師は無視されても、暴言を吐かれても毎日毎日優しく話しかけました。
そして辛抱強く毎日毎日美味しいお菓子を持っていきました。
しかし、お菓子には手がつけられずに残っていました。
そして、看護師に対しての無視や暴言はそれからも続きました。
でも看護師は諦めませんでした。神様に祈り神様の助けを求めました。
すると、少しだけ変化がおとずれたのです。
根気強く呼びかける声に少しづつ応じることができるようになってきました。

アン・サリバンが聖書に心の目を開かれ神様の愛で満たされると・・・

絶望のなかにいたアンサリバンに救いの手を伸ばした施設の看護師は、神様が生かし神様が愛されていることをどうしても知って喜んでほしいと心から願い神様に祈り続けたのです。

ですから昼休みになるとおやつを持って、聖書の御言葉の話しをしつづけました。

しかしアンサリバンの反応は乏しく、笑顔とは無縁の固い表情を崩そうとしません。

彼女は昼の時間をアン・サリバンの部屋の前で過ごすことに決め、彼女に聖書を読み、神が彼女を救ってくれるように祈り続けました。

何ヶ月もそんなことが続いたある日のことです。

彼女が回収したお皿の中から1つのチョコレートが無くなっていました。

そして、その日からだんだんアン・サリバンは自分の殻から抜け出しはじめ、その看護師と話しをするようにまでなったのです。

こうして、アン・サリバンは見放された地下室から連れ出され、もう一度治療を受けることができるようになりました。

その看護師から語られた聖書の神様の愛なる言葉はひとつひとつはアン・サリバンの心にささりました。

誰からも愛されていないと思っていたアニーにとって看護師の愛は大きな励ましでした。

そして何より神様の与えてくださった福音(イエスキリストの十字架と復活)の愛と恵みに感動しました。

そして

2年後、アニーはまったく普通の生活が送れるまでに回復していました。

その後、事態は好転します。盲学校に入学し、視力回復手術を受け、読み書きを覚えました。

周りに溶け込めず苦労しましたが、学業に秀でて卒業生総代を務めました。

人並み以上の努力で優秀な成績で学校を卒業した「アン・サリバンに『夢』」ができました。
自分と同じような障害を持った子供達の先生になる夢を持ったのです。
そして、クリスチャンになっていた彼女は子供たちに勉強と共に神様の愛を教える先生になりたかったのです。

アン・サリバンがヘレンケラーの家庭教師となって『夢実現へ』・・・

  • 家庭教師として派遣されたアン・サリバンは幼少の頃に弱視だった自分の経験、ひどいうつ状態や深い孤独を通った経験を生かして、愛と忍耐をもってヘレンケラーに接し続けました。

あまり知られていないことなのですが、アン・サリバンが三重苦(見えない、聞こえない、話せない)のヘレンケラーの家庭教師になる前からあらかじめ神様が備えてくださっていた素晴らしい準備がすごいです。

アン・サリバンが盲学校である婦人と知り合います。その婦人は、見えない聞こえないという障がいの人で、指文字でコミュニケーションを取るしか方法がなくその時にアン・サリバンが指文字を習得できたのです。

また、見えない聞こえないと言うことの不自由さと苦しみについても十分に理解することができたのです。

三重の不自由さを抱え、自我を通そうとする怪物と呼ばれたヘレンの心を変えていったのは、アン・サリバンが実際に経験したことが大きいですが、もっと大きな原動力はアン・サリバンの神様への信仰と愛でした。

サリバン先生の祈りを神様は聞いてくださったのです。

ここで、映画や舞台のハイライトシーンにも使われた有名なシーンをあらためてご紹介しましょう。

それは・・・ 井戸のそばで、サリバン先生が水を流しながら指文字でヘレンケラーの手のひらに「WATER 」と何度も綴り、ヘレンケラーが手のひらで感じる「水」と、言葉としての「WATER 」とのつながりを理解し、すべてのものに名前があることを知った素晴らしい瞬間でした 。

これはサリバン先生とヘレン・ケラー、二人の出会いから、わずか1か月後のことといわれています。

手を流れる水に名前があること知ったヘレンが、「WATER 」という名前を理解した瞬間であり、それはきっと、盲学校を卒業したばかりのアンサリバンと、野生児だったヘレンケラーに、神様が起こしてくださった奇跡の瞬間であったのでしょう。

アン・サリバンとヘレンケラーの二人三脚の歩みには、もう一人の方がおられた・・・

  • 全てのもに名前があることを知ったヘレンケラーの世界は広がり続け、遂には話せるようになり、大学に進学もできました。

50年間にわたる期間、ヘレンケラーの横にはサリバン先生がいました。

その50年の長き時間を

ヘレンケラーはサリバン先生と、

そして神様と共に過ごしたのです。

 

サリバン先生の教え、それは神様の愛と聖書の御言葉でした。

アン・サリバンが、ヘレンケラーの教育で一番悩んだことは?

