【聖書通読第9週1日目】感謝の食卓から、十字架へ。主は交わりを完成される。

【聖書通読第9週1日目】感謝の食卓から、十字架へ。主は交わりを完成される。

レビ記7章/マルコ14章

今日の通読は、レビ記7章マルコ14章です。 一見すると、とても離れた章のように見えます。
レビ記7章は、ささげ物の細かな規定が続きます。
マルコ14章は、主イエスの受難の夜が深く進んでいく重い章です。
けれど、この二つを並べて読むと、「神との交わり」という一本の線が見えてきます。
レビ記7章では、和解のいけにえが大切な位置を占めています。
これは、罪の赦しだけでなく、神様との平和な交わり、感謝、喜びを表すささげ物です。
神様に近づくことは、ただ恐れるだけのことではありません。 神様と共に歩み、感謝を表し、交わりの中に生きることが、礼拝の中心にありました。
また、脂肪や血に関する厳しい規定を通して、神様は礼拝を軽く扱わないように教えられます。
礼拝は、自分の気分で整えるものではなく、神様が示された道に従ってささげるものなのです。
ここで大切なのは、神様が「近づく道」をあいまいにしなかったということです。 人が勝手な方法で近づくのではなく、神様ご自身が道を定めてくださいました。 それは、神様が冷たいからではありません。 むしろ逆です。 神様は、本当に交わりを持ちたいからこそ、正しい道を備えてくださったのです。
そのことを胸に入れてマルコ14章を読むと、
景色が変わります。 ここでは、主イエスが最後の晩餐を過ごされます。
パンを取り、「これはわたしのからだ」と言い、
杯を取り、「これは契約の血」と語られます。
ここで主は、ご自分の死を単なる悲劇ではなく、新しい契約の始まりとして示されました。
レビ記で繰り返し語られていた血の意味が、ここで決定的なかたちを取ります。 動物の血ではなく、神の御子ご自身が、私たちを神のもとへ近づける道となってくださるのです。
そしてゲツセマネに入ると、主は深く苦しまれます。 弟子たちは眠り、ユダは裏切り、ペテロはつまずきの道へ進んでいきます。 人間の弱さが、これでもかというほど表れます。
しかしその中で、主イエスだけは逃げません。 「わたしの願いではなく、みこころのままに」と祈り、父なる神の御心に従って進まれます。
ここに、私たちの救いの土台があります。 私たちが強かったからではありません。 私たちが忠実だったからでもありません。 ただ主が、最後まで従い抜いてくださったからです。
レビ記7章が示す「交わりのささげ物」は、マルコ14章でついに完成へ向かいます。
人が神に近づくための道は、最後にはキリストご自身の体と血によって開かれるのです。
感謝の食卓は、十字架の前夜において、新しい契約の食卓となりました。 ここに、神様の愛の深さがあります。

今日、神様が私たちに勧めておられるのは、

礼拝を軽くしないことです。 「慣れているから」「いつものことだから」と通り過ぎるのではなく、神様は本当にご自分の御子をもって私を近くに招いてくださったのだ、と受け止めることです。 また、私たちが弱くても、主が従い抜いてくださったことに安心して、神の前に出ることです。

今日の問いかけはこうです。

あなたは、神との交わりを「遠いもの」と思っていないでしょうか。
あるいは、自分の弱さのために、もう神に近づけないと思っていないでしょうか。
もしそうなら、マルコ14章の食卓を見てください。 主は、弱い弟子たちを前にしてなお、契約の杯を差し出されました。
そして、十字架へ進まれました
神との交わりは、あなたの立派さの上にではなく、キリストの血の上に立っているのです。

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