【3日目】裁きの物語は怖い?いいえ、福音の入口です(創7〜9/マタ3)

聖書通読3日目

主の足あとをたどる365日 1日3章で心を整える(ショートメッセージ付き)

 

裁きの物語は怖い?いいえ、救いの入口です(創7〜9/マタ3)

この記事の目次

裁きの物語は怖い?いいえ、救いの入口です(創7〜9/マタ3)

今日は「水の物語」です。
創世記7〜9章は洪水。
マタイ3章はヨルダン川の洗礼。
どちらも、水がすべてを覆う場面が出てきます。
正直、創世記の洪水は怖いです。
でも。
怖い章ほど、福音の必要が分かります。
だから一緒に丁寧に読みましょう。
ここを飛ばさずに読むと、

救いが「気休め」ではなく「本当に必要な恵み」だと骨の髄まで分かるからです。

創世記7章。

洪水は「神が罪を軽くしない」しるしです。

7章では、箱舟に入るノアの家族。
そして雨。
そして地を覆う水。
息の詰まる展開です。
ここで大切なのは、洪水が「神様の気まぐれ」ではないことです。

 

神は悪を放置なさいません。
それは神が“正しい”からです。

たとえるなら、体の中で病が広がっているのに、医者が「まあいいでしょう」と放置したらどうなるでしょう。
その医者は優しいのではなく、無責任です。
神のさばきは、罪を罪として扱う「聖さ」の現れです。
だからこの章を読むときは、こう問いかけると深くなります。
私は罪を軽く見ていないだろうか。
怒りや妬みや嘘を、“これくらい”で済ませていないだろうか。
怖いのは、この物語が“他人の話”ではなく、私たちの心の現実にも通じるからです。

でも同時に。
ここで見落としたくない光があります。
神はさばきの前に、救いの備えを用意しておられた。
箱舟です。
さばきがあるからこそ、「救いの備え」がどれほど大切かが見えてきます。

 

創世記8章。

水が引くとき、神は「覚えておられた」。

8章で心に響く言葉はこれです。
「神はノアを覚えておられた。」
洪水の中、箱舟は揺れます。
外は真っ暗で、いつ終わるか分からない。
でも神は忘れておられない。
これが希望です。

停電の夜に、時計が止まったように感じることがあります。
「このまま朝が来ないのでは」と不安になります。
けれど、夜がどれほど長くても、朝は来ます。
8章は、まさにそれです。
水が少しずつ退き、風が吹き、鳩が飛び、地の乾きを知らせます。
神の救いは、劇的な瞬間だけではなく、じわじわと確かに進みます。

だから熟読のポイントはこうです。
私の祈りが止まりそうな時、神も止まったと思っていないか。
「沈黙の期間に、神は働いていないと思い込んでいないか。」
聖書は、神が“覚えておられる”方だと教えます。
通読は、この神の性質を心に刻みます。
それが人生の土台になります。


 

創世記9章。

虹は「神の約束のサイン」。やり直しの章です。

9章で有名なのは虹です。
虹はきれいな自然現象、というだけではありません。
神が「わたしは忘れない」と示された約束のしるしです。
つまり虹は私たちが神を思い出す印ではなく。
神がご自分の約束を忘れない“サイン”です。
ここが胸にしみます。

洪水のあと、地はリセットされたように見えます。
でも人間の弱さが消えたわけではありません。
ノアにもつまずきが出てきます。
それは、救いが「人の立派さ」にかかっていない証拠です。
救いは、神の契約、神の約束にかかっています。

そして私たちは知っています。
この約束が最終的に確かになるのは、救い主イエス・キリストによってです。
十字架で罪が裁かれ。
復活で新しい命が開かれました。
虹の約束は、やがて福音の完成へとつながっていきます。

マタイ3章。

悔い改めから洗礼へ。「名を上げる人生」から「神の子として歩む人生」へ。

新約に入ると、舞台はヨルダン川です。
バプテスマのヨハネが叫びます。
「悔い改めなさい。」
ここで、悔い改めを「落ち込むこと」「後悔すること」と思うと苦しくなります。
悔い改めとは、自分自身を王座に置いていた心を神様に向きを変えることです。
神に背を向けていた心を、神へ向け直すことです。
自分自身のバベルの塔を積む方向から、神に信頼して歩く方向へ。
向きを変えることです。

そして驚くのは、イエスキリストが洗礼を受けに来られることです。
罪のない方が、罪人の列に並ばれる。
ここに福音の香りがします。
救い主は、高い所から「頑張れ」と言う方ではありません。
罪人の側に立ち、共に並び

やがて十字架で罪を負う方です。
洗礼は、十字架への予告です。

イエスキリストが洗礼を受けると、天が開きます。
御霊が下り、父の声がします。
「これはわたしの愛する子。
わたしはこれを喜ぶ。」
ここが、今日のテーマの“答え”です。
人は名を上げて、認められようとします。
でも神は、まずわたしの名前を呼んでくださいます。
評価を得てから愛されるのではありません。
愛されているから歩める。
この順序が、人生を変えます。

もし私たちが、神の前でこの声を土台にできたら。
名を上げるための焦りが少しずつほどけます。
散らされたくない不安が、少しずつ軽くなります。
「私は愛されている。
だから今日も、神に名前を呼ばれて歩める。」
この“新しい生き方”が、やがて主の教えへと続いていきます。

まとめ。

水は終わりではない。救いの入口です。

創世記7章は、罪の重さと神の正しさを教えます。
8章は、神が「覚えておられる」方だと教えます。
9章は、虹によって「約束が置かれる」ことを教えます。
そしてマタイ3章は、悔い改めと洗礼の向こうに、救い主が立っておられることを示します。

通読の素晴らしさは、点が線になり、線が物語になることです。
洪水と洗礼が、ただの別々の話ではなく。
神はさばき、神は救い、そして救い主を与える」という一つの流れとして見えてきます。
この発見が、通読を続ける力になります。

今日の一歩を小さく決めましょう。
刺さった1節をメモする。
そして短く祈る。
「主よ。
あなたの救いの備えの中にあることを、今日も私にはっきり確信させてください。」
怖い章ほど、福音の必要が分かります。
だから一緒に、丁寧に読み進めましょう。

次回予告。

「箱舟の完成と洪水(創7〜9)」の先に、虹の約束がありました。
次は、その約束が日常の中でどう試され、どう導かれるかを読んでいきます。
そして新約では、ヨルダン川で始まった物語が、やがて主の教えへと続いていきます。
主が語られる“新しい生き方”に期待して進みましょう。

 

【付録:できる人だけ・・・】今日の熟読のコツを、最後に3つだけ。

始めに・・・

祈り方はどのようであってもいいです。

ただ、

まず聖書通読を始める時に、

神様に「聖書の御言葉をわたしに教えてください。

そして「その御言葉を素直に受け入れ素直に従う信仰を与えてください。」ということだけは必ず祈って始めてください。

一つ目。

刺さった1節をメモする。

二つ目。

問いを1つ持つ。
「私はどこに光が必要か。」

三つ目。

短く祈って閉じる。
「父なる神様。
私の心に光をください。
隠れている私を探し。
救い主イエスの十字架と復活の恵みで、わたしを今日を歩ませてください。」

さあ。
聖書の旅の3日目です。
今日も心の部屋のドアを、ほんの少し開けてみましょう。
光は、必ず差し込みます。

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