ある日のこと、クリスチャンであるサリバン先生は、教え子のヘレン・ケラーが様々なことを理解できるようになってきたため、

人間にとって一番大切な「神を信じること」について教えようと決心しました。

 

しかし、目が見えず、耳も聞こえず、話すこともできないヘレンに、どのようにして神様を伝えれば良いのか悩んでいました。

 

賛美歌や牧師の説教、聖書や教会など、視覚や聴覚を通じて神に触れる機会が全くなかったヘレンに、サリバン先生は途方に暮れてしまいました。

 

そこで、サリバン先生は親しいフィリップ・ブルックス牧師に相談することにしました。

 

牧師はサリバン先生の不安をよそに、

「心配は無用です。たとえ目が見えず、耳が聞こえず、口がきけなくても、ヘレンも人間である限り、神の愛を感じ取ることができるはずです。」

と力強く断言しました。

 

後日、フィリップ牧師はヘレンと面会し、サリバン先生の通訳を通して、

神の愛とイエス・キリストの救いについて熱心に説きました。

 

ヘレンは牧師の言葉を一言も聞き逃すまいと、真剣な表情でサリバン先生の手のひらに注目していました。

 

話を聞き終えたヘレンは、牧師に向かって

「私はそのことを前から知っていました。

ただ、それが神様と呼ばれていることを初めて知ったのです。

そしてイエスキリストが私の罪の刑罰の身代わりに十字架で死んでくださったこと、そして三日目に甦られたことは初めて聞きました。私は、イエスキリストの福音を信じます。イエスキリストを私の救い主としして信じます。

と信仰告白を伝えいまだかってない喜びを表現したそうです。

その場にいた人々はヘレンの言葉に驚き、神への信仰を新たにし神様を賛美したと言われています。

 

その後、1937年にヘレン・ケラーは来日を果たします。

多くの日本人がヘレンの生き方に感銘を受け、講演会には多くの人が押し寄せました。

 

ある新聞記者がヘレンに「あなたは今、幸せですか?」と尋ねました。

ヘレンは間髪入れずに答えました。

「はい。私は幸せです。イエス・キリストにあって!」

イエスキリストの愛とその信仰で成長したヘレンケラーが残した言葉は・・・

「目が見えないことは悲しいことです。

けれど、目が見えるのに神様を見ようとしないのはもっと悲しいことです。

耳が聞こえないことは悲しいことです。

けれど、耳が聞こえるのに神様の声を聞こうとしないのはもっと悲しいことです。

しやべれないことは悲しいことです。

けれど、しやべれるのに神様の素晴らしさを賛美しないことはもっと悲しいことです。

 

目に見えるものは移(うつろ)い易(やす)いけれど、目に見えないものは永遠に変わりません。

耳に聞こえるものはすぐに消えてしまうけれど、耳には聞こえない神様の声(聖書の言葉)は永遠に変わりません。

 

私は自分の障害を神様に感謝しています。

私が自分を見出し、神様を証しするという生涯の仕事を見出し、そして神様を見つけることができたのも、この障害があったからです。

そして神様は暗闇のどん底にいた私のために、サリバン先生を送ってくださいました。

そしてサリバン先生は私に神様の素晴らしい愛を語り続けてくださいました。

そしてサリバン先生のために神様は一人のクリスチャンの看護師を導き神様の素晴らしさと聖書の御言葉を学ばせてくださいました。

全ては神様の計画です。

ローマ書 8章28節・・・

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ書 8章28節)

ヘレンケラーは永遠に変わることのない神様とキリストの愛に出会い、

苦難の中にも溢れる神の愛と希望を他の人々に届ける人生へと変えられていったのです。

神様はあなたの心にも触れ、

あなたの信仰の目を開いてくださり真理を明らかにし

全てを益としてくださる方なのです。

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